:井上究一郎『ガリマールの家』


井上究一郎ガリマールの家―ある物語風のクロニクル』(筑摩書房 1980年)

                                   
 引き続き、フランス文学者のパリ体験。この本はこれまでのものと違って、単純なフランス滞在記ではなく、なんとも不思議な作品です。実際のパリ滞在は1957年の秋から1958年の夏までの半年余にすぎず、当初日本会館に投宿していましたが、教授の紹介で、メゾン・ガリマールという出版社兼一族の広大な館の一角に住むことになり、その時の回想が中心になっています。

 全体で十四章からなりますが、初めの三章は、ガストン・ガリマールの訃報を目にして、ガリマール社の草創期を回顧し、ガストンの文学的な生い立ちを語り、ガストンによるプルースト作品の刊行について語っているので、タイトルどおりガリマール社の話かと思えば、タイトルは一種の囮で、そこから著者のパリ滞在時の思い出に入ります。

 ガリマール社のあるパリ7区の街の思い出を語り、つぎにネルヴァルの「シルヴィ」の舞台となったモルトフォンテーヌへの小旅行の思い出に話が移ります。その宿の当主が若い頃にプルーストが晩餐会で失態を演じたところを目撃しており、その話を聞くことが目的のひとつだったのです。シルヴィの舞台を求めて歩いているうちに、雨に会い、通りすがりの車に宿まで送ってもらったのをきっかけとして、その車の男女二人と知り合います。男はある画廊付属の写真家で、プルーストの死顔のデッサンをした画家スゴンザックと友人でした。

 彼から、フェミナ賞受賞者の作家と、プルーストの親友アルビュフェラ公爵の嗣子を紹介してもらい、フェミナ賞作家からプルーストと親交のあったマドラゾという画家を紹介され、嗣子からアルビュフェラ公爵が秘蔵していたプルーストの手紙を見せてもらったりします。それとは別に、プルーストに水中花を送り文通をしていたリーフスタール夫人に会って、もう一人プルーストの死顔を描いていたポール・エルーの話を聞いたり、ロンドンまで行って『プルースト伝』で評判になっている作家と会ったりと、プルーストに繋がる話がどんどんと広がって行きます。

 と本当にあった話のように読んでいたら、最後の「追記」で真相が明かされます。冒頭の訃報を偶然目にしたことがきっかけというのは、実際は中央公論社の文芸誌「海」の編集部から、ガリマールの死についての記事を求められたことがきっかけと分かります。さらに、登場人物は、もちろん実在の人たちで、しかも語られている言葉やエピソードには嘘はありませんが、すでに公表されているものを引用したもので、それを物語風に人物に語らせつなぎあわせたというのです(p154)。『プルースト伝』で評判の作家に会ったことは、後ろについている写真で事実と分かりますが、他の人びとはどこまで実際に会って話をしたものかが、結局よく分からなくなりました。

 なぜそんな書き方をしたのか、著者自身は次のように書いています。「そうした事実と経験を語るにもっともふさわしい形式は、結論として、私的な『物語風のクロニクル』にならざるをえなかったのであった、おそらく、内的な真実は、長い時のあいだに、徐々に形成されるものであって、事実の早急でひからびた羅列のなかに宿るものではないのであろう」(p154)。

 このような方法は本書のテーマとまさしく符合していて、成功していると言えるでしょう。ネルヴァルやプルーストが採用した思い出を辿る探索の物語の手法に倣って、彼らの作品に繋がる事蹟や登場人物のモデルを探訪する展開となっているからです。フランス文学の評論をすべて読んだわけではないので、いい加減なことは言えませんが、おそらくこのようなかたちの文学エッセイは他にないのではないでしょうか。

話の進め方が自然で、次から次へ謎が現れながら、それが解きほぐされて行きますが、また新たな謎が浮かんできて、最終的にぼんやりした感触しか残りません。全体的に詩的な情緒が立ち込め、ときに劇的になったり、ネルヴァルやプルーストの一場面が突如と姿を見せたり、また各章の終わりでは落ちのようなものがあったり余韻を残す書き方をしたりと、なかなか巧みです。評論というよりは一種の物語というのがふさわしく、それで「ある物語風の」と副題をつけたのでしょう。