だまし絵に関する本二冊

  
谷川渥『図説 だまし絵―もうひとつの美術史』(河出書房新社 1999年)
種村季弘/高柳篤『だまし絵―新版・遊びの百科全書2』(河出書房新社 1995年)


 錯視の本に続いて、だまし絵に関する本を読んでみました。谷川渥は美学、美術史の研究者なので、どちらかというと、15~17世紀の西洋美術の一つの潮流についての論考になっています。種村/高柳の本は、種村「視覚のトリック」と高柳「アイ・トリック事典」の二部に分かれていて、両者とも谷川の本にも少し出てきたアナモルフォーズ(歪み絵)を大きなテーマとして取り上げながら、種村が西洋美術史の流れを軸に語っているのに対し、高柳は、アナモルフォーズを遠近法との関連でその技法面に注目しているのが特徴です。また高柳は、各種の錯視のパターンを解説していて、前回の錯視の本と重なる部分も多々ありました。


 谷川渥『図説 だまし絵』では、知らなかっただまし絵の事例が多く紹介されていたり、美術史の興味ある薀蓄が語られていて、貴重な読書体験でした。それらを順不同に列挙してみますと、
①画枠にキャンヴァスを張って持ち運びが可能になったのは、せいぜい14世紀以降の話にすぎないこと。

②だまし絵の発想は、舞台空間や建築空間と密接な関連のもとに登場していて、例えば、建物内部の壁面に円柱や扉を描いて空間が広がっているように見せるフレスコ画や、部屋の床に屑が散らかっているように見せるモザイク画があり、また天井に空に続いているような空間を描いたりしたことなどが、だまし絵に先行している。

③だまし絵では、油彩画で立体感を表わそうとして、壁龕のなかに彫像が立っているかのように描き、そのためにグリザイユという灰色系の濃淡だけで表現する技法を取り入れた。さらには平面上に凹凸のある浅浮彫りや、綴れ織壁掛け(タピストリー)をも模そうとした。

④壁龕から、さらに日常性・世俗性を高めるために、棚という背景を用いた。この棚が部屋全体にまで拡大したものが、「芸術と驚異の部屋」と呼ばれるものである。壁龕や棚の絵には、髑髏が描かれることが多いが、これらは「ヴァニタス」画であり、この世の栄華、美、喜びといったものはすべて虚しく、ついには死に至るというメッセージを投げかけている。

⑤だまし絵的行為として、絵の中に本物そっくりの蠅を描いて、それを本物の蠅と思わせようとしたり、自分の名や制作年を書き込んだ貼り紙を後から画面に貼り付けたように描くことが行なわれた。

⑥また、絵の中にカーテンを描いて、その奥の光景の一部を見えなくしたりすることが行なわれたが、もとは絵の前にカーテンを掛ける習慣があり、そのカーテンが絵の中に入り込んでしまったということである。

⑦もう一つは、17世紀後半に、手紙や絵や文房具などさまざまなものが本当に状差しに挟まっているかのように描くことが流行した。同じようにテーブルの上に、絵や本やナイフ、拳銃などが本当に乗っているかのように描くこともあった。

⑧17世紀から18世紀にかけて、一種の静物画として、狩りの獲物という形で、死んだ鳥がぶら下がっている絵が多く書かれた。これも一種の「ヴァニタス」画といえるが、高橋由一の有名な「鮭」も「狩りの獲物」というこのだまし絵の系譜に位置づけられるのではないか。

⑨自己言及的な絵として、画布が剥がれて、その向こうにもまた絵の描かれた画布があるという入り組んだ構造のものや、画布を破って一匹の犬が顔を突き出したもの、絵の表面を覆うガラスが割れているかのように偽装した絵もある。


 種村/高柳『だまし絵』の欠陥は、写真が2頁に跨っているためアナモルフォーズ画の全体を一面で見ることができず、肝心のだまし絵の鍵となる見方ができにくいことで、これは決定的な難。

 種村「視覚のトリック」では、「造形芸術における視覚のトリック(遠近法)は言語芸術における修辞法と正確に見合っていて、畸形化による歪みは詩における張喩(ヒペルベル)にほかならず、また数学における双曲線、音楽における半音階法にも相当する」(p68)という指摘がありました。根拠が明示されないままですが、一種のはったりめいたスケールの大きさは、いかにも種村という感じがします。

 高柳の「アイ・トリック事典」では、アナモルフォーズを裏返しにした遠近法と位置付けているところと、エッシャーの「滝」の不思議さが、ペンローズの三角形と同じ構造であり、高さと奥行きを兼ねさせているところに、錯視の鍵が潜んでいると指摘しているのが鋭いと思います。

視覚のトリックに関する本二冊

表 裏  
白石和也『錯視の造形―メノトリックス』(ダヴィッド社 1978年)
R・N・シェパード鈴木光太郎/芳賀康朗訳『視覚のトリック―だまし絵が語る〈見る〉しくみ』(新曜社 1994年)


 『錯視の造形』を古本屋で買ったのをきっかけに、長らく積読していただまし絵関連の本を併せて読んでみました。この2冊は、錯視図形を、実際に作る側から、造形的に分類し特徴づけようとしたもので、白石和也はデザインの先生、シェパードは心理学の先生ですがもともと絵を描くところから出発した人です。2冊とも豊富な事例が引用されていて、読んでいて楽しいことかぎりなし。


