伊藤海彦の二冊

  
伊藤海彦『季節の濃淡』(国文社 1982年)
伊藤海彦『渚の消息』(湯川書房 1988年)


 久しぶりに伊藤海彦を読んでみました。このブログを始める前、2006年頃に、『きれぎれの空』と編著『詩人の肖像』を読んでいますが、自然の風物を織り込んだ詩人らしい抒情的な文章に魅せられたことを覚えています。今回、その期待はまったく裏切られませんでした。

 『季節の濃淡』がエッセイ、『渚の消息』は散文詩のかたちを取っていますが、ともに同じテーマにもとづく作品。というか、『渚の消息』には、『季節の濃淡』のいくつかの章を散文詩に置き換えただけと思われるものもありました。『渚の消息』は散文詩だけに短く、内容もおおまかで、味わいとしては、詳細かつ論理的具体的に語っている『季節の濃淡』の方にはるかに良質のものを感じました。


 『季節の濃淡』では、花や草木、蝶、魚、鳥、貝、海、雲などの自然を、感受性豊かに細やかに観察し、また、砂、浜辺、石段、窓、氷、火など、日常のありふれたものにまなざしを向け、その根源的な在り方を想像し、詩情あふれる文章として綴っています。

 いくつか例を挙げてみますと、

けもの道とかも味わいがあって私の好きな言葉だが、蝶道はさらに夢幻的な感じがする。さまざまな蝶の翅の絵模様やその飛翔のリズムがうかんでくるのに、道そのものの姿のない所がいい。それはいつもイメージのなかの道、空間の道だ/p10

蝶は・・・魂と呼ばれているあの私たちの中の見えない部分に似ていると思われてならなかった。ゆっくりとひらいたりとじたりするあの翅の動きが、抽出された生命の呼吸(いき)づきのように思えたし、何よりもその「一片(ひとひら)」と呼びたいようなあの軽さが、飛ぶというよりは浮遊しているといった感じを与えるからだ/p13

どの巻貝でもそうだが螺旋状の階段はいつも、それを手にするものにある幻想を抱かせる。テングニシは・・・その突起がこすれていたんでいるだけに、何か古びた城―それも今は住人のいない廃墟となった城を思わせる/p56

公孫樹・・・葉の質が厚く、その黄色が鮮やかなので陽光をうけているとき形容ではなく本当に黄金色に輝いて見える。そして、そびえている樹形そのまま金の炎となって天上へ果てもなくのぼっていくようにさえ見える/p161

 私は、草花の名前もよく知らず、鳥の区別もよく分からない自然音痴ですが、著者は、草木や花の名前もよくご存じで、その魅力を存分に語ってくれ、フジツボや貝のことも詳しいようで、蛇も含め、自然を楽しむすべを教えてくれます。こんな人に連れられて野山や浜辺を歩けば、さぞ楽しいことでしょう。

 著者は、海にも山にも恵まれた鎌倉に住んでいますが、海岸がどんどん埋め立てられ、コンクリートで固められ、自動車用道路ができ、潮だまりが消えていく様子が、随所で語られ、かつて豊かだった自然が失われて行くことを悲しんでいます。そしてそれがこの本の基調となっています。 

 ご自身の性格について触れた文章がいくつかあり、著者の姿が垣間見えたような気がしました。真っ黒になってとびまわり、一日中泳ぎ回ってるというのでなく、泳ぐのがからきし駄目で、潮だまりで一人遊ぶというのが性に合った少年で、けわしい登山はしたことがなく、丘歩きが専門で、道のなかでも小径が好きといいます。


 『渚の消息』は、湯川書房らしい瀟洒な造りの本。ここでも、失われた風景への哀惜が基調になっていました。『季節の濃淡』と共通する話題としては、昔子どもたちがよく鳴らしていた海ホオズキを懐かしむ「海酸漿」(『季節の濃淡』では「もの憂い楽器」)、満ち干きの神秘を語る「潮時表」(「こころの満干」)、海の家で食べたゆであずきを思い出す「夏の序曲」(「海辺の小屋」)、ヒメルリガイへの思慕を語る「空のかけら」(「冬の渚」)、波や風がつくる砂地の美しさに触れた「砂の画布」(「砂の言葉」)、水平線への憧れを綴った「心の傾き」(「生きている『遠方』」)など。


 もっとこの人のエッセイを読みたいですが、あらかた読んでしまったのが残念です。

FRÉDÉRICK TRISTAN『La cendre et la foudre』(フレデリック・トリスタン『灰と雷』)


FRÉDÉRICK TRISTAN『La cendre et la foudre』(BALLAND 1982年)


 フレデリック・トリスタンを読むのは、これで5冊目だと思います。ネットで見ると、トリスタンの作風には、中国もの、幻想驚異もの、偽史もの、迷宮ものの4種あるとしています。なぜ中国ものがあるかというと、トリスタンはグラフィックの仕事をしていて、その関係で、ベトナムや中国に滞在していたことがあるからのようです。この分類でみれば、これまで読んだのは幻想驚異もの3冊、迷宮もの1冊で、中国ものを読むのは初めて。

