京都百万遍の秋の古本まつりと金沢での古書店探訪ほか

 本を買うのをできるだけ控えようと、古本報告も2か月に1回程度に抑えてきましたが、この秋は、百万遍の秋の古本まつりと、友人らと金沢旅行をした際に古本屋を回ったことで、本がたまってしまいました。前回報告からまだ1か月しか経っていませんが、報告します。

 百万遍の古本市は、初日以外は雨の予報だったので、初日に出かけました。出町柳からの行き道、臨川書店のバーゲンに寄るもめぼしいものなし。吉岡書店の路上棚を物色、これも飛びつくようなものはなし。

 本会場に入って、キクオ書店3冊500円棚で開場を待つも見つからず、横の竹岡書店に切り替えると、これが正解で、下記三冊を購入。
モーリス・マアテルリンク尾崎喜八譯『悦ばしき時―自然随筆集』(冨岳本社、昭和21年10月、166円)
フィリップ青柳瑞穂譯『マリ・ドナディユ』(白水社、53年5月、167円)
ヴォルフガング・タイヒェルト岩田行一訳『象徴としての庭園―ユートピアの文化史』(青土社、96年11月、167円)
    
 次に三密堂の三冊500円棚で、どうしてももう一冊が見つからず。
蘆野徳子『メタセコイアの光―中島健蔵の像(かたち)』(筑摩書房、86年9月、200円)
喜多弘樹歌集『井氷鹿の泉(ゐひかのいづみ)』(本阿弥書店、12年7月、200円)
→知らない歌人だが、心に響くものがあって。
  
 ぐるぐる回って何も買えず、またキクオ書店の3冊500円棚に戻ると、二冊見つかるが、どうしてもあと一冊が見つからず。支払う段になって、外税ということが判明。総額表示が義務付けられているはずだが。
安西冬衛全集 第一巻』(寶文館出版、昭和52年12月、220円)
高坂知英『ロマネスクの園』(リブロポート、89年11月、220円)

 帰り道、吉岡書店で、朝に見つけていたものが残っていた。この日最安値。
高橋たか子『霊的な出発』(女子パウロ会、85年3月、150円)
→表紙の絵が麻田浩ということに後で気づく。

 同じく帰り道、臨川書店に寄ると、朝なかった本が出ていた。この日最高値。
吉田幸一編『近世文藝資料3 近世怪異小説』(古典文庫、昭和30年9月、500円)

 今月の6日から8日までは、合宿仲間と金沢へ行きました。6日ホテルに入る前に、金沢駅から歩いて文圃閣へ。ガレージの店舗しか開いていませんでしたが、全品3冊500円の雑然とした店内から、下記を購入。
モーリス・メーテルリンク高尾歩訳『花の知恵』(工作舎、92年7月、167円)
中村元『今なぜ東洋か』(TBSブリタニカ、79年9月、167円)
會津八一『山光集』(養徳社、昭和21年7月、166円)
  
 そのまま歩いて加能屋書店、隣の店で地酒と蕎麦で腹ごしらえをした後、下記3冊。
菊池真一編『恨の介・薄雪物語』(和泉書院、94年9月、500円)
久野昭編『日本人の他界観』(国際日本文化センター、94年3月、1000円)
武井武雄『ラムラム王』(銀貨社、98年11月、500円)
  
 7日は午後の自由行動時間にオヨヨ書林新竪町店へ行きました。少々高いが、せっかくの記念なので、下記を購入。
山田俊幸/瀬尾典昭/辺見海編『谷中安規 モダンとデカダン』(国書刊行会、14年11月、3300円)

 ついでに、新刊本ですが、鏡花記念館へ行った際、
秋山稔編『泉鏡花俳句集』(紅書房、20年11月、1980円)


 その他は、来年読むフランス書を仕入れるために、ネットでフランスの古本屋に発注、意外と早く納品されました。値段は送料込み。
Frédérick Tristan『Le fils de Babel』(Balland、88年3月、864円)
Frédérick Tristan『Les égarés』(Balland、84年11月、1627円)
FRÉDÉRICK TRISTAN『LA GESTE SERPENTINE』(la différence、78年9月、2075円)
→著者の友人への献呈メッセージ付き
JEAN-LOUIS VAUDOYER『L’AMOUR MASQUÉ』(NELSON、?、2588円)
JEAN MISTLER『Le Jeune Homme qui rôde』(Grasset、84年1月、2921円)
GILBERT DE VOISINS『LE BAR DE LA FOURCHE』(HOUBLON、?、2430円)
→ANDRÉ COLLOTという人の挿画つき
          