 『錯視の造形』の白石和也の巻末の略歴を見ると、ロンドン大学ウォーバーグ研究所で研修とありました。英語読みですがゴンブリッチらが居た研究所で、平凡社から「ヴァールブルク・コレクション」というシリーズが出ていたのを覚えています。「メノトリックス」というのは著者の造語で、何と言うことはない「目のトリックス」とのことです。

 この本での主張をいくつかピックアップしてみますと、
①写真では投映される映像そのものが結果になるのに対して、人間の場合は、目に入った映像が視神経系を通って脳に送りこまれる過程で、形やサイズ、方向、明るさなどを選別、取捨選択しており、それらの視覚要素が示す型の意味を求めようとするところに錯視が生じる。

②自然のなかに、敵の目を欺く擬態という現象があり、生物が他の動植物に似た色や形、姿勢をとることがある。

③古代から、芸術家たちは、そうした錯視の力に興味をもち、想像的な世界をつくり出し、その神秘な効果を用いて私たちの感覚や心を魅了してきた。

④錯視のパターンには、いろいろあって、ひとつの画面に二つの光景が見える例を、「だぶる錯視」と呼び、近くから見ると化粧台の前に座る女性、離れて見るとどくろに見えたり、むこう向きの少女だが顎を鼻と見ると一転老婆に見える例を示している。そして女性とどくろ、少女と老婆を同時に見ることが困難という性質も指摘している。

⑤その変種として、中国の南朝時代から唐にかけて流行した文字絵(漢字がいろんな物から成り立っている)や、西洋の装飾文字(アルファベットが人物像からできている)を挙げている。

⑥ルビンの図形のように地と図が入れ替わることによって、二つの絵柄が生じるのを「反転する錯視」と呼び、平面に描かれた立方体が、あるときは一方の面が前面に、また他のときは、もう一方の面が前面に見える現象(ネッカーの立体錯視)を「空間の反転」の例として挙げている。また、まったく同じ絵が、方向性が90度違うだけで、上はウサギ、下は鳥に見える例を挙げて、「回転による錯視」と呼んでいる。

⑦三次元を二次元に置き換える段階で、部分部分は整合しているが全体としては矛盾するペンローズの《平面だけに可能な3角形》や《2枝の三つ又》を例示し、これらの図形は意味のないものであるが、視覚上、そこにあくまでも意味を見つけようとするところに錯視が生じるとしている。これは分かりにくいので、図をアップしておきます。
平面だけに可能な三角形2枝の三つ又

⑧3色の不透明な断片の辺を接合させると、中央の重なっている部分が透明に見えてしまう現象を「透明の錯視」と呼んでいる。

⑨奥行きを感じさせるパターンをいくつか列挙している。
1)まったく同一の形でも画面の下に描かれると近くにあるように感じ、上に配置すると遠くにあるように見える、
2)同一平面上で、ある形が他の形を遮るように描かれると、遮った方の図形は手前にあるように感じる、
3)大気遠近法という手法では、近くを明るく鮮明に描き、遠くを不明瞭かつ中灰色に描いて遠近感を出す、
4)近くにあるものほど物体の表面のテクスチュアは粗く見え、遠くにあるものほど密になってつるつるして見える、
5)遠くに消点を作ってそこから斜線を補助線としてそれに沿って遠近を表わす線透視図法があり、東洋の遠近法では逆に、奥に向かって開かれるようにパノラマ的に描く、
6)光が物体にあたってできる明暗や陰影は、光源と物体との距離や空間的な位置の情報となる。


 『視覚のトリック』では、上記と重なる部分も多いので、それ以外だけをピックアップしておきます。
①両目はそれぞれ横方向にずれた位置から見ていて、左右の目の像を比較することで対象の奥行きを決定している。近距離にある対象についてはこの両眼視差が用いられ、遠距離の対象では両眼視差がほとんど働かないので、網膜像の大きさによって奥行きが判断される。

ルネサンス以来、画家たちによる線遠近法、大気遠近法、だまし絵、また近年には、印象派、点描派、キュービズムシュールレアリズム、抽象表現主義などがあるが、それらは人間の視覚システムに対するさまざまな実験的挑戦とみなすことができる。

③形の似た2つの対象が異なる位置に交互に現われた場合、第1の対象が消えて第2の対象が別の位置に出現するという解釈ではなく、同じ対象がある位置から別の位置へと動くという知覚的な解釈を優先する(「対象の保存」の原則)。

④絵の中には、描き手が選んだ観察位置が必ず含まれており、絵の中の視点は、その絵がどのように知覚されるかを決めている。

⑤私たちは大昔の祖先以来、人の顔をつねに真正面から見ることを続けてきたので、知覚システムの中の顔の認知回路も、この正面向きの顔だけに敏感に応答するようになっていて、逆さの顔のほうは無視してしまう傾向にある。

⑥17世紀のオランダの画家は、箱の内壁に絵を描き、覗き穴を通して片目で内部を覗くと、3次元的光景が箱の内側の広さをはるかに越えて広がっているように見えるという「遠近法箱」や「覗きからくり」を開発した。