 本作は、ひとことで言えば、中国を舞台にしたファンタジー小説で、明と清という王朝名が出てきますが、史実とはまったく関係がなさそうです。劇画調と言えばいいのか、極端な豪傑が登場し、幻術を駆使して闘ったり、奇想天外なことが起こったり、仏陀や観音、道教の神々が次々と登場するなど、荒唐無稽と思われるところも多々ありました。

 物語は、大きな枠物語になっていて、ある男が眠っていると、100年前に死んだという女が現われ、生きている時に夢のなかで聞いた話が重荷になって、誰かに話さないとあの世でも落ち着かないからと言って聞かせてくれたという前振りがあり、最後に、これが夫人が語った話だ、という言葉で終わります。話された内容は概略次のとおり(ネタバレ注意)。

明の名君ティエン・キ皇帝の治世に、北西からモンゴル軍が攻め寄せて来たとき、堕落した明軍が戦線を放棄したところを、山岳仏教集団が仏助によってモンゴル軍を殲滅し、皇帝にしか所持を許されない印璽を賜った。皇帝から罷免された明軍の元帥は、仏教集団に恨みを抱いて、皇帝が亡くなり新皇帝が誕生すると、また元帥に復帰し、仏教集団を壊滅させようと、作り話をして新皇帝を唆す。印璽を取り戻したい新皇帝は、仏教集団に新年の祝いとして毒入り酒をプレゼントし、悪疫で死んだということにしようと奸計をめぐらす。

元帥は、毒入りワインを持って寺院へ乗り込み、同時に軍に寺院を包囲させる。仏教集団の管主は毒入りと見破ったが、すでに兵士が寺院に乱入し、寺院に火を放った。混乱のなか管主と4人の僧は辛くも仏助によって脱出できた。一方、印璽が手に入らなかった皇帝は、元帥を罷免し、代わりに満州族の古い家柄のシェ・ツーを後任に据えた。しかし、シェ・ツーはすでに貴族たちへの根回しによって、皇帝を引きずり降ろし自分が新たな清王朝の祖となる準備を整えており、直ちに皇帝を地下牢に閉じ込める。

新しく成った清朝皇帝は、逃げた僧が印璽を持っているとして、全土に高額懸賞金の指名手配をかける。管主と4人の僧は途中でかくまってくれた船頭2人とともに逃げるが、ついに浜辺で大勢の兵士に取り囲まれた。万事休すのとき海に橋が架かり、それを伝って逃げる。兵士らには橋が見えなかった。橋の先には、焼き払われた寺院で死んだ僧たちが待っていて、再会を祝す。仏陀の助けにより一行7人は天に昇り、不死の宮殿の翡翠の皇帝に、今後どうすべきかの指示を仰ごうとしたが、天上軍の元帥によって3年間牢に入れられてしまう。

その3年の間に、中国では、印璽を見つけられないという理由で、元帥が次々と交代させられ、そのたびに暴虐の度合いが強くなって、全土が殺戮の巷と化し密告が横行していた。見かねた仏陀は、翡翠の皇帝に管主ら一行7人を釈放させ、中国の解放に力を貸そうと約束する。一行は地上に降りると、清朝を打倒せよという宣言文に印璽を捺印したお触れを出したので、清朝皇帝は怒って、そのお触れの元に大軍を派遣した。一行はまた逃亡し、古い寺院に辿り着くが、目覚めると寺院が船になっていた。川を遡って行くと、市が開かれていて、そこから柳の町の赤い花の宮殿が遠望できたが霧に霞んでしまう。そこで一同目覚めると、まだ古い寺院のなかだった。

途中で馬商人5人が合流した一行は、ある村で虐殺を終えたばかりの兵士たちと遭遇する。管主が桃の木の剣を天に向けると、虐殺された死者が起き上がって、兵士らの首を絞め殺した。隣の村に行くと、騎馬兵らが居て、一行に襲い掛かってきたが、また剣を上げると見えない壁ができて馬が転倒した。隊長は逃げ、騎馬兵らは彫像と化した後ひび割れて粉々になる。その後、一行は、地下牢から無事脱出していた明王朝の皇帝と合流でき、皇帝が深く反省していたので、印璽を皇帝に預けた。一方、中国の各地では民衆が蜂起し、シェ・ツー皇帝自らが率いる軍が鎮圧しようとして谷間で立ち往生してしまっていた。そこへ管主ら一行が訪ねて正式な決戦を申し出る。

管主らの反乱軍が西、シェ・ツー皇帝の軍が東に陣を取り、5千の兵ずつで戦うことを決め、戦闘が開始されるが、両陣営同数の死者を出しながら推移し、最後は、反乱軍を統括する軍神と皇帝軍元帥の一騎打ちとなった。軍神は元帥を刺し殺すが、自らも無傷のまま命を終える。管主ら一行は、軍神を手厚く葬ったのち、秘密結社天地会を結成することとした。その後管主ら一行が具体的にどうなったかは分からない。

 後記として、トリスタンが次のような説明を加えています(抄訳の意訳でかなりいい加減、以下の引用句も)。
中国の秘密結社天地会、またの名、三合会は実在し、アジア全体に広がって、あるときは毛沢東の小細胞として、またヴェトナムの抵抗戦線として現われた。今日でも、世界中の中華街に存在していて、中華料理店主が信者だったりする。この作品は、イギリスのウォードとスターリングの書いた天地会についての著作を参考にし、フランス読者向きにアレンジしたものだ。一部史実に基づくが、かなり想像でふくらましている。日本のドライフラワーが水に浸ければまた隠された美を見せるように、読者諸兄も、この物語のなかから、隠された意味や失われたものを見つけてほしい。