ちょっと金遣いが荒くなったか。

梅原猛/吉本隆明『対話 日本の原像』


梅原猛/吉本隆明『対話 日本の原像』(中公文庫 1994年)


 引き続き梅原猛を読みます。今回は、吉本隆明との対談。梅原は、吉本隆明を日本で数少ない独立自存の思想家として尊敬してきたと言い、一方で、吉本の書いたものは難しくて分からない部分があると正直に吐露しています。その際、ソクラテスヘラクレイトスを語った言葉を引用して、「分かった部分が素晴らしいところをみると、分からないところもたぶん素晴らしいのだろう」と書いていました。謙虚でいい言葉です。対談では、梅原が一方的に喋っているような印象を受けました。

 前回読んだ『日本人の「あの世」観』と同様、梅原の思想の中心に縄文的世界への憧れがあるのは確かで、その逆の作用として国家や近代世界への不信があると思います。例えば、「国家のできるのが遅かったからよかった・・・巨大国家が造られたときは富の集中があって、階級社会ができて、うんと金持ちと貧乏人の差ができる。そういうところから生ずる人間の心の歪みが大変きつい」(p35)や、「人類文明を、農耕牧畜以前の地点まで掘り下げ、そこに何らかの思想的誤謬が含まれているのではないか、そして、以後の人類はそういう思想的誤謬を徐々に拡大してゆき、そして、確実に一歩一歩滅びの道へ進んでいるのではないか、そういう反省が必要であるように思います」(p64)という言葉に現われています。

 宗教観にしても、そういう近代世界への懐疑が前提になっているようです。
①国家ができるとともに、国家を統一するような大宗教ができ、社会の貧富や境遇の差を反映した教義がつくられた。キリスト教や仏教はそうした厳しい階級社会から生まれてきたもので、地獄極楽という考えも、この世はどうにもならない悪の里だという前提に立っている。

②神の姿がもっぱら人間の姿で表わされるようになった時、一つの大きな思想的革命が起こったのではないか。自然のなかで動植物と共存して生きていた人間が、自己の特権的地位を明らかに主張し始めたことを意味するのでは。そして本来、古代の人間が信仰していた永久に続く魂の回帰運動を、最後の審判がある一回きりの終末をもつ動きに変えてしまった。歴史は最後の審判に向かう直線として把握され、それが近代人の基本的な世界観を形成している進歩思想の世界観となった。

 一方、そうした近代世界が行き詰っているという考え方に惹かれながらも、アイヌの信仰に見られるような、後の世に、熊になったり貝になったりして戻ってくるという霊の往還については、合理的にはどうしても信じがたいことで、知性を破棄してしまえば終りだという思いがあると、ジレンマを正直に白状しています。

 縄文文化については、アイヌ民族の文化にその残像があるとし、それを手掛かりにして、日本文化の本質が解明できるのではとしていますが、昨年に見たNHKの番組で、日本人のDNAで、縄文時代の日本人と一致するのは2割ぐらいしか居ないと言っていましたから、アイヌや沖縄の人たちの文化を日本文化の本質と決めつけるのも正しいかどうか分からなくなっているようです。

 この本で、もっとも衝撃を受けたのは、吉本隆明が引用している樋口清之「日本古典の信憑性―神武天皇記と考古学」の内容で、次のようなものです。大和盆地の真ん中にむかし湖があったというのは知っておりましたが。
①大和平野は、今から約1万年余り前、山城平野に口を開いている海湾であった。紀伊半島の地盤隆起が起こり、大和湾中に孤立した海水は、先ず北に向かって排出され、その時に押し流された土砂が堆積し現在の奈良山丘陵をつくった。次に西のほうを切って大阪湾に排出し始め、この時に運ばれて堆積したものが二上山の麓を埋めている砂礫層である。さらにここが詰まると、北側に水路を移す。これが現在の大和川である。