 錯視絵は、ぱっと見では分からなくても、長く見て訓練すれば、思いもかけない絵が見えるようになるところに面白さがあると思います。

ERNEST HELLO『Contes Extraordinaires』(エルネスト・エロ『異常な話』)


ERNEST HELLO『Contes Extraordinaires』(PERRIN 1921年


 生田耕作旧蔵書。扉に「神戸奢霸都館呈蔵」という印が捺してありました。また最後の目次の頁の「Caïn(カイン)」に下線が引かれ、ページの下にコメントが鉛筆で書かれていたので、画像を添付するとともに筆写しておきます。「精神分析的見地の先駆的現れとして興味深き短篇なり。他の諸篇はおおむねお説教臭い凡作なり」。
  

 全部で18篇収められていますが、なかでは、「Ludovic(ルドヴィック)」、「La laveuse de nuit―CONTE FANTASTIQUE(夜の洗濯女―幻想物語)」、「Le secret trahi(秘密の暴露)」、「Un homme courageux(勇気ある男)」、「Caïn, qu’as-tu fait de ton frère ? (カイン、お前は弟をどうした?)」、「Eve et Marie(エヴとマリー)」、「Le regard du juge(審判の眼差し)」、「Le gâteau des rois(公現祭の菓子)」、「La recherche(探索)」の9篇が面白かった。

 このうち、「Un homme courageux」は、「勇み肌の男」のタイトルで澁澤龍彦によって訳されています(創元推理文庫怪奇小説傑作集4』)。また、「La laveuse de nuit」は、シュネデールが『フランス幻想文学史』のなかで、エルネスト・エロの唯一の幻想物語として紹介しながら、ポーの二番煎じでポーを引き立てたにすぎないと辛らつな評を書いていますが、バロニアンは『フランス幻想文学展望』のなかで、幽霊譚と吸血鬼譚が巧みに結合されていると評価していました。

 本人も序文で、「いつも言っている真実に、物語の肉体をまとわせた」(p1)と書くだけあって、生田氏の言う説教臭が芬々とする話ばかりですが、さすがに説教が手馴れていると見えて、語り口に面白さがあります。ロマン主義キリスト教文学とでも言えばいいのでしょうか、民話の語り口が取り入れられ、ラーゲルレーフの幻想短篇に通じるところがあるように思いました。お伽噺的なので、文章はいたって平明。説教の語法から来ていると思われるのは、二つのものを対比してその顛末を勧善懲悪的に語るやり方、それに同じことを少しずつ表現を変えながら反復する説教特有の文体があります。

 お伽噺、民話風の語り口が際だつ作品は、「La laveuse de nuit」、「Eve et Marie」、「Le regard du juge」、「Le gâteau des rois」、「La recherche」。二つを対比する構図の物語は、「Les deux ménages(二つの家族)」に典型的ですが、他にも「Simple histoire―LE BONHEUR ET LE MALHEUR(単純な物語―幸せと不幸)」、「Eve et Marie」、「Le regard du juge」が、対比を叙述の柱としています。

 「異常な話」というタイトルが示しているのと、序文で、「この本ではとくに神秘的な部分を取り扱った」(p4)と書いているように、異常な状況の物語が多く、狂気そのものがテーマになっていたり(「Deux étrangers(二人の極端な男)」、「Le secret trahi」、「Un homme courageux」、「Caïn, qu’as-tu fait de ton frère ?」)、異常な振る舞いが物語の核になっている作品(「Ludovic」、「Il s’amuse(遊びの果て)」)が目立ちました。「Le secret trahi」は、まさしく精神病院が舞台で、患者の一人が院内の患者たちを紹介して回る場面があり、この男は自分を病院長だと思い込んでいると、病院長まで患者扱いにしたりするユーモアがありました。「Un homme courageux」、「Caïn, qu’as-tu fait de ton frère ?」に共通するのは、小さな物音や囁きに四六時中つきまとわれる恐怖を描いているところ。

 悪に対する天罰として、急性の病死が道具立てに使われています。動脈破裂(「Un homme courageux」)というのは分かりますが、急にその場で燃えてしまうという自発性燃焼(「Julien」)というのは、聞いたこともない奇病です。

 現代の実験小説にあるような面白い手法も見られました。一つは、「Un homme courageux」で、話者自身が物語を突き破っていきなり顔を出し、「確かに見たので本当だ。話者の特権として、見るが見られることはない・・・私は観察者の権利を使って、暖炉の上のマッチを探す彼の手に触れた。とても冷たく、血が凍る思いだった」(p150)という奇妙な文章。もう一つは、「Que s’était-il donc passé(いったい何が起こったのか)」で、幸せな家庭の冒頭部分と10年後の悲劇の結末だけを叙述し、妻が嫉妬深かったという悲劇の原因だけを提示して、皆で物語を考えてみようといった書き方。

 以下、恒例により、各篇の簡単な紹介を(ネタバレ注意)。
〇Ludovic(ルドヴィック)
大金持ちの一家の主人が、娘の縁談を潰したのをきっかけに、料理を減らし、馬車を売り、別荘を売り、使用人を解雇し、地所を売って借家に移り、必需品も減らした。その分、金貨が増え、泥棒を怖れた主人は金庫を買うが、鍵となる合言葉を忘れてしまう。絶望の中で、妻と娘が可愛がっていた犬を売ろうとして、犬に噛みつかれ死ぬ間際に、「神様」という合言葉を思い出す。金が神となり、最後に神が合言葉となって金の神に逆襲する。