 物語は、フレデリック・トリスタンならではの言葉の魔法が楽しめます。虚言が横溢し、虚と実が入り混じって、どれが本当か分からなくなる境地に引っ張り込まれてしまいます。とくに、仏教教団の管主ら一行が古寺に辿り着き、目覚めたら古寺が船になっていて、川を遡っていく様を述べたⅩⅢ章は、フレデリック・トリスタンらしい眩惑の章。川の初源にある市から赤い花の宮殿を遠望した後、まわりが霞んできて目覚めたら古寺のなかにいたという場面。しかも遠望した赤い花の宮殿は、船の中の祭壇の「11の旗で飾られた山盛りの赤飯」だったことが分かるといったところ。

 ところどころに東洋的な神秘を感じさせるフレーズが出てきます。例えば、「この世は見せかけのもの。満ちてると思うのは虚無の見せかけ、虚ろと見えるのは充満の見せかけ」(p172)、「戦いは、いつ始まりいつ終わるか、誰も知らない。満ち潮引き潮のようなものだ。終わったように見えてまた始まるのだ」(p192)、「始まりが終りと一致する。至上の龍は始源の芽の中にすでに存在しており、最初は終りの木霊である」(p204)。他に、最高権威を象徴する印璽など、西洋人から見れば、東洋の宗教や智慧は神秘的なものに映るようです。

 本作の一つの重要なテーマは、二元論(二項対立)の超克でしょうか。明と清の戦いは、真珠を争う陰と陽の二頭の龍の間の戦い、月の息子である清と太陽の息子である明の戦いに譬えられますが、この二つの対立は、さらに女性と男性、左と右、動と不動、濃密と希薄、天と地、可視と不可視など、さまざまな対立概念へと拡張されていきます。そして、この二つの戦いは、龍が争う真珠が不滅である限り終わらず、一つが満ちれば一つが欠け、一つが増えれば一つが減るというように、立場を逆転し均衡を保ちながら永続してゆくとし、人間だけが、この天と地の対立の間に橋を架け、三立へと変化させることができると主張しています。これが天地会、またの名を三合会と呼ばれる教団の根本教義のようです。

 仏陀と観音、あるいは仏陀道教の神々が喋り合ったり、動物の顔をした十二支の神々が出て来たりと、神聖な存在が俗っぽく描かれる場面も多く、仏陀が急ぎのあまり戸をノックせずに観音の家に入っていくといった場面では、思わず吹き出してしまいました(p138)。観音開きの戸だったのでしょうか。

清水茂『詩とミスティック』


清水茂『詩とミスティック』(小沢書店 1996年)


 今年に入って、清水茂を、『詩と呼ばれる希望』、『遠いひびき』、『翳のなかの仄明り』と読んできた続きで取り上げてみました。小沢書店らしい瀟洒な造りの本です。内容は、大きく、詩とミスティックをめぐってと、戦時における文学者の態度についての二つに分けられると思います。

 詩とミスティックについては、詩とミスティックの両者に共通するものを見ているわけですが、キーワードとして、夢、象徴、不可視なるもの、純粋詩キリスト教があり、また、具体的事例として、ドイツ・ロマン派、シモーヌ・ヴェイユ、ボヌフォワロマン・ロランが取り上げられていました。いくつかの論点を、私なりに理解して単純化したうえで挙げておきます。

①ミスティックとは何か:キリスト教に限らず、インドをはじめ世界共通にミスティックな思想があり、喜悦の状態や幻視が語られるが、喜悦や幻視は副次的産物であって、ミスティックの本質は、存在の奥に自己自身を超えた何ものかを感じる感覚、すなわちある種の照覚の意識にある。それは他のものに置き換えて理解することも、伝達することも不可能なものであり、詩的体験と共通するものがある。

②詩とは何か:詩の発見とは、地上的な現実を否定するのでなく、現実のなかにもう一つの世界の象徴的意味を読み、可視のものに託された不可視の意味を見てとることであるが、この発見は受動的な状態において生じるものであり、詩人自身にもこの神秘がどうして訪れたかの説明がつかない。その点でミスティックと共通するものがある。象徴にはさまざまな解釈があるが、一致しているのは、客観的な意味の背後に、不可視の深く隠された意味を含む何ものかを見ようとするところにある。

純粋詩とは何か:主題とかあらすじとか、フレーズの意味、思考の論理的な脈絡、さらには情緒にいたるまで、散文にあるすべての要素を、詩においては純粋でないとして除外していった場合何が残るのだろうか。いくつかの語やリズムと韻律といったものに鍵があるのだろうが、結局、純粋詩というものは到達不可能な目標である。純粋詩というものが詩の本質であるとしても、詩は、純粋でない要素によってしか伝えられないものではないか。