②このことは、考古学においても、大和平野の標高45メートル以下には、奈良朝以前の住居趾及び遺物が発見されていないことで証明されているし、神武天皇記に出てくる大和の地名を拾って調べてみると、全部標高70メートル線以上にあることからも、立証できる。

 その他、細かな蘊蓄として、次のようなことを知ることができました。
アイヌ語では顔のことを「エ」「ヘ」と言い、お尻のところを「オ」「ホ」と言う。古代日本語でも上と下の対立を「エ」と「オト」で表現する。この「ヘ」「オ」が言葉の後について、「何々ヘ」「何々ヲ」となる。「東京を発って京都へ行く」は、東京に尻を向けて京都へ顔を向けるという意味となる。ここに助詞の成立過程を見ることができる。

②中国や韓国は父系社会で、氏を大事にし氏で固まっているが、日本はそうでなく、氏や血よりも住んでいる土地のほうが大事だから、苗字はほとんど地名から来ている。それで苗字の数が、中国や韓国に比べ、極端に多いのである。

③初期王権では、彦(日子)という男称は前置されているが、王権と婚姻関係にある豪族においては、彦(毘古)が後称されている。さらに単なる豪族では、彦名は称されていない。系統を区分しようとする神話記述者の意図を見ることができる。

聖徳太子には4人の妃が居て、いま中宮寺法輪寺法華寺という場所は、それぞれの妃が居た場所だという。

梅原猛『日本人の「あの世」観』


梅原猛『日本人の「あの世」観』(中公文庫 1993年)


 タイトルに惹かれて昔買っていたもの。恥ずかしい話ですが、梅原猛を読むのは初めてです(と思う)。学生の頃、『隠された十字架』や『水底の歌』がベストセラーになっていて、その頃からすでに表立って流行してるものを遠ざけるたちだったので、人の話でだいたいの内容を知る程度でした。今回読んでみて、思索の過程をたどるような筆致に魅せられました。哲学者らしいオリジナリティに溢れています。この世代の関西の学者には、梅棹忠夫桑原武夫今西錦司山崎正和など、自分の頭で考え抜くタイプの人たちが集まっていたようです。

 梅原自身も、先日読んだ『日本の原像』の中で、「日本の学者や思想家は、ある学問集団や政治集団に所属し、その集団の内部で自分の学問や自分の存在を認めさせることに満足している」というようなことを嘆き、「私はもっぱら私の説を仮設として語ってきた」と吐露していましたが、ここには、専門知と哲学知、あるいは学者知と編集知といった別があるように思います。梅原自身は、日本古代史の専門家でもなければ考古学者でもありませんが、各分野の専門家の業績を巧みに取り入れながら、自らの頭の中で整理し、大きな仮説を提案しています。

 テーマは、日本の宗教のあり方、縄文時代の日本とアイヌと沖縄、日本語とアイヌ語の関係、『記紀』と日本語書き言葉の成立、『万葉集』と『古今集』の比較、宮沢賢治の世界観など、一見多岐にわたっているように見えますが、底流として、古代日本の原風景に対する愛着が感じられました。また梅原には戦争体験が嫌悪すべき強烈な印象として沁みついているようです。

 恒例により、個人的に印象に残ったいくつかの論点をピックアップします。
①現在の仏教は、その経済的精神的な基盤を葬式を中心とする宗教儀式に置いているが、南都六宗の僧が葬式を司らないように、もともと葬式は仏教の行事ではなかった。神道に代わって仏教が葬式に関わるようになったのは、浄土教によると思われる。その浄土教も、日本人の心にすでに存在していた「あの世」観の影響を受けて、日本独自のかたちに変容したものである。

②沖縄やアイヌには仏教がほとんど入っていないにもかかわらず、彼らの死者送りの行事はわれわれが仏教の名のもとに行っているものとほとんど変わりがない。例えばお盆という行事も、仏教以前に日本に存在した習俗が仏教の中に入ったものであり、推古14(606)年に、聖徳太子が、その日本古来の死者供養の行事と結びつけることによって、仏教を日本に定着させたのである。

神道は、定まった経典をもたない祀りを中心とした宗教儀式体系であり、もともとは縄文の昔に遡る土着宗教を基本にしたものであるが、8世紀の初めに、中臣氏・藤原氏による律令神道の成立を契機として、大きく変化した。それは中国の道教の影響を受けたものであった。仏教思想は外来のものだが、神道は悠久の昔から存在するものという区分けは全く成り立たないのである。