Deux étrangers(二人の極端な男)
高名な医師が原因不明の奇病にかかる。食べ物の味がなくなり、なにごとにも興味が持てなくなったのだ。川辺で会った人物からパンを与えられ、それを口にした瞬間からそうなってしまったという。そう手記を書いていると、襤褸着の司祭が現われ、お前しか治せない病人がいると、連れていかれる。瀕死の病人はパンを与えた男で、医師に許しを請い、キリストに帰依することを誓って死んでいく。

Simple histoire―LE BONHEUR ET LE MALHEUR(単純な物語―幸せと不幸)
過酷な人生を耐え忍んでいた女性と、幸せなはずの人生なのに求めるものが多すぎて不幸に悲しむ女性を対比させ、本当の幸せとは何かを描いている。

Les deux ménages(二つの家族)
同じ年同じ日に生まれた従姉妹同士が同じ日に兄弟のそれぞれと結婚した。その二家族の幸福を対比して語る。片方は、母親が慈愛に満ち一家は労働にいそしんだが、片方は、母親が憎しみに満ち貪欲だった。結末に若干不思議さが残るのが救い。

Julien―CONTE BRETON(ジュリアン―ブルターニュの物語)
木彫職人を目指して旅立った息子が、悪事を覚えて故郷に帰ってくる。幼馴染の娘は何とか更生させようと思うが、息子は財産を相続したいがために両親を殺してしまう。が、両親はそれを見抜いて、全財産は教会に寄付するという遺言を残していた。息子には親を思い出させるため、首を絞めるときに使うはずの手袋だけを遺贈すると。

〇La laveuse de nuit―CONTE FANTASTIQUE(夜の洗濯女―幻想物語)
「金の母」と呼ばれる老婆が居て、金を託すと10倍になるというので、貧しい村人たちがへそくりを預けていたが、ある日、突然金がないと宣言した。何を聞いても返事せず家探ししても金は発見できず、怒った村人たちは彼女を殴り殺す。すると7年ごとの12月の満月の深夜に金の母が自分の血で銀貨を洗濯する姿が見られ、金の母を念じるとお金持ちになるという噂が広まった。それを聞いたお手伝いの娘が、夜、念じていると、戸がそっと開いて…。

〇Le secret trahi(秘密の暴露)
精神病院にはいろんな人が居る。自分を神だとか、太陽、皇帝、ジャンヌ・ダルクと信じてる者、なかには精神病院の院長という者まで居る。そんな中で秘密は喋るなと人々に説いて回る狂人が居た。彼は、友人に相手にされないのを恨み、友人を貶める作り話をしたのがきっかけとなって、息子を殺され気がふれてしまったのだった。その友人は、彼のために奪われた金を取り返そうと奮闘していて、しばらく相手ができなかっただけなのに。

〇Un homme courageux(勇気ある男)
大胆さを自慢し合う二人が賭けをして、一人が通りすがりの男に決闘を申し込んで、殺してしまう。豪胆な男だったが、夜11時になると、「殺した人は長生きできませんわ」という優しい囁き声が聞こえてくるようになり、医師に相談の上、パリから離れる。列車の中で偶然殺した男の未亡人一行とと同室となった。ちょうど11時に…。未来の声が幻聴となって聞こえてきていたのだ。

Les mémoires d’une chauve-souris(ある蝙蝠の回想録)
祖母の蝙蝠が孫の蝙蝠に、家族を棄てて人間世界へ旅した経験を話して聞かせている。ある家で、殺人劇が演じられている光景を見て、人間には芝居というものがあることを知った。そして人間たちは自分を見て病気のようだからと窓を開けて外へ出してくれた。これは一生の思い出だと。それは大いなる勘違いだったのだが。

〇Caïn, qu’as-tu fait de ton frère ?(カイン、お前は弟をどうした?)
若い画家がパトロン役を期待していた男爵に冷たくされて、絶望してセーヌ川に身投げする。検死で死んだとされたが、妹が駆けつけ口に鏡を当てると息の痕が付いた。それから7年後、男爵は誰も居ないのに足音が聞こえるという精神の病に侵され、セーヌ川に飛び込んで死ぬ。若い画家を支援できず自殺に追い込んだと思い込んでいたのだった。画家が身投げする前の絵「殺しの後のカイン」には後悔に苛まれた男爵の顔が描かれていた。

〇Eve et Marie(エヴとマリー)
ライン川のそばの山小屋に住む二人の姉妹はまったく違う生き方を選んだ。姉は金持ちになることを夢見て、悪魔の化身の蛇に懇願し、ライン伯と結婚した。妹は自然と友だちになることを夢見て野原を駆け巡る。姉は欲が昂じて、ライン伯の弟を毒殺するが、最後は悪魔の化身の餌食となる。妹は、ハチドリに誘われ、天上界へと上るが雲雀となって墜落する。童話のような世界。妹が自然と戯れる場面は美しい。