④詩とミスティックの具体例:
a.ドイツ・ロマン派の人たちとシュールレアリストたちの試みとはきわめて近いものがある。それは、夢に手段を求め、無意識の領域を踏査すること、詩の源泉でもあるような内的な感覚の確証を探ることなどにおいてである。

b.シモーヌ・ヴェイユは、耳の聞こえない人に音というものを思い浮かべることができないように、不幸を共感すること、自らのミスティックな体験を伝えることは不可能であり、物事が経験の領域にとどまっている限りは本質的に非論理的なものであると考えたうえで、何とかそれを論理的な表現に置き換えようと努力する。また有限な存在である人間は、無限な存在と対峙するとき、受動的にならざるを得ないとしている。彼女の思想の中心にはこの受動の神秘性が残るのである。

c.ロマン・ロランは、プロティノスからフランソワ・ド・サールにいたるまでの、キリスト教世界におけるミスティックたちに深い関心を寄せていた。『愛と死の戯れ』の主題も、死を通じて自らの生を成就するという考え方であり、そこには、誰もが免れ得ない個としての死こそ、全一なるものへの窮極的な帰還であり結合であるというミスティックの考えが反映している。また晩年の文章「私の告白」において、自分が実感として触れた神と、『福音書』が語る神とは明らかに違うと告白している。


 戦時における文学者の態度については、いくつかの論点がありました。
①アルベール・ベガンは、著書『ロマン的魂と夢』や『ネルヴァル』で、人間の魂の秘密の領域を探っていたが、第二次世界大戦を挟んだ10年後の彼は、変貌した。「書物とのあいだで個人的に交わされる対話のみを報告するような者による批評の機能を回復することは不可能であると思われる。このような危機の時代にあっては、批評家もまた、その責任を引き受けなければならない」と文学者の政治責任について覚醒を促すようになる。

②驚いたのは、第一次世界大戦開戦時に、「アンリ・ド・レニエが〈ゲルマンの鷲の両眼を、その雄々しい嘴で〉えぐる〈ゴールの鶏〉をうたい、マーテルリンクが義勇兵として従軍を志願し、ベルクソンは自分が会長を務めている精神科学アカデミーでドイツ攻撃の熱烈な講話を語った」という記述で、フランスも日本と同じく、文学者が愛国心を鼓舞していた様子がうかがえること。

ロマン・ロランは、第一次世界大戦前に、アルフォンス・ド・シャトーブリアンとルネ・ジレという二人の若い友が居たが、ロランが反戦の立場に立ってスイスにとどまる一方、二人は参戦したことで、友情に亀裂が入る。とくに、シャトーブリアンは、大戦終了後、ヨーロッパの若い力に期待して、ドイツへ近づいて行き、第二次世界大戦終了後、親独派として死刑宣告を受けた。ロランがそれでも、主張の違う友人たちと繋がろうとした態度には敬服する。ロランが送った手紙には、「私たちの思想の相違が決してきみの友情の妨げにならないようにとのぞんでいます」と書き送っていた。

今年は2ヶ月でまだ7冊

 今年初めての古本報告です。今年に入って、特別な古本市もなく、わざわざ古書店に行くにも気乗りがせず、興味のある本を細々とネットで注文するのに留まりました。さすがにこれ以上買ってどうする?という声も内から聞こえてきて、この調子で古本買いもそのうち終息するのかと思ってしまいます。以下、購入本。

 今回は、アマゾン古本での注文が多く、オークションは、下記の2点のみ。
西出真一郎『星明りの村―フランス・ロマネスク聖堂紀行』(作品社、08年5月、605円)
→『木苺の村―フランス文学迷子散歩』が抜群に面白かったので。
『終末の文学―矢内原伊作の本2』(みすず書房、87年1月、600円)
→これも、『顔について―矢内原伊作の本1』が面白かったので。
  
 「日本の古本屋」では、古書ワルツから下記1点。
宇佐見英治『見る人―ジャコメッティと矢内原』(みすず書房、99年9月、900円)

 あとは全部、アマゾン古本です。
犬飼公之/緒方惟章/立花直徳/山田直巳『古代のコスモロジー―日本文学の枠組み』(おうふう、00年3月、309円)
→以前読んだ犬飼公之『影の古代』が面白かったので。
植村卍『卍・逆卍の博物誌―第一部 日本編』(晃洋書房、08年10月、462円)
→「海外編」もあるようだが高い。
『モンマルトル便り―矢内原伊作の本5』(みすず書房、87年9月、780円)
高橋たか子『巡礼地に立つ―フランスにて』(女子パウロ会、05年2月、825円)
      
 矢内原伊作関連本が三冊になりました。

博学系評論二冊

  
篠田一士『三田の詩人たち』(講談社文芸文庫 2006年)
松浦寿輝『黄昏客思(こうこんかくし)』(文藝春秋 2015年)


 この二冊も、たまたま続けて読んだというだけで、そんなに共通点はありません。強いて言えば、二人とも大学の文学の先生で、文学芸術全般にわたって造詣が深く、まわりから博学の士と見られているというところでしょうか。

 『三田の詩人たち』は、慶應義塾大学と縁の深い久保田万太郎ら6人の作家、詩人について語ったもので、好感を持てたところは、どこかでの講演録かと思われるぐらいの語りかけるようなやさしい文章ということです。文芸作品をたくさん読んでいて、敬服しますが、作家や詩人に対する評価では、私の感性とはどうしても相いれないところが結構ありました。しかも理由も言わずに一方的に決めつけ切り捨てるような感じで評価を書いているのが、不満。

