:赤瀬雅子『永井荷風とフランス文学』


                                   
赤瀬雅子『永井荷風とフランス文学』(荒竹出版 1976年)

                                   
 アンリ・ド・レニエをフランス語で読み始め、これがなかなか面白いので、永井荷風とレニエのことが取りあげられていたのを思い出して、本棚から引っ張り出しました。

 実は荷風の作品は、『ふらんす物語』と『珊瑚集』、それに恥ずかしながら『四畳半襖の下張』ぐらいしか読んでいませんが(『あめりか物語』と平井呈一をモデルにしたという『来訪者』も読んだように思うがはっきりしない)、明治期の古色の文体や情調に溢れたところが気に入っているのと、フランス文学と密接ということもあって、好きな作家の一人です。

 この本は、比較文学の視点から、永井荷風とフランス作家の関係を考えたもので、荷風がフランスのどの作家に心酔していったか、それはなぜなのか、荷風の作品のどんなところにその影響が表われているかなどが書かれています。

 まずフランス作家への荷風の関心は、ゾラ→モーパッサンフランス象徴詩人(ボードレールヴェルレーヌ)・ロティ・レニエと移って行ったようです。

 荷風の出発点がゾラ流のリアリズムにあり、日本の作家では広津柳浪の人間の暗黒面を暴くような作風に共感して、柳浪の弟子になったことは知りませんでした。弟子を志願した時の初々しい姿を回想している文章が面白いので引用しておきます。「わがよろこび誠に筆紙のつくすべき処ならず幾重にもよろしくとてその日は携へ来りし草稿簾の月一篇を差置きもぢもぢして帰りけり(荷風「書かでもの記」)」(p173)

 しかし、荷風の性格には、本来、穏かな美を求める心があったようです。「私の芸術はただバイオリンの音の様なやさしい慕かしい匂のするものが好きだ(荷風「自己の性情と態度」)」(p18)と自ら書いたり、また小説の登場人物に「僕は一生の間に色と光との音楽的効果を示した小品の一枚でも作り得たならば画筆を持つことを学んだかひがあったと思ってゐる。街灯の灯影に照された柳の黄葉に秋雨のしとしとと囁くやうに降りそそぐ其響と、娼婦の化粧のあせ行くやうな黄昏の町の色調とを画布の面に表現して、門附の悲しいボレロ聯想させるやうな軽い哀愁を、見る人の胸に残すことができたなら、僕が一生の望はそれで足りるのだ(『問はず語り』)」(p93)と言わせたりしています。

 もうひとつ、荷風自身の言葉で断言口調が印象的で面白いのがあったので引用しておきます。「余は頭髪を乱し物に倦みつかれしやうなる詩人的風采をなし野草の上に臥して樹間に仏蘭西の詩集よむ時ほど幸福なる事なし。笑ふものは笑へ余は独り幸福なるを(『西遊日誌抄』)」(p61)

 荷風がゾラからロティやレニエに魅かれて行ったのは、そうした穏やかな美意識によるもので、「絶えずノスタルジーを持ち続け、ついに郷愁が人生を支配するようになる人間の生き方」(p111)のロティに魅かれ、ひとつの時代および風俗にたいする憧憬、水都への偏愛を謳ったレニエに自らを重ねて行きました。十八世紀でありヴェネチアのレニエに対し、荷風の場合は江戸末期であり深川という具合に。

 荷風の場合、フランスでの体験を内面化し、作品の舞台を思い出の残るリヨンやパリから、若い時から親しんでいた水のある所、川のある景色に移して行った結果、一連の隅田川を舞台とする小説に結実したというわけです(p198)。


 村松定史の『日本におけるジョルジュ・ローデンバック』には、永井荷風が『死都ブリュージュ』を粉本として中編小説「すみだ川」を書いたことや(p25)、ブリュージュを奈良に置きかえた小説の構想があったこと(p29)が指摘されていましたが、この本ではローデンバックに関して言及はありませんでした。  
 

 赤瀬雅子氏には、『永井荷風の読書遍歴―書誌学的研究』という「断腸亭日乗」などから荷風の読んだ本を時系列にリストアップした著作があり、古本屋で立ち読みしたことがありますが、荷風はフランスの本をかなりのスピードで多量に読んでいたことが分かります。

 荷風には、ロティについては小論があるみたいですが、レニエについては『珊瑚集』所収の詩の翻訳(「夕ぐれ」「われはあゆみき」が特にいい!)と散文一篇(「水かゞみ」これがまた凄い!)の翻訳があるだけで、評論がなく、またフランス象徴詩人等についても詳しく論じたものがないようです。もう少し書き残してくれていたらと残念に思います。