Que s’était-il donc passé(いったい何が起こったのか)
裕福で美しく若い夫婦がみんなに祝福されつつ結婚して、10年後二人とも二人の子を残して亡くなった。二人とも、愛想よく、美徳、善行の人だった。みんなは幸せだということしか知らなかったが、二人をよく知ってる人は、以前から家には不幸が住み着いていたという。著者は、妻が嫉妬深かったと原因だけ提示し、みんなで物語を考えてみようと提案する。

〇Le regard du juge(審判の眼差し)
女王が亡くなるとき、皇女に伝説を告げる。それは開かずの部屋に、大昔の祖先が残した王冠と肖像画があって、その肖像画に似た者だけが王冠を被ることができるが、その部屋の戸は落雷によって開くというものだった。年に1回の祭りの日、雷が落ちてその戸が開いた。皇女が自信たっぷりに入って行くと…。王家の血をひく驕慢な女性と貧しいが善良な女性を対比させている。

Les deux ennemis(二人の敵)
温泉地でいつも一緒に居る老人二人。寡黙なのに分かり合える同士だった。ある日、若いころ親しかった友人と誤解から別れ今は後悔していることを話しあっていると、別れたときの状況が言葉遣いを含めまったく同じだったと知り、二人は別の友とお互いの過去の友情をとり戻す。

Il s’amuse(遊びの果て)
猫を虐め、飼い主からお前は死刑台で死ぬことになると言われると、それをギロチン遊びにしてしまうような悪ガキが、青年になると老馬を虐待し、ついに弟殺しで捕まった。死刑を宣告されても無表情なままだったが、死刑の日、死刑執行人がかつてギロチン遊びをしたときの執行人なのを見て、急に恐怖に歪む。

〇Le gâteau des rois(公現祭の菓子)
1月6日の公現祭の日、爺さんが昔の公現祭のしきたりを話す。お菓子を食べる前に、神様の分け前を取って、戸を叩く物乞いに差し出すものだと。それでそれをしなかった家が呪いの地となったと。話終ったとき、戸を叩く音がした。話の世界と現実がつながる不思議な感覚が秀逸。

〇La recherche(探索)
富と権力を誇る王の中の王だったが、神の名を知りたいと言い出して、各国から賢者を集めた。犬と蔑まれている乞食が王に面会を求めてきたが、臣下が追い払った。次に占星術師を集めたが、その時もその乞食がやってきて追い払った。3回目の招集の後、王は姿を消す。巡礼の旅に出たのだ。だが帰ってきてすぐ息を引き取った。葬儀が行われ、例の乞食が差し出した椀の底には「神の名はここにあり」とあった。「青い鳥」に似た話。

Les terreurs d’Hélène(エレヌの恐怖)
ある男に死刑を宣告した検事長が妻にその話をしたとき、女中が蒼白になって倒れた。女中は拾い児で行方不明の兄が居るばかりだが、裕福な男から結婚を申し込まれていた。医者も病気の原因は分からず、女中は死ぬ前に司祭を呼ぶよう頼む。司祭は告解を受けると蒼白な顔で出てきたが秘密は言うわけには行かないと言うばかり。枢機卿が告解ではなく人間として告白してほしいと頼み、ようやく彼女が口を開いた…。

清水茂『地下の聖堂』


清水茂『地下の聖堂―詩人片山敏彦』(小沢書店 1988年)


 先日読んだ神谷光信の片山敏彦論でよく引用されていたので、読んでみました。片山敏彦について論評した単著としては、神谷光彦を除けば、この本ぐらいしかないのではないでしょうか。清水茂は、17歳の時に51歳の片山敏彦に手紙を書き、翌年自宅を訪れ、それから片山が62歳で亡くなるまで11年間師弟としての交流を続け、片山の死後も、師と仰いでその著書を読み継いだと言いますから、片山論を書くのにいちばんふさわしい人物だと思います。

 ただ、神谷光信の本を読んだ後では、それだけ身近に居て、片山が戦時中、日本文学報国会幹事だったことを知らなかったのかと不思議に思います。もし知っていてその辺の事情を敢えて書かなかったとすれば、知的誠実さを若干疑ってしまいます。師の理想的な面だけに目が行って、両極に引き裂かれる片山の真の苦悩に思いを馳せることができていないなら、師の本当の姿は描けないことになるでしょう。

 そのことと関連するのかもしれませんが、この本では、「詩心の遡行性」と「夢・詩・象徴」を除いて、文章が旺盛で冗舌な割には、焦点が絞られてない印象があり、詩的な雰囲気は醸し出されていても、結局何を言おうとしているのか分かりづらいところがありました。ひょっとして本当は強く主張することが元々ないのかもしれません。清水茂の前期の作風はだいたいこれと似たような感じをもちます。それともこのような形でしか伝えられないものを伝えようとしてるのかもしれませんが。

 その「詩心の遡行性」と「夢・詩・象徴」の章を中心に、いくつか印象深いテーマを見つけました。一つは、詩人が詩を書くことを通して行なっている働きで、詩を読む側にあらかじめ潜んでいる原型的なイメージを刺戟して、新しい世界を立ち上げるという役割についてです。