 読んでいていくつか印象に残ったことを書いておきます。
①ひとつは、久保田万太郎の俳句が私好みなのにあらためて気づかされたこと。20の句が紹介されていたが、そのなかで下記が傑出していた。

短夜のあけゆく水の匂かな

波の音はこぶ風あり秋まつり

だれかどこかで何かさゝやけり春隣

また道の芒のなかとなりしかな

雪の傘たゝむ音してまた一人

春の灯のまたゝき合ひてつきしかな

 うまく表現できませんが、言外の情景までが浮かんでくるような喚起力の強い言葉が並んでいます。これは単なる写生ではありません。

②文壇の動きに関して、現代では、ジャーナリズムの商業主義が高度に発達しているが、戦前の文壇は作家一人一人の交友関係を軸に形成されていたという指摘と、それに関連して、大正文壇においては、小説家だけでなく、詩人や歌人も、同じ一つの文学的世界のなかでお互いに交流していたが、現代では文壇と詩壇は交流がない、これは、西脇順三郎モダニズム詩の登場が契機となったという指摘。文壇側は、訳の分からない詩は文学でないとそっぽを向き、詩壇側は、自分たちの高度な作品の価値は、小説家のような俗な連中には分かるはずがないと馬鹿にしたという。

③自作年譜で書いているが、自分の文学的な成長に大きく影響した人物として、旧制松江高校時代に森亮先生と出会ったことを挙げ、また学者・評論家になった後では、川村二郎との深い交友を特記していたこと。

④作家、詩人の評価で、私の感性と相いれないのは下記のような言い方。
「『邪宗門』とか『思ひ出』なんかは読むに耐えませんね」(p47)、「『茂吉と朔太郎』という一文を書いて、なんとか朔太郎を持ち上げようとしたことがありましたが、いかんせん駄目でした」(p48)、「上田敏・・・自分で自分の言葉に酔ってしまい、そこに深入りしすぎてしまったというようなことなのか―とにかく、訳詩としても創作詩としても何かよく分からない、あまり上等なものとは言えないんですね」(p126)、「『珊瑚集』という、日本の近代訳詩集の中では、五指は無理にしても」(p170)、「レニエの訳詩は必ずしも荷風の『珊瑚集』の中ではいいものとは思えませんから、忘れられても致し方ない」(p175)。

⑤さらに腹が立つのは、荷風がフランスの小説をたくさん読んでいることに触れて、「荷風は批評家じゃないから、あくまで自分の小説にどれだけ参考になるか、使えるかという、プロフェッショナルな下心で読んでいるんだろうと思います」(p195)と功利的な邪推を働かしているところ。楽しみのために読む人もいることを忘れている。


 『黄昏客思』は、大学退職後に自由気ままに感想、回想を綴ったエッセイ。この人も、『あやめ 鰈 ひかがみ』、『もののたはむれ』の幻妖な世界を創出したり、抒情的な詩を書く人で、崇敬していたのに、今回、この本で、人間性に疑問が生じてしまいました。文章が好きになるとは、結局、最後は書き手の人柄に魅せられるかどうかになるのでしょうか。

 いくつかの論点の抽出や、感想は下記のとおり。  
①老いていくなかで、自分と縁のあった人々や、自分が過去に経験した営みも、有と無のあわいに揺れる影のように見え始め、「ひょっとすると居なかった、なかったのかもしれない」と人は呟くが、その呟きの中にはたぶん、老いにのみ固有の幸福があるのだろうと書いていた。これは、前回読んだ森於菟の「耄碌寸前」の境地と同じだし、また上林暁が書いていた記憶楽観性(思い出はつねに美しい)にも通じる現象ではないか。

②詩の言葉に対する繊細な感性には同意できる部分が多い。例えば、吉岡実の詩「静物」について、「増してくる」「沿うてゆく」から、「最も深いところへ至り」「よこたわる」へ、さらに「重みを加える」「かたむく」まで、多様な運動が次々に組織されてゆく、と鑑賞しているところ。バシュラールの「引き出し」「小箱」「巣」「貝殻」「片隅」「ミニアチュール」といった「内部」のテーマに関する文章を、美しい詩想のつづれ織りと表現しているところ。

③現代詩は、形式の束縛から解き放たれたが故に、叙述の冗長さに汚染されやすくなったと指摘したり、言葉を増殖させ物事を限定することで個物の特異性を際立たせることが小説の方法とすれば、詩の領分でその方法を取り入れると、詩自体は痩せていくという指摘には共感した。詩とは、芒洋としたものであり、詩には訳の分からなさが必要なのだ。

④科学の発展と人間の関係から、人間の行く末を論じた部分は、私の問題意識とも重なるものがある。世界を改変しようという人間の姿勢は、地面に一本の線を引くことから始まったが、科学の発展は、いまや自動運動のようなありさまになっていて、ついに原子力発電やゲノム解読までに至った。核廃棄物をとめどなく産出させ続けるのは、もてなしてくれるあるじの家に、刻々増大する汚物を無理やり持ち込むのと同じことではないのか。しかし科学的努力を止めようとしてまた努力するというのも明らかに論理的撞着であり、観念的曲芸であると指摘している。ではどうすればいいのか。