④ある、行く、帰る、食う、飲む、好む、こばむ、あやまる、突くなど、基本的動詞は、アイヌ語と日本語がほとんど同一か相似になっている。金田一京助は、アイヌ語は日本語の語彙を取り入れたものという見解をもっていたが、これは逆である。例えば、アイヌ語で人のことをピトというが、日本語ではP音がF音に変化してきたことを考えると、ピトがヒトに変化したと考えるほうが自然である。金田一の影響で、アイヌ語を日本語の起源とする可能性を完全に排除してしまったことで、日本の言語学は停滞してしまった。

⑤一つの仮説として、次のような図式が考えられる。日本列島にはもともと古モンゴロイドの人たちが狩猟採集の生活を長く送っていた。そこへ新モンゴロイドの人たちが大陸から北九州を主な玄関口として稲作文化や鉄器をもって渡来してきた。彼らが大和朝廷を作って日本を統一していった。その証拠に、近畿地方を中心として、古くから農業の盛んだった地域には、新モンゴロイドの人たちが多い。

⑥『古事記』は和銅5(712)年につくられ、『風土記』は和銅6年に撰修の命が下ったが、その原型となるものが、推古28(620)年ごろに、聖徳太子蘇我馬子によって作られていたのではないか。国の礎をつくろうという聖徳太子らしい事業である。『記紀』の紀年法が、推古9(601)年を起点としていることからも推測される。その年は、聖徳太子斑鳩に居を定めた年である。

⑦漢文を日本語として読む際、「が」「の」「を」「に」「は」の助詞や「ぬ」などの助動詞、「く」などの用言の活用語尾を仮名表記するようになったが、この時点ですでにそれは漢文ではなく、日本語の書き言葉が始まったということになる。この書き方は、公式には、文武元(697)年に始まるが、それ以前に、柿本人麿歌集において、次第に使われるようになっていた。

⑧『万葉集』がますらをぶりであり、『古今集』がたおやめぶりという定説がある。これは賀茂真淵が作り、正岡子規によって改めて主張されたことであるが、賀茂真淵は公卿の美学のバイブルである『古今集』を貶し、源実朝にならって『万葉集』を武士の美学のバイブルにしようという政治的意図があり、正岡子規の主張にも日清戦争後の愛国心の高揚という背景があった。『古今集』序文に、『万葉集』に対する批判の言葉はまったく見られないように、同じ美的理念をもった歌集であり、『古今集』の小野小町の歌など、人麿の歌の道を忠実に継承したものであるといえる。

⑨古代日本人の心性の一つに落日信仰がある。四天王寺は仏教以前からの落日信仰と結びついている聖地であり、また折口信夫が『死者の書』で描いたように、落日信仰を土台として、浄土信仰が生まれたのである。もう一つの基本的な心性は、森林の中で養われ育ったもので、狩猟採集を通して動植物を神として崇拝する心性である。そこには生態学的知恵が隠されている。

⑩生命は個としてはかならず死ぬが、死ぬことによって種は生き続ける。植物や動物は、個を犠牲にしても種として生き続けるという精妙な知恵をもっている。古代の日本人も、個が死んだ後、魂は、再び別の個に宿って生き続けるという信仰をもっていた。この魂という言葉を遺伝子という言葉に置きかえると、これは遺伝子の法則を語ったものではないか。


 ほかに、知り得たこと細かいこととしては、『万葉集』の万葉という言葉は、多くの言の葉を集めたという意味ではなく、万年、すなわち永遠という意味であること。チャランポランという言葉があるが、アイヌ語でチャランは口、ポランは空しいという意味であること。沖縄の『おもろさうし』で「ト」は海を意味し、アイヌ語でも「ト」は湖とか水溜まりを指す、トネガワ(利根川)、トワダコ(十和田湖)をアイヌ語で解釈すると、それぞれ「海のような大きな川」、「海の岩の湖」となるなど。

金岡秀友『日本の神秘思想』


金岡秀友『日本の神秘思想』(講談社学術文庫 1993年)


