:高橋哲雄『二つの大聖堂のある町』


高橋哲雄『二つの大聖堂のある町』(ちくま学芸文庫 1992年)
                                   
 イギリス本を続けて読んでますが、今回読んだのは、経済学者が書いた本です。さすがに文学者とちがって社会科学的な思考訓練を受けているので、問題意識がはっきりしていて、文章がきりっとして的を得ているという印象でした。

 それでいて扱っている題材が、イギリスの文化的な側面、すなわち探偵小説から始まり、ブロンテ姉妹の小説に移り、幽霊談議があると思えば、次には建築の話になり、音楽の話になり、食文化の話にいたるという幅の広さで、ようやく最後のあたりで、パブリックの意味やイギリス病など社会科学的な分野の話になったのは驚き。この人は単なる経済学者ではないなと感じましたが、経済史の人にはこういうタイプの人が多い。

 第Ⅰ章の探偵小説を論じたところなどは、文学社会学の論文としてもかなりの水準にあるような気がします。なぜイギリスで本格探偵小説が飛躍的な発展を遂げたのかという疑問から出発し、探偵小説が大衆の読み物と思えて実は初めの段階では、書き手も文人や学者などが多く、上・中流の知識階級の読み物であったことを発見します。次に当時そうした市民層が広がっていたイギリスと、まだ中産階級の厚みのない日本の社会との比較を行い、それが捕物帖と変格探偵小説を中心とした日本の探偵小説との違いを生み出したと考察しています。さらにはイギリス人の隠匿性も探偵小説を成り立たせるひとつの要素として役立ったと指摘しています。

 しかし、悪く言えば、社会科学的な見方が悪く作用しているところもあって、類型的な概念に囚われた断定がところどころ見えるのが残念です。例えば、「よい悪書」と「わるい良書」という概念を用いて、倉田百三賀川豊彦通俗的修養書とばっさりと切り棄てたり(p22)、ナマ音楽派とレコード鑑賞派に分けて、前者が中産階級的、後者が人民的と断定する(p102)あたり。

 ついでに、他にも違和感を感じた部分がところどころあって、労働者が中産階級的教養を身につけようとすることに対して揶揄するような発言が見られたり(p27)、大作曲家が自作の曲についての名演奏家であるとはかぎらないと主張するところで、「マーラーよりはブルーノ・ワルターの方がずっとうまく聞かせた」と書いていますが(p117)、マーラーの演奏をどこで聴いたのでしょうか、「聞かせたと当時の人が言っている」ならまだしも。もうひとつ、クロード・ロランやニコラ・プーサンといったイタリアの風景画家と書いている(p174)のは、彼らはイタリアの風景を描いたかもしれませんが、二人ともれっきとしたフランス人なので少々誤解を招く表現です。

 探偵小説のトリックをアマチュアリズムとの関連で論じている(p32)のは面白い着眼点だと思います。著者がまったく触れていないことですが、世界でいち早く王立協会を設立したように、イギリスで早く芽生えた科学的志向もトリックを中心とする探偵小説が発展した大きな要素だと思います。

 「イギリス人が世界でもっとも質の高い探偵小説の最先進生産国であるとともに、世界有数の幽霊大国でもあるという、幾分逆説的な事実」(p54)という記述がありましたが、一見相反するように見えて、実は「想像力で、ないものを見る」という点では共通しているのだと思います。

 面白い表現がところどころあって、たとえば、「見られること、とくに讃仰されることで女性がますます美しくなるのと同じ要素が観光地にもある。・・・ただ残念ながら、自分の魅力に気づいた女性のうちには美しくなるとともに悪くもなる人たちがいる。・・・下手な厚化粧で生地の美しさを台なしにして崇拝者を落胆させるかと思えば、崇拝者をみくだし、しぼりとることばかりを考えたりする」(p70)とか、「食べもの抜きの比較文化論などは首から上だけで美人コンテストをするようなものではないかとも思うのである」(p128)という言い回し。

 『ミステリーの社会学』(中公新書)や『アイルランド歴史紀行』(ちくまライブラリー)という本も出しているようですから、また読んでみたいと思います。