原田宿命『フランス・ルネサンス舞踊紀行』


原田宿命『フランス・ルネサンス舞踊紀行』(未来社 2002年)


 気分を変えて、舞踊についての本をしばらく読みます。まずはフランス繋がりでこの本から。写真や絵が豊富にあって、楽しく読めました。「舞踊紀行」というとおり、フランス各地をめぐりながら、ルネサンス時代の踊りを、残された本や絵を頼りにして語るという趣向になっています。いかんせん、踊りを文章で説明するのは難しく限界を感じました。現在の踊りなら、映像で直接見せることができますが、遠い過去の踊りを再現するとなると、たいへんです。

 絵が貴重な証拠となっているのは間違いありませんが、一つの場面を描いたものだけでは復元は難しいでしょう。動きを一コマずつ描いた図があればいいですが、この本では紹介されてなかったので、存在しないのかもしれません。しかしこの本で、楽譜に沿って踊りの形を記号で示した舞踊譜というのや、踊りの地面上の軌跡を図示したものがあることを教えられました。書物の名前としては、トワノ・アルボゥ『オルケソグラフィ・舞踊記譜法』とフーイェ『舞踊記譜法』が挙げられていました。あと踊りに付随した音楽が残っていて、それが踊りのテンポとかリズムを伝えてくれているので、著者も舞曲を中心に説明していました。

 踊りの実態がよく理解できませんでしたが、だいたいの踊りの種類が分かりました。名前だけはたくさん出てきます。まず大きくは、宮廷舞踊のバス・ダンスと、郷土舞踊のブランルの二つ。
①バス・ダンスは、1400年頃から1500年前半ごろの宮廷舞踊で、起源は郷土の踊りや民族舞踊だが、宮廷や城の中での踊りとなってからは、重々しい儀式的な行列スタイルになった。男女が一部分で異なったステップを踏む「クレーブのバス・ダンス」、アヴィニヨン、ラ・ロシェル、バイヨンヌ、オルレアンなど地名の付いたバス・ダンス、マルガレーテ、カスティーユなど人名の付いたバス・ダンス、立ち葵、小さなバラなど花名によるバス・ダンスなど。

②ブランルにもいろいろあり、速い二拍子でジーグの原型の一つと言われるスコットランドのブランル、円舞しながら時に円の中心に集まり天を仰ぐ所作をしたマルタ島のブランル、メヌエットの原型と言われるポワトゥのブランル、それにシャンパーニュやブルゴーニュのブランル、手を叩き合い若者がからかえばエプロンを振って応えたりする「洗濯女のブランル」、フォークダンスのように向き合った相手と順番に位置を変えてくさり形を作る「垣根のブランル」、相手の代わる度に親しい身振りも入れて踊りを速める「山人のブランル」、女性のジャンプを助けながら回転する「公式のブランル」、馬の勇み足のような足踏みから始まり男女が向き合って両手を取り交互に足を踏み鳴らしながら回る「馬のブランル」など。

 それから各種舞曲の名前を列挙すると、古くからあるロンド、バラード、足の交差を意味するガヴォット、ドイツやスイスの山国の踊りアルマンド、南イタリアの激しいサルタレッロ、メヌエット、五拍目に跳躍するガリアード、トルディオン、中世舞曲エスタンピー、ブルターニュの踊りパスピエとトリオリ、労働の踊りが原型のブーレ、波型や鎖状に長い列を作って踊るファランドール、ニザルダ、リゴドン、スペイン系のサラバンド、それにシャコンヌ、パヴァーヌなど。聞いたことのあるのも多い。踊りの技巧としては、大きく転回するヴォルタ、山羊が跳ねて後ろ足を蹴り上げるようなカプリオーレ、軽快に跳ぶステップのシソンヌ。読み違えをしているかもしれないのでご海容を。

 使われている楽器についても、いろいろ知ることができました。
ケルト・ハープ、ヴィエール(手回し琴、ハーディガーディとも言われる)、横笛の一種スィフル、中世の弦楽器のジグ、木笛ガルーペ、槌型のがらがらタラバステロ、チェンバロの一種ヴァージナル。貝殻箱というのも出てきた。

 記譜法の説明は下記のようなものです。
Rbssdddrrrbという記号で示される踊りは、Rはレべランス(正面の貴賓への挨拶)で深く腰をかがめるかたち、bのブランルは左右への挨拶、ssのサンプル(シングル)は歩行のステップ、dのドゥーブル(ダブル)は終わりを軽く両足を揃えるかたち、rのルプリーズは後退の動きということ。

 楽譜出版についても教えられました。
フランスで最初の活版による楽譜印刷が始まったのは、16世紀で、パリのラテン地区であったが、すでにイタリアでは、1501年にヴェネツィアで、ペトルッチが始めているとのこと。当時は出版物がようやく一般に広がってきた時期で、パリでは、サン・ミシェル橋の上に家屋が並んでいて、そのなかに書肆があったそうである。

 また、踊りの形にも大きな変化があり、領主や貴族の館や邸内の広間で儀式的に行なわれ、列席した者すべてが踊りに加わり、整然と列になって踊って楽しんでいたものが、次第に舞踊が舞台の上で行なわれるようになり、人々が観賞するものへと変化していったということである。