⑤残念なことに、文章の端々に、斜に構えたような態度が窺えて鼻持ちならぬ。自分の立ち位置を皮肉っぽく確認するやり方は嫌味。例えば、「ただ平凡に、わが国にも優れた民主的リーダー出でよとだけ言っておけばいいのかもしれぬ・・・毒にも薬にもならない新聞社説ふうのそんな物言い」(p41)、「わたしはせいぜい『町人』にすぎず、フランス文学の勉強をしようがパリに留学しようが、『市民』に成り上がりたいと思ったことなど未だかつて一度もない」(p70)、「『連帯を求めて孤立を恐れず』などという骨董品のような言葉がふと頭をよぎり、思わず苦笑してしまう」(p141)といったような文章。

⑥誰か具体的に不愉快に思っている人物が居るのか、次のような言葉は、読んでいて気持ちの良いものではないし、痛々しさも感じてしまう。。「世界の本質が『売り』と『買い』にしかないという痛切な真理を子供のときにつくづく感得するといった哀れな体験などとはまったく無縁の、育ちの良いインテリふぜいが、一葉について気の利いているふうのさかしらを書いているのを読んだりすると、おのずと唇の端に憫笑が浮かばないわけにはいかない」(p68)、「死の接近とともに自分自身にますます執着してやまない不幸な老人も少なくないが、その醜状からは眼を背けていたい」(p215)。

⑦「いかに高度な専門知で武装していようと羞恥の倫理を持っていない者は専門家の名に値しない。専門家の誇りとは、自らが知的に優位であることについてではなく、知的優位が容易に権力へと堕しうることを絶えず自覚し、羞恥のモラルを備えていることの矜持でなければならない」というようなすばらしい言葉もあるが、そもそも知的優位を感じること自体がおかしい気もする。

森於菟と上林暁の随筆集

  
森於菟(池内紀解説)『耄碌寸前』(みすず書房 2011年)
上林暁/山本善行編『文と本と旅と―上林暁精選随筆集』(中公文庫 2022年)


 この二人は、森於菟が1890年生まれ、上林暁が1902年で、年も少し離れていますし、仕事の畑もまったく違って、何の関係もありません。ただ入院中の気楽な読み物ということで、たまたま手に取ったものです。この後読んだ篠田一士松浦寿輝の才気煥発風で尖った文章に比べると、ともに脱力系の純朴で穏やかな筆致が共通していると言えるでしょうか。


 森於菟はご存じのとおり、森鴎外の長男で、解剖学がご専門の医学の先生。なので、この本の半分ぐらいは、「なきがら陳情」「死体置場への招待」「解剖随筆抄」など、死体の話や、解剖などの話、あとは「観潮楼始末記」「鴎外の健康と死」の父森鴎外の思い出の2篇と、「耄碌寸前」「抽籤」などの身辺雑記・回想となっています。森鴎外に関するものは、真面目な筆致ですが、それ以外は、軽妙でとぼけた味わいがあります。

 とりわけ、「耄碌寸前」は抜群に面白い。「私は自分でも自分が耄碌しかかっていることがよくわかる」(p2)と書き出し、「これからの私は家族の者にめいわくをかけないように、自分の排泄機能をとりしまるのがせい一杯であるらしい」(p3)とか、「若くして才気煥発だった人が顔をそむけたくなるような老醜をさらすのは同情に価するが、そこは私は気が楽である」(p4)と自虐的な感想を洩らし、最後に「あまりにも意識化され、輪郭の明らかすぎる人生は死を迎えるにふさわしくない・・・人は完全なる暗闇に入る前に薄明の中に身をおく必要があるのだ」(p5)と一種悟りの境地に入っていきます。

 「観潮楼始末記」は、鴎外が多くの文人らと交わった家にまつわる思い出で、当事者ならではの報告。蔵書の虫干しに、森鴎外が指揮を執り、書生も含め一家総出で、一、二週間かけて行った様子や、日露戦役から凱旋した鴎外が、「右の肩をそびやかしながらロスケロスケと大声を出していた」(p41)という意外な一面が描かれ、鴎外の死後、家を人に貸した結果、暴力団が住みつくようになって警察沙汰になり、別の人に貸したら、その人が酒精を瓶詰めする作業をしていて、家を全焼させてしまうという顛末が語られています。

 アダムとイヴの絵に臍が描かれているが、アダムとイヴには親はおらず、臍のあるべきはずはない、という指摘は、医者ならではの発想で、これまで見過ごしていました。


 上林暁は、私小説の作家。東京帝国大学の英文科を卒業し、改造社の編集者を経て作家になった人。この本は、タイトルにある、文、本、旅の話題に、酒、人を加え、それぞれのテーマ別に、随筆を編集したもの。実は、私は上林暁の小説も随筆もこれまで読んだことがなく、山本善行の「関西赤貧古本道」や、山本善行岡崎武志の対談「新・文學入門」で推奨されていたのが頭に残っていたので、買ったもの。本書は、その山本善行編となっていて、氏の思いが詰まった一冊となっています。