 神秘学の関連で、日本の神秘思想について書いた本を読んでみました。日本の神秘思想と言えば、素人考えでは、神道、仏教、それに道教の影響を受けた民間信仰や、明治以降の西洋の影響の混じり合った霊能者たちの存在が考えられますが、この本は仏教を中心に書かれています。よく分からない部分もありましたが、とくに、日本人の古来からの自然観やあの世観が仏教の導入によってどういうふうに影響を受けたかという視点が強く、仏教の中では、とりわけ浄土思想と密教に焦点が当てられています。

 著者の主張は、「仏教が入っても、古代日本人の自然観・人生観は本質的には変わるものではなく、仏教の肯定的な自然観、浄土観はそのまま日本人の間に定着して行った」(p43)や「仏教はやはり、日本人のこのような自然観を補強する方向で働いた。あるいは、そう働きうる仏教のうちのある流れが受容され定着した」(p58)という文章に見られるように、日本人のもともとの自然観や性質が歪められることなく、外来宗教が受容されたという点にあります。

 この主張はまた、日本が中国から、「姓」や「科挙」、「宦官」、「纏足」などの制度や風習を取り入れることがなかったことを例に挙げ、「あれだけ長く、あれだけ深く、骨まで中国の文化・風習を受け入れたように見えながら・・・日本人は、やはり、中国人のそれとは明瞭に一線を画していた」(p87)という指摘につながります。

 日本の自然観、あの世観は何かというと、高天原が、抽象的で空想的な天上世界ではなく、現実を投影した風景とともに、現世と自由に行き来できるものとして描かれ、また黄泉国が、国土に隣接する地理的場所に設定されているように、あの世が、現世と次元の異なる隔絶した世界ではないという指摘です。これは今読んでいる梅原猛『日本人の「あの世」観』でも強く主張されていることです。

 その他の著者の主張をいくつか抜粋しますと、
①宗教の定義を、「生滅変化するこの世にあって、それを超える『何ものか』のあることを信じ、それを体得し、その中に生きんとする営み」とし、生滅変化の特質は、有限、相対的、部分的であるとしている。→ということは、何ものかとは、無限、絶対的、総合的(あるいは全体的)であり、ここに神秘主義の潜む鍵があると思う。

②宗教の性質からして、現実そのままでは成り立たず、また実在(「何ものか」のことか)を求め現実を否定し現実から隔絶してしまっても成り立たない。この現実と実在の一致を一身に体得することが神秘主義であり、仏教は神秘主義的と言える。そのなかでも、もっとも傑出しているのは、まず万物に神を見る神道的な現実感を取り入れた天台宗、その影響のもとに、現実の中に浄土を見る日蓮宗、インド・ヨーガに源流を持ちながら日本風の現世主義傾向を持つ禅、密教としている。人物としては、日蓮空海に焦点が当てられていた。

密教は、釈尊滅後1200年後の7世紀インドにおきた新しい根本仏教運動であり、仏教中の神秘主義である。真実は自己の心中にあり体内にあるもので、外界に実在する実体的なものではないとみるところに特徴があり、真実とは表現を超えたものであることを知悉しながら、しかもそれを積極的に表現し把捉しようとするもの、それが密教のめざすところであった。

浄土教は、他の仏教の現実を重視する傾向とは背馳するかのように見えるが、浄土教においても、浄土へと向かう「往相」と、現実へ回帰する「還相(げんそう)」があり、浄土からの眼を持つことによって、現世の諸悪が見えてくるというところに意味がある。

⑤古代に、祖神同士の争いのあるなかで、仏教という別次元の宗教的価値が登場したことにより、祖神が無力化され、その上で、天皇家の祖神と仏教が連合することにより、天皇家の権威が確立したのである。そしてそれを予見したのが聖徳太子であった。


 新しく教えられるところがありました。
四天王寺は、聖徳太子蘇我馬子の連合軍が物部守屋を打ち負かした戦勝記念碑であり、寺の財源として物部守屋の財産が当てられたこと、法隆寺もまた、聖徳太子の息子山背大兄王(やましろのおおえのおう)が自殺した場所であり、両寺とも死者の怨霊が籠っていること。

②仏教がインドより西へは広まらず、キリスト教がインドから東へは行きわたらなかった理由は、インドの西に「大食(タージー)」という軍事的に強大で文化的には閉鎖的な大国があり、交流を不可能にしたから。

