精神病理的観点からのボードレール論二冊

f:id:ikoma-san-jin:20200226131504j:plain:w150  f:id:ikoma-san-jin:20200226131526j:plain:w104                   サルトル佐藤朔訳『ボードレール』(人文書院 1966年)
松井好夫『ボードレール―生涯と病理』(煥乎堂 1969年)


 今回は、ボードレールの生涯を精神分析的視点で追った評論を読みました。サルトルボードレール論は、詩作品にはほとんど触れず、手紙や覚書を材料にして人物像を解釈したもので、ボードレールの人間的弱さを情け容赦なくこき下ろしたという印象。何か恨みでもあるのかと言いたいくらい。松井好夫も人物の病癖から作品に迫ったものですが、まだ松井好夫の方がボードレール作品への愛着が窺えて好感が持てました。

 サルトルの本は、結局、自分の実存主義的な人間の生き方を軸にして考えていて、そのストーリーの中で、軸からはみ出ている部分を指摘しているだけのものです。ボードレールである必然性はなく、他の誰かでもよかったというもので、優等生が哲学の模範解答を書いたという態の文章。章も区切りもなく、ひたすらだらだらと書き続けているのは、読者に対して不親切で、同じようなことを繰り返している部分を省けば、三分の一に圧縮が可能でしょう。

 松井好夫の本の中で、サルトルボードレール論を取り上げた項があり、とても要領よくまとめられていました。それを参考にしながら主要な論点を列挙すると、
①父親が亡くなり母がすぐに再婚したことが出発点となって、ボードレールの宿命的な孤独がはじまる。世界と自分との間に隔絶を感じ、自らを他者として眺めるようになった。ここから彼の失敗が始まる。

②革命家は世界を変革しようとし、将来に向かって、自分で創造する価値の秩序に向かうが、反抗者は、反抗の対象を失わないように、自分を苦しめる弊害をそのままにしておくという態度をとる。ボードレールが一生こぼしつづけた義父の厳格さは、じつは彼自身が求めていたものである。自分を悪と決めつけた他律性に、どうして最初から反抗しなかったのだろうか。

ボードレールは企画することを避け、将来に背を向け、後ずさりして歩く人のように、時間をさかさまに生きた。25歳の時には、財産を半ば使い果たし、大部分の詩を書き終え、すでに終わっていたのである。

ボードレールの性格に見られる不毛性―冷感性―反自然主義―人工趣味―拝物愛―屍姦といった一連のものは緊密につながり、すべて同一の基調から発しているものである。

⑤それは生命にたいする憎悪である。多産的な自然の豊穣さは、希少を好む彼の気に入らないものだった。それで金属や鉱物、光、冷たさ、透明、不毛のような非生命的な領域に没入した。自然のままの裸身をかくす化粧と、衣服への崇拝、髪を緑に染めるような気まぐれもそこに由来している。

 サルトルは、何かすべてを見通したように書いていますが、どうしてこんなに自信たっぷりなのか不思議に思います。自分にも思い当たる節があるからでしょうか。


 松井好夫の本は、第一部が生涯に沿って、第二部はテーマ別に、そして第三部は精神病理の面から叙述されていて、整理されていて分かりやすく、また新しい事実を知ることができました。
ボードレールはロンドン生まれの母から英語を教え込まれアングロサクソン風の教育を受けた。

ボードレールの死に至った病気の原因は脳卒中で、家系を見ても父も母も、異母兄も脳卒中で死んでいる。ボードレールの初めての発作が1860年1月、その後1862年1月、1865年2月、12月と続いて予兆が起こっている。

③中学校を退校になったのは教師への不服従が他の生徒に悪影響を及ぼすという理由だったようだ。

④1866年7月ボードレールが病を得てベルギーからパリへ戻ってきたときに、北駅で到着を待っていたアスリノーが報告しているその姿が印象的。《私を認めると、彼は永い、高らかな、しつっこい哄笑の声をあげた。私は慄然として血の凍るのを覚えた》。

⑤松井好夫は、ボードレールの性格を、クレッチマーのいう分裂病質に一致するとしている。

⑥ホフマンが共感覚について書いている文章をボードレールが引用していた。→ボードレール万物照応の考え方はスウェーデンボルグの影響と言われているが、ホフマンも影響を与えたと考えられるのでは。

プルーストボードレール論の次の文章が面白い。「ボードレールの告白によると、何よりもまず髪の毛や脚や膝を熱愛するようである・・・足と髪の間には明らかに全身がある。しかし、『悪の華』の中で、彼がこんなにしつっこくいうのを見れば、人々はきっと彼は女の膝のところで、永い間じっとしていたのではなかろうかと思えるほどである」。

⑧「人工楽園」のアシーシュの幻覚について書かれた次の文章も不思議な味わいのあるものでした。「諸君は自分が気化するように感じ、諸君のパイプに(その中で諸君はちょうどタバコのように、うずくまり、縮んでいるような気持ちになるのだが)諸君をふかすという不思議な能力があるものと考えるようになる」。