志村ふくみ『一色一生』


志村ふくみ『一色一生』(講談社文芸文庫 1999年)


 志村ふくみについては、以前、宇佐見英治との対談『一茎有情』を読んで面白かったので、少しずつ買いためていましたが、そのうちの一冊。先日読んだ若松英輔の本にも名前が出てきていたので、また読むことにしました。しばらく彼女の本を続けて読んでいきたいと思います。

 志村ふくみの魅力は、染織家として糸を染める技芸を極め、そこで培われた色に対する繊細な感受性が、文章に表われていることです。もともと文学への興味がおありになったようで、この本でもノヴァーリスゲーテマラルメ高村光太郎の言葉が引用されていますし、今読んでいる『母なる色』では、タゴールプロティノス三島由紀夫、それに『源氏物語』や短歌にも言及されています。

 この本は、4部に分かれていて、Ⅰは、色や染織に関するエッセイ、Ⅱは、少し拡げて、西陣論や芸術論、Ⅲは、家族や交友関係を語ったもの、Ⅳは日記と詩、という構成になっています。志村ふくみらしさが出ているのはⅠ部で、Ⅲ部は、母との確執を中心に生まれてから染織の道を本格的に歩むまでの苦難の道のりを綴ったエッセイ、画家を目指して奮闘する兄の姿を描いた評伝、これまで出会った人々についてスケッチが収められています。ちなみに「一色一生」というのは、藍染を極める難しさを喩えて、一色に十年というより一色に一生かかるという趣旨の言葉。

 恒例により印象に残った部分をあげておきます。 
①植物から色を染めたとき、単なる色ではなく、植物の生命がその色に映し出されているように思ったり、幹で染めると桜色、花弁で染めるとうす緑となるのは自然の周期がそこに表われていると考えたり、山野にある植物すべてから鼠色を染め出すことができることの不思議を感じたり、色と生命、自然とが響きあうさまが描かれていること。

②色の微妙さと音とを比較して、音階の場合、半音と半音の間に多くの複雑な音が隠れているように、色においても細かな色の差というものがあるとして、そして色の微妙な差や変化への感受性が言葉となって表われていること。例えば、次のような表現。

古代インドの染織品・・・インドの人々がそれらを「織られた天気」「夜の滴」「朝の霞」等と形ではとらえられぬものとして呼んでいる/p41

遠州利休という言葉のかもし出す雰囲気と実際の色、白い磁器の茶呑椀にほんのすこし呑みのこされた煎茶の夕やみに浮かぶ色とでもいおうか、その名と色のいちぶのしのびこむ隙のない秀れた感覚におどろく/p63

高村光太郎は「空は碧いという、けれども私はいうことができる、空はキメ細かいと」といっている/p70

空の滴がそのまま、私の織の中にしたたり、浸みとおって、蒸留してゆくのがよく分かる。ひとの細工などどうにもならない/p70

平安時代には、人間を守る和霊(にぎたま)が宿るといわれる薬草から色を染め、その衣を着て自らを守っていたとか、藍が一つの甕の中で、二カ月間全精力を振り絞り力を使い果たして、ある朝忽然と色をなくしたとき、思わず線香を立てたいと思わせられたというように、色の持つ呪力、生命力を指摘していること。

鳥取の弓ヶ浜というところで、農村の婦人らが手仕事として受け継いできた弓浜絣に現在取り組んでいる人が、
弓ヶ浜の人々は「豊かに貧乏してきた」と言ったことを受けて、それならば現在の我々は「心貧しく富んだ生活をしている」というべきかもしれないと書いているところ。

⑤先生が作品を出展した際、「飾り衣裳」という副題をつけたことに感動したり、「なぜ、ひとは/ガラス絵や、貝殻や、玉をみるように/織物をみようとしないのだろう」という詩を書いたり、織物を実用から美的な鑑賞に価するものとして捉えようとしているところ。

 読み物としては、Ⅲ部が面白く、「母との出会い」では、出生の秘密に悩んだ少女時代、母親が断念した染織を始めてからの母との関係など、波乱にとんだ半生が語られています。母親は、安宅コレクションの源になったと推測される安宅弥吉夫人の知遇を得たり、女学校時代の友人に青鞜の一員で後に富本憲吉夫人となった人が居たり、柳宗悦との交流があったりと、一家を取巻く芸術的な雰囲気が窺えました。その影響か、兄は画家を目指しますが、若くして病死。「兄のこと」では、芸術を志しながら煩悶する兄の心の動きを日記などを引用しながら綴っています。

 志村ふくみ自身も、母親の交友関係からいろんな師に恵まれ、それが染織家として成長していくきっかけとなったことがよく分かります。昔は人づてにいろんな人との深い交流があったみたいでうらやましい。それとも工芸の世界だから特別なのでしょうか。