③閻魔の本地は地蔵であり、そこに仏教の地獄がもつ意味が込められている。救うために裁くのである。閻魔も人を裁きながら、朝・昼・晩の三度、熱した溶銅を口にあおり悶絶して死に至り、またよみがえって人を裁き続けるという。

④日本の古寺670か所を調べたところ、開祖として伝えられている僧は、平安仏教の空海が61か所、奈良仏教の行基が46か所、あとは、日蓮15か所、親鸞14か所、法然12か所、道元3か所であった。歴史的事実は別として、人々の心の中に誰を仰ぎたかったかという事実を示している。

高橋巌+荒俣宏『神秘学オデッセイ』


高橋巌+荒俣宏『神秘学オデッセイ―精神史の解読』(平河出版社 1982年)


 引き続いて高橋巌を読みます。大学のポストを捨てすでにシュタイナー研究の神秘学者として確立していた高橋巌と、まだ翻訳中心の活動をしている若き荒俣宏の対談です。はっきり言って期待外れ。高橋巌には、『ヨーロッパの闇と光』、『美術史から神秘学へ』で見せた緻密な議論はなく、ほとんど荒俣の一方的な喋りに終始し、しかも荒俣も人名や事実を列挙するのに汲々としているため拡散していて、深みのある議論にはなっていません。

 想像力豊かな、悪く言えば誇大妄想の二人が繰り広げる神秘学展望といったところでしょうか。神秘学の魑魅魍魎の世界を嬉々として語りあっていますが、よく分からないところがありました。荒俣には、一種のバロック精神のような過剰さがあり、もっとシンプルに語れないものかと思ってしまいます。その分、近代の神秘学関連の人はすべてといっていいくらい(というか私もあまり知らないので)、人名が網羅されている気がします。

 こうした網羅の魔にとり憑かれた語りの特徴は、年表作成はもちろんのこと、系譜をたどり系統図や比較表を作ったり、テーマに沿った参考文献の一覧を添えたりするところにありますが、これは幻想美学愛好者が幻想美学を語る際の網羅の手口と共通するところがあります。神秘学と幻想美学の愛好者は、同じ性癖を持っているということでしょうか。

 それでも、いくつかの論点が見えているような気がします。
①ひとつは、学問探求のあり方で、二人とも、近代の探求が、専門分野や国家別に分散される傾向を嘆いていて、総合の学の重要性を強調しているところ。荒俣は、フリーメーソンや薔薇十字運動に、国別の殻を打ち破るユニバーサリズムを見、神秘学こそすべてを総合する力があるとし、高橋は、書物を通してではなく、人間を通してしか、神秘学は探求できないと言う。

②別の言い方をすれば、二人とも、世界を数式によって表現できる量的なものと捉えたり、分類によって合理的な秩序を構築しようとする考え方ではなく、世界を有機体として質的なものと捉え、動的な展開や総合の力を重要視しているということ。

③19世紀後半にヨーロッパで起こった神話復興運動が総合の方向の一つであり、その背後には、根源の探求ということがあった。やはり19世紀のロマン主義は、根源の風景を描こうとして、自分の心の深みへ降りていこうとした運動であった。

④東と西の問題についての議論があった。西洋の救いを東洋に求める動きは、16、7世紀の中国やインドの思想の紹介から始まる。神智学というのはその19世紀版であるが、シュタイナー自身は神智学を捨て、最終的には、西洋において西洋を救うという方向へ行った。

 微細な知識の面で、教えられたのは、
プロティノスの師にアンモニオス・ザッカスという人がおり、プロティノスはその思想を受けて『エネアーデス』を書いた。ザッカスという人物はインド人で、釈迦族であったとのこと。西洋神秘主義の源流は、プロティノスの新プラトン主義ということになっているが、実は東洋にルーツがあったという。

②日本人は青い眼にあこがれを持っているが、人間の赤ん坊はすべて青い眼をしているらしい。アジア人が茶色の目をしているのは、生後数日してから色素が沈着するからである。日本人の場合は、すでに胎児期から色素沈着が始まるという。

③この本にも、絵画がいくつか紹介されていたが、クローゼン・ダール『月明かりのドレスデン』、ターナーの『モントリオ』、『聖ハーバート教会のチャペル』、カールス『嵐の中の樫』が私の好み。カールスの絵はフリードリヒに酷似していた。