①まず、読者の側に、あらかじめ原型的なイメージが潜んでいることが重要で、それは幼いころの体験、「どの樹木の名もまだ知らずにいた」「まだどの花も私の植物図鑑に登録されていなかった」ころの幸福な時代の原体験であること。そしてまた父や母の原型的なイメージがあること。

②そして詩人の言葉に触れたとき、例えば、「夏の輝く日であった。光の氾濫であった」と語りはじめるのを耳にしたその瞬間に、読者の内部の原初の夏の日が開かれ、読者の心の内部に光が氾濫するのである。

③また、経験はしてなくても、詩人の「クラマールのすももの樹の白い花」という言葉が、それ以後、読者の内部に咲きつづけることになることもある。

④これについて、バシュラールが、幼時への回想とは、記憶作用と想像作用の混合であり、追憶していると思ったときすでに夢想の領域に入っていることを指摘していることを取りあげ、魂の記憶に導かれ時間を遡行して、原型的なイメージを見いだし、個人の領域を超えた初源的なところに到っているとしています。

 さらに、その延長線上に、神秘主義的な世界について触れられています。
①私たちは、私というちいさな殻のなかで自分から離れられないでおり、精神とか魂という場合でも、そのちいさな殻の僅かな肉塊の中に潜んでいると思い込むが、ほんの一瞬であれ、海の潮がこの殻をうち砕くとき、私たちが海そのものと一つになる、あるいはかつてそんなことがあったのではないか。

②いったんそれを知ると、もう自分をちいさな殻のなかに閉じ込めたままにしておくことはできない。海の広大な干満のリズム、星空のリズム、宇宙のリズムが、そのまま自分の呼吸のリズムであり、存在のリズムであることを知ってしまったからである。

③そんな体験は、詩の根底にあるものであり、夢と詩とを結び合わせるものではないか。ベガンが言うように、夢によって自分が生きてきた歳月よりももっと以前の過去を知り、昼間の諸関係よりも遥かに多様で親密な世界を知ることができるようになる。夢自体は、詩でも認識でもないが、夢の源泉に養われないようないかなる詩も認識もないのだ。

 片山の本質に触れる指摘も散見されました。
①片山に対して、「昏い翳を語ることよりは光をうたうことのほうがその心の本質に適っているような人びとがいるものだ」(p14)という言葉を送り、「生きる事を本当に楽しむ気分の表現がわが国の文学には実に少なくなったのである。生きることの真の幸福を表現することによって、いのちそのものの貴さを感銘させることは、今後日本の文学が世界文学的になるために必要な要素となるであろう」(p238)という片山の言葉を引用しています。

②片山の好きなイメージとして、舟や帆があるとして、

過ぎ行く夢の帆に/一つの眼なざしがある。/帆をふくらます風を/その眼なざしは見ないが/風は眼なざしをくぐり抜けて/見る力を前へ投げる/p54(『片山敏彦詩集』「帆と星座」)

わが死とは/あの広い 光の海へ帆を上げてゆく/一つの影を見送りながら/その影とともに 波の奥へと消えること/p61(詩集『暁の泉』より「わが生とは」)

 そして前回にも引用した片山が亡くなる年に書いた

舟は神の海を/かたむいて進む。/舟が沈むなら/それは神の海に沈む/まだ沈まないなら/神のシンボルを/はこぶ/p65(『片山敏彦遺稿』)

を引いています。

③細かなエピソードになりますが、ロマン・ロランとの交友のなかで初回に会ったエピソードとして、ロランが過去の哲人、文人の実物手蹟をコレクションしていて見せてくれたこと、片山はロランと大いに語り合ったというふうな感激を書き綴っていますが、ロランの日記には、「会話によって充分に理解し合うことは困難であった」(p127)と会話力の不足を指摘されていました。まだフランスに到着して間もないころだったので、2年間の滞在中にはかなり上達したとは思いますが。

久しぶりに神田古本街を覗く

 今月中旬、東京で会社時代の仲間が集まる会があって出かけたついでに、少しの時間を利用して、ほぼ5年ぶりに神田の古本街を眺めてきました。三省堂書店のあたりが空き地になっていたのと、田村書店が金土日のみの短縮営業になって閉まっていたこと、虔十書林が移転していたこと、古書ワンダーの別館がパチンコ屋「人生劇場」の跡に「古本劇場」として開店していたこと、「人魚の嘆き」がなくなっていたなど、驚きの連続でした。結局買ったのは、日本特価書籍の長島書店で、店頭500円均一棚の下記一冊のみ。
白石和也『錯視の造形―メノトリックス』(ダヴィッド社、78年11月、500円)

 他にこの2か月間の古本購入はすべてネットによります。
 ヤフーオークションでは、
小倉孝誠『「パリの秘密」の社会史―ウージェーヌ・シューと新聞小説の時代』(新曜社、04年2月、180円)
マルセル・シュオブ大濱甫訳『小児十字軍―マルセル・シュオブ小説全集第四巻』(南柯書局、昭和53年11月、300円)
長谷川堯『洋館装飾』(鳳山社、昭和52年7月、1365円)
網谷厚子『日本語の詩学―遊び、喩、多様なかたち』(土曜美術出版販売、99年7月、550円)→W買いでした
    
