:田辺貞之助対訳『フランス短編名作集』

最近読んだ本シリーズ:田辺貞之助対訳『フランス短編名作集』

外函→  中身→



 写真のように函だけを見ると単なる翻訳本に見えますが、中身はフランス書のように洒落ています。


 生徒に教えるような語り掛けるような懇切丁寧な注釈が付いていて、学生時代購読の授業もほとんど出ずに終わった不真面目な学生としては、深く反省しながら授業を受けなおした心境です。先日購入した田辺貞之助『現代フランス文法』も懇切丁寧な説明がされているようで、田辺先生の人柄が偲ばれます。


 左のフランス語ページを読み、分かるところはそのままで、下に注釈があればこれを読み、分からなければ最後に右の訳文を見るというふうにして読み進めました。とくになぜその時制を使っているか心理にまで及ぶ解説や、言葉の意味の深い説明を読むと、フランス語の文章の細かな美しさが味わわれて、これまで注釈本や対訳本はばかにして遠ざけておりましたが、これからは心を入れ替えて読むことにしようと思います。


 作品はどれも素晴らしいものばかり。
 最初のペロー「Cendrillon(サンドリヨン)」はむかし日本語で読んだときと比べると、ひとつひとつの言葉が濃密で美しいように感じられました。これはこの本に収められたどの作品でも共通しますが、フランス語だからでしょうか。


 ネルヴァルの「Le Monstre Vert(緑の怪物)」も読んだことがありますが、随分前なのでまるで初めてのような印象でした。童話のようでありながら生々しくグロテスクなイメージがあります。


 ゴーチェの「Le Nid de Rossignols(鶯の巣)」も童話の一種ですが、言葉の緻密さは驚くばかりです。螺鈿の微細な模様が光り輝いているのを見るかのように、文章の細かな部分に彫琢された美しさがあります。しかも音楽という目に見えない題材を扱いながら、絵のように見える物語として描いています。素人ならではの発言ですが、プルーストの音楽についての文章に近いものを感じました。ネルヴァル→プルーストというのはよく見られる学説ですが、ゴーチェ→プルーストの方が当たっているように思います。


 メリメの「Histoire de Rondino(ロンディノの物語)」はこれまでの3編の寓話的な世界から一転して、ハードボイルドの原型を見るかのようです。余計なものをそぎ落とした語り口で、主人公が無頼になるまでの生い立ちが語られます。主人公は世間からは放埓と見られていますが、ある規律を自己に課しながら厳しく生きており、運命にしたがって粛々と刑を受ける姿が描かれます。フランス語がこんな乾いた文体を持てるとは知らなんだ。


 リラダンの「Soeur Natalia(修道女ナターリヤ)」とアナトール・フランスの「Le Jongleur de Notre-Dame(聖母の手品師)」はキリスト教秘蹟を扱っている点で共通しています。主人公が苦労を重ね重ねて辿り着く物語の最後の場面で、教会の聖母の彫像が突然喋ったり動き出したりして主人公を助ける、というのが作品のインパクトとなっています。


 モーパッサンの「Menuet(メヌエット)」はこの本の中でいちばん感心した作品。「どうしても忘れられない一瞬」について主人公が語り始めますが、しばらくは抽象的な一般論、次に公園を散歩する奇怪な老人をめぐっての平平凡凡とした日常的な話題が続き、なかなかその一瞬がどんなものか教えてくれません。相当じらされた後、公園のなかで老夫婦が主人公に旧時代のダンスをからくり人形のように踊るの見せてくれる場面で、おそらく老夫婦の人生の最高の到達点と思われる一瞬を垣間見せ、その印象を残しながら静かに物語を終えます。


 ドーデの「L’Arlésienne(アルルの女)」はフランス語で読むのも2回目。恋に煩悶する純真素朴な若者と母の子への愛が南仏の農村の土俗的な雰囲気を背景に語られています。


 コペの「La Petite Papetière(文房具屋の娘)」はこの本の中でもっとも目立たない作品。味があるといえばありますが、どうしてこんな作品を書いたかよく分からない。


 フィリップ「La Charrette(乳母車)」は子どもたちの生き生きとした動きが見えるように描かれています。これを読むと日本もフランスも子どもたちの行動はそんなに変わらないことがよく分かります。一点だけ赤ちゃんもぶどう酒を飲むのにはたまげましたが。