高橋巌『神秘学講義』


高橋巌『神秘学講義』(角川選書 2018年)


 高橋巌を続けて読んでいます。美術史美学の分野から神秘学のテーマに移ります。この本は、朝日カルチャー・スクールで行なった講義内容に加筆したもので、ですます調で丁寧な語り口で、とても分かりやすい。5つの章に分かれ、第一章と第二章は、ロゴスの認識とソフィアの認識、知覚と表象、言語の論理とファンタジーの論理、霊・魂・体、知的エネルギーと性的エネルギー、判断と情動、知覚と思考などのキーワードから、人間のあり方を哲学的に論じ、第三章は、神秘学そのものをヨーロッパの思想史的な視点から論じ、第四章では一転して、魂の訓練のための具体的な行法の記述があり、第五章は、代表的神秘学者ブラヴァツキーについて紹介しています。

 前半は、明快だし、納得できる議論が多くありましたが、後半になるにつれ、思い込みが徐々に強まって、論理の飛躍欠落が目立つようになり、ついていけなくなりました。ブラヴァツキーの章では、人物そのものが山師的な波乱万丈の人生を送っているため、一種のノンフィクション的な興味で読めましたが、内容としては、第三章までの議論が一体何だったのかと思うほど、別の世界に入り込んでいます。


 前半の感銘を受けた議論を中心に紹介しますと、
①ロゴスの認識とソフィアの認識:言葉を通して論理的に考える認識以外に、感性による認識というものが考えられないか。音楽とか造形の論理は言葉によらないものであり、詩も言葉を使っているが、響きやリズム、イメージなどでは、言葉によらない論理の世界となる。これらは構想力(ファンタジー)の論理と呼べる。ロゴスからは批判の精神が生まれ、ソフィアから畏敬の念が生まれる。合理主義の精神には、その本質から、畏敬の念が出てくる可能性はない。

②言語の論理とファンタジーの論理:理性的な他人に伝達するための論理は、外界から、知覚を通って表象、記憶、概念と進み、ファンタジーの論理は、内界から情動を通じて、記憶像、表象、幻覚へと至る。ファンタジーの論理は、思考における退行現象という見方もできる。フロイトは、この退行現象を「快楽原則」と呼んだ。

③知覚と表象:何かを知覚したとき、心の中に感覚像が表象として現われ、それが言葉と結びつき記憶となって保存される。例えば、黒板を見たとき、知覚であると同時に表象でもあり、この表象はいろんな黒板の記憶と結びついている。その関連の中で、目前の黒板について大きいとか小さいとか、白墨がないとかの判断がなされるわけである。目の前に対象がないときでも、記憶表象が内面から浮上するが、これは夢と同じあり方をしている。

④霊・魂・体:現実世界を表象させているわれわれの魂の奥底には、第二の別の現実世界への通路が開かれており、それが霊的世界である。これは、物質的な世界(体)、生命ある魂の世界(魂)と並ぶ第三の世界である。この「三分説」の立場こそ神秘学の根本である。物質と心、物質と意識、肉体と魂という風に二つに分けて考えている限り、神秘学に行きつくことはない。

⑤知的エネルギーと性的エネルギー:知的エネルギーと性的エネルギーは、同じ生命のエネルギーでありながら、プラス・マイナスの関係になっている。熱病で苦しんだり、成長や生殖作用が行われたりしているときには、思考力は減退し、逆に思考力を集中的に行使すれば、新陳代謝の機能は低下する。

⑥判断と情動:判断は魂の内なる表象活動から始まり、最後は魂の外なる事実を指示することで客観的な結論として終わる。情動はどこからか始まり、外界との間の壁にぶつかるが、最後は内界の中の満足をもって終わる。

⑦知覚と思考:お腹がすくと自分という存在を意識したり、石にけつまずいて痛みを感じたとき、石とともに、自分がここにいることを意識するように、知覚は自我体験と結びついている。感覚が働いているときには、自我も同時に目覚めている。魂が表象と判断だけの生活を続けていると、魂は枯渇していく。芸術の意味というのは、感覚を刺激しながら、客観的な判断も伴う魂の営みということにある。


 第四章のシュタイナーの行法は具体的で面白いので、そのうちのいくつかを紹介しておきます。これらは、日々の生活には直接何の役に立たないことばかりですが、生命や魂にリズムを与えるものとなります。