 アマゾンの古本で、ネットオフから、
須賀敦子『霧の向こうに住みたい』(河出書房新社、03年3月、50円)
須賀敦子『時のかけらたち』(青土社、98年7月、126円)
 バリューブックスから、
須賀敦子トリエステの坂道』(みすず書房、98年8月、80円)
須賀敦子ヴェネツィアの宿』(文春文庫、99年3月、20円)
 天牛書店で、
大室幹雄『月瀬(げつらい)幻影―近代日本風景批評史』(中公叢書、02年3月、1257円)

神谷光信の片山敏彦をめぐっての二冊

  
神谷光信『片山敏彦 夢想と戦慄』(マイブックル 2011年)
神谷光信『片山敏彦 詩心と照応』(マイブックル 2011年)


 志村ふくみの『語りかける花』のなかに、片山敏彦の形而上的な短歌が紹介されていたこともあり、神秘主義関連で片山敏彦についての本を読んでみました。13年ほど前に買った神谷光信のオンデマンド本のシリーズ。3冊買って、そのうちの一冊『へりくだりの詩学』についてはすぐに読んで、このブログでも取り上げました(2011年10月11日記事参照)。この二冊は大事に寝かせていました。

 両冊とも片山敏彦に関する評論になっていますが、『片山敏彦 夢想と戦慄』は、片山敏彦個人に焦点を当てたもの、『片山敏彦 詩心と照応』は、片山敏彦をめぐる人々を紹介論評することで、片山敏彦の人物と思想を浮き彫りにしようとした著作です。二冊に共通する特徴としては、一つは、片山敏彦の神秘主義的側面への注視、もう一つは、文学者の戦争とのかかわりを考察しているところで、『夢想と戦慄』の前半のほとんどと、『詩心と照応』の高橋義孝の章に色濃く現われています。


 『夢想と戦慄』は、大枠では伝記的時系列に沿って進めながら、大きなテーマについては、立ち止まっていろんな他の事例なども交えて論じています。伝記的な流れとしては、医師でありキリスト教徒でもあった父親の影響、中学時代の友人で後に画家となり部落解放運動に携わった岡崎精郎との親交と離別、父親の援助によるヨーロッパ留学でロマン・ロランとの交流が始まったこと、戦前は、第一高等学校でドイツ語の教授として教え、戦時中は日本文学報国会の活動も行ったが、戦後は主としてフランス文学の在野の文学者として活動したことなど。

 そのなかで、著者の新しい発見というべきものは、片山敏彦が、戦時中に日本文学報国会外国文学部会常任理事という地位にあり、一時、機関紙「文学報国」の編集にも関与していたということで、この点に関して、著者は、「戦争協力詩を盛んに書いた詩人たちとは対照的に、ロマン・ロランの姿勢に倣い、戦時中も己の志操を曲げなかった志操堅固な文学者として語られてきた。それはおそらく、『事実』であるとともに『神話』でもある」(p55)と厳しく指摘しています。

 しかし、一方的に非難するのではなく、片山は反戦的なヘッセやロランと文通も続けており、文学的な理想と、現実の役職の狭間で、引き裂かれていたと、その立場に同情してもいます。「片山先生はもうまったく芸術と夢だけで生きているような感じでした」という当時第一高等学校の学生だった今道友信の回想や、「文学報国」編集委員となって3ヶ月後には、第一高等学校の教授を辞職し北軽井沢に疎開していることからすると、そうした役職に嫌気がさしていたということではないでしょうか。

 『夢想と戦慄』のもう一つの大きなテーマは、片山敏彦の晩年の神秘主義への傾斜を、詩と絵画の両面から追及しているところ。50代半ばから永眠するまでの十年足らずの歳月に内面への深遠な旅が急速に深まっていったとしています。

 詩の方面では、「たましひの体より青とくれなゐの光照り出で羽のごとしも」、「われはわが中心にある神の影うつろふものも神にかがやく」(いずれも歌集『ときじく』より)といった短歌が、やがて三行書きとなり、五・七・五の縛めが解かれて自由詩形となり、『片山敏彦遺稿』に収められた「舟は神の海を/かたむいて進む。/舟が沈むなら/それは神の海に沈む/まだ沈まないなら/神のシンボルを/はこぶ」といった詩に引き継がれ、最後に詩的箴言とでも呼ぶべき一行詩に行き着いていると、指摘しています。

 絵画では、ただ花が描かれているとは思えないルドンを思わせる象徴主義絵画や、ドイツロマン派画家フリードリッヒの世界に近似した水彩画があると思えば、暗い画面に青や黄の「*」が白い線で激しく螺旋を描きながら動き回っていたり、白く輝く「+」の周囲を青い「◇」が包んでいたりする抽象画があり、これについては著者は霊我(ゼルプスト)を描いたマンダラと断定しています。

 戦後在野の文学者となった片山は、ジャーナリズムとも一定の距離を置きながら、自宅に片山を慕って集まってきた若者を集めて、一種のヘルメティック・サークルを作っていたといいます。その中には、高橋巌、清水茂、中村真一郎、北沢方邦らが居て、神秘主義的傾向を受け継いでいったのです。


