若松英輔/小友聡『すべてには時がある』


若松英輔/小友聡『すべてには時がある―旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』(NHK出版 2022年)


 旧約聖書のなかの昔「伝道の書」と言われていた「コヘレトの言葉」について、このところ読んでいる若松英輔と、神学の専門家で牧師でもある小友聡のテレビでの対談をまとめたものです。NHK教育テレビの「こころの時代」で見て感銘を受けていたところ、幸い書籍化されていたので読んでみました。

 聖書そのものをまともに読んだことはありませんが、「コヘレトの言葉」というのは、旧約聖書を構成する「モーセ五書」「歴史書」「知恵文学」「預言書」のなかの「知恵文学」に属するもので、「モーセ五書」と「歴史書」が過去、「預言書」が未来について書かれたものとするなら、「知恵文学」は現在について書かれていて、「コヘレト」以外に「ヨブ記」「詩篇」「箴言」「雅歌」があるとのこと、いずれも面白そうなので、また読んでみたいと思います。

 若松英輔らしさが最大限に発揮されたすばらしい対談となっています。「コヘレトの言葉」自体に、キリスト教の枠にとらわれない自由な思想があり、すべてを空と見る仏教的なものも感じられ、心にしみるような名言の数々があるうえに、それに関連した古今東西の思想家、宗教家の言葉が引用されて、宗教の本質に触れるような議論になっています。

 若松英輔は、ネット情報によれば幼児に洗礼を受けていて、小友聡は母親がクリスチャンで子どものころから教会学校に通っていたというように、2人とも幼いころからキリスト教に接していたというのが共通する点で、立ち位置が、ともに学者、評論家ではなく、宗教者、伝道師であるということから、言葉遣いもやさしく、心に響く対談になっているものと思われます。

 いくつかの主張を私の解釈を交え列挙してみますが、これらは互いにつながり支えあっているものだと思います。
①とにかく生きよ、人生を肯定せよということ:コヘレトは、それでも明日に向かって種を蒔け、たとえ明日が終わりだとしても、今日を精一杯生きよと言っている。「人生は短い、だから生きていても意味がない」ではなく、「人生は短い、だからこそ生きよう」と言う。挫折や苦しみといった、これまでは失敗に分類されていたものにこそ価値があるとする。これは、「悲しむ人々は、幸いである」というキリストの言葉に通じるものである。

②知ることではなく信じること:心に届く言葉というものは、宗教的に洗練された教理でも哲学的なテーゼでもなく、むしろ黙ってその人の手を握るといった行為こそが心に届くものである。現代人は、知恵というものは生活の工夫によって得られるものと思っているが、旧約聖書の言う知恵とは、神とのつながりの中で明らかになっていくもので、知恵は「あたま」ではなく、「いのち」によってもたらされるものである。
→そもそも世の中が不条理である限り、頭で考える知ではなく信によって対抗しなければならないということか。

③人は自分の意志だけで生きているのではなく、生かされているということ:我々はずっと「どう生きるつもりなのか」と問われ続けてきた。でも実は、現に私たちは生きていて、生かされているのである。生きるとは、自分が納得するような小さな世界で人生を決めていくものではなく、むしろ受け身の姿勢で賜物として与えられるものを待つことである。
→これは近代の個の概念と対立するもの。

④幸福とは比較するものではないこと:私たちは、誰かが作った、本当にそれが幸福かどうか分からないものを幸福として押しつけられているともいえる。自分にとっての幸福とは何かを今一度改めて見つめる必要がある。労苦についても、本来は自分が生きるために行なうものだから、人と比較するものではない。しかし現代の世の中では、他人の幸福や労苦を自分の場合と比較するようにして生きている。

現代社会がいかに貪欲なものであるか:生活水準がある程度向上しているのに、なおもっと豊かになろうとしている社会とは何なのか。いちばん豊かな社会がさらに経済的利益を追求しようとするのは、現代人の心が貪欲と嫉妬心に征服されているからである。大学では学生に優秀な人材となれと言うが、教育者がそんなことをためらいもなく言う時代になってしまった。アレントが言うように、商品やサービスを創り出す「仕事」ではなく、生活に深く根差した生きるという「労働」にこそ生命の祝福があるのに。

 インドで活躍したというカトリックの修道司祭ビード・グリフィスという人の言葉で、個々の宗教と、霊性との関係を喩えた言葉が紹介されていました。それぞれの宗教と霊性は、ちょうど手の指と手のひらとの関係で、それぞれの宗教(指)は離れて存在しているが、手のひら(霊性)によってつながっているというものです。宗教には、その根底でつながるセンスというようなものがあると思うと小友聡も発言していました。

 最後に、「コヘレトの言葉」他から心に残った言葉を書いておきます。

空の空、一切は空である(「コヘレトの言葉」第1章2節)

母の胎から出て来たように/人は裸で帰って行く。/彼が労苦しても/その手に携えて行くものは何もない(〃、第5章14~15節)

生きている犬のほうが死んだ獅子よりも幸せである。/生きている者は死ぬことを知っている。/けれども、死者は何一つ知らず/もはや報いを受けることもない/・・・/太陽の下で行われるすべてのうちで/彼らにはとこしえに受ける分はない/さあ、あなたのパンを喜んで食べよ。/あなたのぶどう酒を心楽しく飲むがよい(〃、第9章4~9節)

たらふく食べても、少ししか食べなくても/働く者の眠りは快い。/富める者は食べ飽きていようとも/安らかに眠れない(〃、第5章9~11節)

すべての人は食べ、飲み/あらゆる労苦の内に幸せを見いだす。/これこそが神の賜物である(〃、第3章12~13節)

すべての出来事には時と法がある。/災いは人間に重くのしかかる。/やがて何が起こるかを知る者は一人もいない(〃、第8章6~7節)

貧しくもせず、富ませもせず/私にふさわしい食物で私を養ってください(「箴言」第30章7~9節)