ア)一つの物を見てあれこれ想像すること:例えばマッチを一本見て、マッチとは何かを考え、マッチの歴史、マッチを作る工程に思いを馳せ、これまでのマッチとの出会いを振り返る。

イ)目の前の事象について、過去の判断を捨て、新鮮な目で見ること:例えば、雨の音を、今まで聞いたことのない音のように、新鮮な驚きとともに聞くこと。

ウ)植物行:花屋から1本の花を買ってきて花瓶に入れ、つぼみの段階から、開花、萎れるさま、落花、枯れるさまのプロセスを毎日丹念に観察する。

エ)自分の習慣の対極を意識すること:例えば、普段丸っこい字を書いている人は、角ばった字で書いてみること。

オ)薔薇十字のメディテーション:真っ赤な血のような色をした薔薇の花が7つ、真っ黒な十字架の上に光り輝いていることを観想すること。
 ほかにもいろいろありましたが省略。

 『ヨーロッパの闇と光』のなかにもいくつか行法の説明があり、仏教の観法にも似ているところがあるとの指摘が添えられていました。こうした行法は、本で読んだり、人から言われてやるというより、自分なりに考えて見つける、あるいは本で読んだとしても自分流にアレンジするとか、自らの主体的な取り組みが重要な気がします。誰でも自分なりの行法を持っているのではないでしょうか。

天神さんの古本まつりほか

 今秋は、四天王寺の大古本まつりには、用事があって参加できず、代わりに天神さんの古本まつりに行ってきました。仲間の都合で、3日目の19日(土)に集まることになりましたが、事前の天気予報では午前中は雨降らずと出ていたのにもかかわらず、結構な雨降りとなってしまいました。目当ての100円均一はじめ平台はすべて青いビニールシートで覆われ、テント内しか見ることができなかったのは残念。本を見ているのか、雨宿りしてるのか分からない状態でした。

 以下報告です。
 寸心堂の3冊800円コーナーで、
竹友藻風『鶺鴒』(七丈書院、昭和17年6月、266円)
RENÉ-JEAN CLOT『L’Enfant halluciné』(Grasset、87年12月、267円)
PIERRE-JEAN REMY『UNE VILLE IMMORTELLE』(ALBIN MICHEL、86年12月、267円)
→PIERRE-JEAN REMYがどんな人か知らなかったが、裏表紙の謳い文句に惹かれて。
  
 厚生書店の4冊1000円コーナーで、
服部邦夫『昔話の変容―異形異類話の生成と伝播』(青弓社、89年3月、250円)
高柳克弘『究極の俳句』(中央公論新社、21年9月、250円)
久保田万太郎論『どれがほんと?』が面白かったので。
「日本の美学28 橋―つなぐもの、わけるもの」(ぺりかん社、98年12月、250円)
保田與重郎『日本の橋』(角川選書、250円)

 からすうり?で、
柏木英彦『中世の春―12世紀ルネサンス』(創文社、昭和51年6月、500円)

 会場を出て、居酒屋で昼飲み会を行い、その勢いで、天神橋筋の天牛書店、栞書房へ行く。
 栞書房で、
宮武正道譯『バヤン・ブディマン物語』(生活社、昭和17年4月、800円)
→マレー語版鸚鵡七十話で、珍しいのを見つけたと喜んでいたら、痛恨のW買い(17年前に500円で買っていた)。

 その他は、9月上旬、阪神沿線飲み歩きの会で新在家に行ったとき、北上して、六甲道駅の近くの口笛文庫に立ち寄りました。天神さんの古本まつりに比べると、ずいぶん高い。
ウィルキー・コリンズほか三馬志伸編訳『ヴィクトリア朝怪異譚』(作品社、18年8月、2000円)
堀口大學譯『花賣り娘』(第一書房昭和15年5月、800円)
高柳誠『廃墟の月時計/風の対位法』(書肆山田、06年6月、1200円)
    
 ネットでは、
上村卍『卍・逆卍の博物誌 第二部 海外篇』(晃洋書房、10年3月、547円)
→これで日本篇とあわせ二冊揃い
鷲田清一『「ぐずぐず」の理由』(角川選書平成23年8月、381円)
高橋巌『神秘学講義』(角川選書、平成30年11月、155円)