 『詩心と照応』では、高橋義孝山室静高田博厚、宇佐見英治、高橋巌、清水茂の6人が取り上げられています。片山敏彦との年齢差は、高橋義孝が15歳下、山室は8歳下、高田は2歳下、宇佐見は20歳下、高橋巌は30歳下、清水は34歳下で、高田、山室はほぼ同世代、宇佐見以下は次世代で、宇佐見は大学の教え子、高橋巌、清水は片山邸に集まったメンバーです。

 戦中に同じドイツ文学者だった高橋義孝の章では、『夢想と戦慄』と同じく、戦時の文学者のあり方について書かれていて、高橋義孝の戦略の巧みさに触れています。それは自著に権力が文句のつけようもない『ナチスの文学』というタイトルをつけることにより、処女評論集の出版を可能にし、客観的な記述に徹することで学問的誠実さを守りながら、結果的に、「戦争遂行重要人物」と認定されることで、徴兵免除のお墨付きを得たというものです。高橋義孝は、ナチスを信じませんでしたが、同じように、ヒューマニズムも、マルクス主義も信じず、いかなる理想主義に対しても懐疑的なニヒリストであり、そこが片山敏彦と決定的に異なる点だとしています。

 高田博厚の章では、片山が2年間のフランス留学を切り上げるのと入れ代わるようにして、高田がフランスにやってきて、二人でロマン・ロランを訪ねる話があり、高田はそのままフランスに30年も滞在することになりますが、この二人が、当時フランスならず全ヨーロッパを席巻していたシュルレアリズム運動に対して、まったく関心がなかったことに注目しています。同時期にフランスに渡った岡本太郎がシュルレアリズムと接触し、バタイユと親交があったことに触れ、そのあたりに片山敏彦が戦後急激に忘れ去られたことと関係があるのではとしています。

 宇佐見英治の章で面白かったのは、宇佐見が片山敏彦を尊敬しつつも齋藤磯雄に兄事していたことを取りあげ、片山敏彦と齋藤磯雄の二人は両極の存在だが、齋藤の精神を遡行したところに存在する日夏耿之介と片山敏彦とは神秘主義への傾斜という点で共通すると指摘し、さらにその精神的水脈にある人物として、有田忠郎、清水茂、富田裕、吉田可南子らを上げていたこと。彼らに共通するのは、サンボリズムの思想を、たんに文芸技巧上の方法や情緒の問題でなく、世界認識の方法として捉えていて、その背後に西欧神秘思想の底流があることを熟知していることだと指摘しています。

須賀敦子『霧のむこうに住みたい』


須賀敦子『霧のむこうに住みたい』(河出書房新社 2003年)


 これで須賀敦子を読むのはいったん終わりにします。この本は、単行本化されていなかった新聞雑誌への寄稿を、彼女の死後にまとめたもので、イタリア生活の思い出、イタリア各都市の素描、日本の学生時代の思い出、幼かったころの思い出、日本へ戻ってきてからの出来事、ナタリア・ギンズブルグとの交友など、種々雑多な文章がまじっています。それぞれが、新聞、総合誌、文芸誌、出版社の広報誌、企業広報誌など、いろんな媒体に書かれていて、媒体によって文章のトーンが違っているのが面白いところ。

 いつも感心することですが、須賀敦子の作品世界はとても豊穣で、次から次へとエピソードが繰り出されてきて、それも例えば志村ふくみの場合はいろんな文章が重複していたのに、須賀敦子の場合は、聞いたことのない初めての話ばかりです。唯一の例外は、この本の「ゲットのことなど」の文章の一部が、『地図のない道』の「その一 ゲットの広場」で描かれているのと同じというぐらいか。

 自分の体験を描くのに、これだけの材料を持っている人はそんなに居ないでしょう。しかも彼女の単行本は、一冊のなかに、たくさんの場所、たくさんの時間が入り乱れて錯綜しており、嵌め木細工のように叙述されているのが、魅力になっています。このいくつかの挿話を並行させながら語る手法は、音楽でいえば交響曲ソナタ形式にに似ているような気もします。

 前々回、私小説の系譜と、洋風の海外生活ものの系譜が混じり合っていると書きましたが、そうした作品全体で一種の須賀敦子サーガを形成しているようにも見えます。もし時間があり余っている若いころだったら、須賀敦子の作品の全体を時間軸に沿って組みなおして一つの大長編にするとともに、場所別登場人物別年表を作成してみたいと思うぐらいです。しかしそんなことをすれば、パッチワークのような彼女の作品の魅力を台無しにしてしまうことになってしまうでしょう。

 この本のなかでも、彼女の創作の秘密に触れるような文章がありました。「となりの町の山車のように」のなかでの次のような言葉。「『線路に沿ってつなげる』という縦糸は、それ自体、ものがたる人間にとって不可欠だ。だが同時に、それだけでは、いい物語は成立しない。いろいろ異質な要素を、となり町の山車のようにそのなかに招きいれて物語を人間化しなければならない。ヒトを引合いにもってこなくてはならない。脱線というのではなくて、縦糸の論理を、具体性、あるいは人間の世界という横糸につなげることが大切なのだ」(p121)。

 蛇足ですが、この本の出版は河出書房新社で、それまで一切須賀敦子の作品を出版していないのに、この本の元となったらしき「須賀敦子全集」をちゃっかり出しているのはどういうわけでしょうか。