西郷信綱『古代人と死―大地・葬り・魂・王権』(平凡社 1999年)
「地下世界訪問譚」、「黄泉の国とは何か」という章があり、あの世が論じられているようなので、読んでみました。西郷信綱は以前、『古代人と夢』を読んで(2022年12月25日記事参照)、探求心の幅広さや論述の巧みさに感心した記憶があります。この本でも、過去の主要な資料や論説に目配りしたうえで、思考の道筋が分かるような記述の進め方や、大胆な推量をしているところに魅力を感じました。
ただ、私の場合、古典の素養もなく、考えも至らないので、それがどの程度正鵠を得ているかの判断はつきかねます。ただ読んでいて、説得的な印象はもちました。宣長とか真淵など教科書に出てくるような歴史的な大御所、柳田国男や折口信夫といった大家と、同じ問題をめぐって、臆することなく意見を述べているのは、権威に拘泥することのないスケールの大きさを感じさせます。
この本は、ノミノスクネ、地下世界、大祓の詞、三輪山神話、諏訪社、姥捨山、黄泉の国、天武の葬礼という古代世界に関する8つのテーマを取り上げています。そのうち地下世界と黄泉の国はほぼ同じテーマですが、他の項目についても互いに関連しあっています。
もとは国文学者だけあって、言葉の成り立ちや発音のあり方にもとづいて、論を展開しているところに、一つの特徴があるように思います。例えば、スサノヲは荒れスサブことと縁のある名、ノミノスクネは野見で野のなかに墳丘を造るべき立地を見定める意(ではないか)、黄泉(ヨミ)は闇(ヤミ)にもとづく語、ネズミは地下に棲むものということから根棲(ネズミ)、ヨミガエルは黄泉から帰る意、壱岐は行き来するイキにもとづく名、対馬は舟泊りの津である島の意、大和政権の両端である東(アヅマ)とサツマのツマは端の意味、ヒタチは日立で日が東から立ちのぼる意、ヤシロ(社)は神の来臨にさいし仮屋を設ける所の意で漢字を当てれば屋代、シロは苗代のシロと同じ、葬るという意味の古代日本語ハブルは投げ捨てるの「放(ハブ)る」殺してばらばらにする「屠(ハブ)る」と互いに通底しあう同根の語、ほかにもいろいろありましたが、書ききれないので略します。
いくつかの印象深かった説を記録しておきます。
①ノミノスクネについて:ノミノスクネが大力の持主であることは、古墳のもつ巨大な造形力とかかわりがあるのではないか。人の代わりに埴輪を埋めることを提案したというのも、ノミノスクネが宮廷の葬礼を掌る土師氏の祖であったからである。菅原道真はノミノスクネの裔であった。またクヱハヤとの勝負が相撲の始まりとされているが、力士像は弥生期からあり、もっと遡るものである。
②地下世界と黄泉について:地下に死者の世界があるとする神話的思考が生じるのは、死体が地に埋められていたからである。一方、古代人は、水平線には縁があり、そこが水の渦まく急な坂になっており、その下の方に海神の国という他界があると考えていた。
③火葬について:火葬が広まるにつれ、この世とあの世の素朴な連続性が断ちきられ、魂と身体の二元論が生じ、死者の魂をあの世でいかに救済するのかということが次第に主題化されてくる。さらに一人一人の娑婆での行ないが来世で審判されるとする仏教が普及して、死というものが個人化されていった。また火葬により、腐り果てるまで死体とつきあうという経験が蒸発してしまって、死は一瞬のできごととなり、死ぬということが長期にわたる過程であることが忘れられてしまった。
④姨捨山伝説について:すでにインドの雑宝蔵経に、老人を駆り集めて棄てる棄老国の話があるほど、全世界に似たような話がある。例えば、平安京でも、鴨河原などで5500の髑髏を焼いたという記述があるなど、病者が放り出されたり、棄てられた死体がごろごろしているといった日常が眼の前にある状況を考えれば、姥捨山伝説が生まれてきてもとくに不思議はない。
⑤殯宮の政治的意味について:大嘗祭は、ホノニニギが高天の原からこの水穂国に最初のスメミマとして降臨したという神話の儀礼的な再演であり、民間でおこなわれる一種の成人式である霜月の季節祭りがその原型であった。しかし、殯を営むことが一部の王族の特権と化していき、天武の殯宮の際には、王権の偉大さを見せびらかす政治的な劇場となった。
⑥大国主について:出雲の大国主は、多くの地方の国主たちにより行なわれてきた天孫への国ゆずりを一人物に一回化して語ったもので、大国主とは、各地の国主たちを収斂した人物なのである。
⑦狩猟の神としての諏訪社について:壬申の乱で信濃兵の騎馬隊が活躍したが、信州は、宮廷の牧を多く擁し、梓弓の産地でもあり、また諏訪社は狩猟の神であった。狩猟と戦さとは組織の上でも技術の上でもひと続きのものなのである。
⑧ヤマトヒメとヤマトタケルについて:斎宮の始まりは倭姫とされるが、それと、隼人や出雲健を従わせエミシを討とうとしたヤマトタケルとは、ワンセットをなす名前である。つまり斎宮という宗教的力と、国土平定の武力とが、互いに不可分であったことを象徴している。
そのほか、1)殿舎に神が常住するという考えは、仏像の鎮座する寺院形式によって新たに触発されたものとか、2)喪屋でアソブという記述があるが、アソブとは歌舞音楽を演ずることで、死者の霊を慰めると同時に、その騒々しい音や声によって邪霊を近づけぬようにするものであったとか、3)仏教によって西方の極楽浄土が説かれる以前の世では、西方はむしろ鬼類の棲みかだった、などいろいろありましたが、たくさんすぎるので端折ります。