 一読して、上林暁という人が、きわめて正直で真面目な人だということが分かりました。自分の至らなさを素直に反省し、自分より優れている人には純朴なまでに敬服し、謙虚な姿勢で自らの特性を分析しています。具体的には、デビュー作に対して、「まだ作家として肝の据わっていなかった私は、これを純然たる私小説に仕上げることが出来なかったのだ。私は臆病で、勇気がなかったので、何もかもぶちまけることが出来なかったのだ」(p12)と告白したり、「私は雑誌記者としては腰が重く、交渉も下手で、冴えたプランもなく、わずかに広告文を書くことに所を得ているくらいなものであった」(p16)とか、「私は中学時代に、自然主義系統の『文章世界』という雑誌を愛読したため、その影響を受けて、自然主義風な古臭い文章を早く身につけた」(p60)といった具合。

 その真面目で小心なところにどことなくユーモアさえ漂っています。例えば、作品のなかに妹や娘らのことを赤裸々に綴っているため、彼女らには作品を読ませないことにしているし、彼女らも作品には目に触れたくなさそうにしていたが、作品がラジオで朗読されることになった。いつも隣家ではラジオを大きな音でかけているので、困り果てたあげく、放送時間にラジオをつけないでくれと頼みに行ったりします。

 全体としては、自分の体験を振り返って、それを些か情緒的に綴った身辺記です。そこに普遍的な問題を見つけたり、社会的な問題提起をするとかはありません。本人も「思考力、批判力の貧しさを嘆いている」と、自ら認めているように、物事を論理的に問い詰めるという点では弱いような気がします。

 中央線沿線の文士の集まりは有名ですが、青柳瑞穂の家で行なわれていた阿佐ヶ谷会を中心に、酒呑みの交流の様子が面白く紹介されていました。井伏鱒二は、夜通し飲みかつ語って、始発の電車まで飲むことも度々だったが、酒を飲むテンポが遅かったとか、いちばんの酒豪は青柳瑞穂のようで、ビールから始め次に日本酒、最後にウィスキーと三段階に分かれ、入院した時もベッドの下にウィスキーを忍ばせたといい、河盛好蔵辰野隆、外村繁は酔うとよく歌ったと書かれていました。酒宴に紛れ込むことができたらさぞ楽しいでしょうね。

André Dhôtel『La nouvelle chronique fabuleuse』(アンドレ・ドーテル『新・架空噺』)


André Dhôtel『La nouvelle chronique fabuleuse』(Pierre Horay 1984年)


 2年前読んだ『Les voyages fantastiques de JULIEN GRAINEBIS』(2022年1月15日記事参照)が面白かったので、手に取ってみました。期待どおり、不思議な冒険譚の数々が収められていました。文章は、このまえ読んだJ.-H.ROSNY AINÉ『LA FEMME DISPARUE』より少し難しくなったように思います。

 冒険譚といっても、大掛かりな冒険が語られているわけではありません。日常的なささやかな冒険、少年時代に近所の野原に行くような冒険です。序を含め、全部で11篇の短篇が収められていて、一人称で語られていますが、うち5篇がマルティニャン君への呼びかけのかたちで、綴られています(ほか1篇にもマルティニャン君が名前だけ登場)。

 内容にも共通したところがあります。それは、偶然の出会いのテーマです。出会うのは、人けのない駅のベンチで隣り合わせた男であったり、森のなかでじっと動かない男であったり、廃線になったプラットフォームのベンチで寝ている男であったり、ベンチに腰かけている老人であったり、歩いているとき横に並んだ美少女であったり、踏切番の娘であったり、あげくは鷲であったり、犬と狼の出会いであったりします。

 出会った人物には不思議な秘密があり、話者は好奇心を刺激されますが、なぜかまた偶然の再会が何度も起こります。小説ならではの出来事です。偶然に出会うという状況にふさわしい場所として、駅のプラットフォームとか、駅の構内、待合室、反対側の列車の窓に見える顔、森のなかの小道、橋、カフェ、市場さまざまな場所が登場します。

 郊外の土手があり線路があり小川が流れている景色が、いくつかの物語に共通して出てきましたが、なかで、この本の三分の一を占める中篇「L’enfant inconnu(見知らぬ子)」では、田園、荒地、森、小川など自然を舞台にした少年期の黄金時代のような体験が語られ、『モーヌの大将』を思い出させるところがありました。

 蛇足ですが、いつも私が気にしている日本の話題については、「日本の建物も、想像上の寺に通じるように入口をつくると聞いた」(p15)という言及がありました。

 面白さをうまく伝えられるか自信はありませんが、各篇の内容を簡単にご紹介します(ネタバレ注意)。
Mon cher Martinien,(マルティニャン君)
序にあたる部分。「世の中に神秘などない・・・とにかくすべては遠くにあるんだ。だから遠くを見つめるしかない・・・幼時のみ遠くを知っていた」(p7)と語り、いくつかのそうした謎を書いてみようと宣言する。

〇Autrefois et toujours(かつてそして今もずっと)
ある男と偶然に出会い、あと2回会えば秘密を話そうという妙な提案を受ける。不思議なことに、偶然2回会うことになり、その男から学生時代に知り合った一人の女性への思いを聞く。絶えずその女性のことを考えているうちに、現実の中に女性の幻影が忍び込んで来たと話す。男の狂気を感じさせる話。

〇Martinien, tu ne m’écoutes pas(マルティニエン君、君は私の言うことを聞いてないね)
あるときポンヌフの橋で不動の姿勢をとっている男を発見した。すると女性が近づいてきて、その男に指輪を見せると仲良く一緒に歩いて行った。不思議な現象に好奇心を刺激され、次に男を見かけたときその訳を問うと、14歳のとき市場で偶然出会い安指輪をプレゼントした美しい少女と、また偶然邂逅したという。「わしと彼女は恋をする年頃になる前と、もうそんな年ではなくなってから出会ったわけだが、恋よりも素敵だと思う」(p29)というセリフがいい。

◎Le train de l’aurore(明け方の列車)
駅のホームで廃線の前のベンチで横になってじっと待っている男。駅員は、空想の列車を待っている男だと言い、男が3回のデートをすっぽかして女性に振られた話を物語る。がその夜、たまたま事故の影響でそのホームに留まった列車のなかに彼女の姿を見て、恋が復活した。何かしようとして、いろんな理由で3回続けて失敗するという民話風語りのある物語。

〇Paroles perdues(言葉のない世界)
家の前のベンチに腰かけている老人の隣に座って話をする。お互いに、美しい少女を一瞬見かけたり、束の間同じ空間に居たりして、言葉も交わさないまま別れ、その後心の中にずっとその少女のイメージが残りつづけるという共通の体験を話し合い、敬服し合う。ほのぼのとした雰囲気が漂う一篇。

〇L’aigle de la ville(街の鷲)
森の奥まで建物が建ち、平野は耕され、工場が立ち並び、狭い街路に大勢の人々が暮らす大都会。そこに鷲が舞い降り、子どもたちに、眼の中の不思議な景色を見せてくれる。鷲は見たものを眼の中に留めるという。人はそこに失ってしまったものを見つけるのだった。

〇L’oiseau d’or(金の鳥)
郵便配達員が配達の途中、森でキノコを探そうとしたら、薊の葉の下に強く輝くものを見つけた。金の鳥で後を追いかけているうちに遠くまで行ってしまい、配達が深夜までとなる。一晩草叢で寝て、明け方列車に乗ろうとしたら、そこでまた不思議な少女と出会う。金の鳥の化身だろうか。それともこの世以外の空間に紛れてしまっていたのか。郵便局に戻って何と言い訳したらいいのか。

〇La folle oseraie(狂った柳園)
恋人同士だが喧嘩ばかりしている。河岸で待ち合わせしたが、それぞれ河を挟んで反対側で待っていた。お互い譲らず男の方がストライキをし二日間意地を張り合った。三日目男が遂に背を向けて柳園の道を去っていこうとしたとき二人の感情のもつれが消えた。また喧嘩になって男が背を向けて柳園に去ろうとしたら女が寄り縋った。それ以来、柳園で二人が仲良く歩く姿が毎日目撃された。柳園には不思議な作用があるらしい。

〇Histoire printanière(春の物語)
春の訪れで浮き浮きした気分で、雪見草を摘み歩いていると、美少女が歩いて来て一瞬横に並んだ。少女の去り際に雪見草をプレゼントした。次の年、駅の待合室で偶然会ったら、彼女が雪見草を置いて立ち去った。次の夏、今度はカフェでガラス越しに彼女がこちらを見ているのに気づいた。その後もホームで反対側の電車に乗ってる姿を見かけたり、階段で手すりを隔てて擦れ違ったりした。片思いの初恋のときめきを思い出させる話。

La longue histoire(長い話)
狼が出没する村。狼よけに飼われている獰猛な犬と狼が戦った後、強い友情で結ばれることになった。村人は狼と仲の良い犬を怖れて撃ち殺し、狼は犬の代わりに、遠くからその家を見守るようになった。が、その家の幼な子が若者になったとき、狼に護られていることを不名誉と感じ狼を撃つ。傷ついた狼は若者に愛の眼差しを向け、若者は後悔するという話。

〇L’enfant inconnu(見知らぬ子)
農場主の息子と女友だちは、土管の奥から悪態をつく踏切番の娘と出会い、その野性的な振る舞いに魅力を感じ、仲良くなる。その後貧しい娘は農場に雇われよく働いたが、農閑期に倉庫で煙草を吸っているのを咎められ解雇される。しばらくして金の鎖がなくなっているのが判った。事件は結局お蔵入りとなったが、息子が森の井戸のところで金の鎖が隠されているのを見つける。そのとき娘が現われて返せと迫り、娘は鎖を手に取ると小川の中へ捨てた。その後、娘は失踪し、別の町でふしだらな生活を送っていた。あるとき、娘が泥棒呼ばわりされて取り囲まれているところを息子と女友だちとで救い出す。やがて年月が経ち、息子は女友だちと結婚し、踏切番の娘も馬具商と結婚して、それぞれ二人ずつの子も生まれた。家族同士で交流するようになったある日、ピクニックへ行ったとき、小川の水かさが減り、金の鎖が現われた。見知らぬ少年がそれを素早く持ち去って逃げる。