J.CAZOTTE『LE DIABLE AMOUREUX』(Le club français du livre 1951年)
1845年にLÉON GANIVET社から出た本の復刻。 ネルヴァルの序文が90頁、本文189頁、ジャン・リシェの解説が11頁。ÉDOUARD DE BEAUMONTの挿絵が200点あり、このヴィネットが何とも魅力的。章の冒頭の花文字も工夫があって面白い。素晴らしく物語にマッチしていて、豊かな気分で読書できました。いくつか例を載せておきます。
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今回は、翻訳と照らし合わせながら読みました。ネルヴァルの序文は翻訳が出てないだろうと思いながら、しばらく読み進んでから、そういえば『幻視者』のなかにカゾットの章があったと思い出し、もしやこの序文と同じものではと確かめて、はじめて気がついた次第。これは学生時代に読んでいますが、カゾットがフランス革命で処刑されたという重要なところも、まったく覚えていませんでした。本文の翻訳は、単行本と訳文を少し改訂したらしい「幻想と怪奇」の創刊号・第二号に分載されたものと両方所持していましたが、単行本の方で照合しました。
ネルヴァル入沢康夫訳『幻視者―あるいは社会主義の先駆者たち』上巻(現代思潮社 1968年)
カゾット渡辺一夫/平岡昇共訳『惡魔の恋』(逍遥書院 1948年)
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入沢康夫も渡辺一夫らもなかなかいい訳をしていて、私の読みが相変わらず不十分で間違いだらけというのも、よく分かりました。年に1、2回は訳本のあるのを読んで、反省する必要があります。何度も書くようですが、誤読のもとは、①否定の取り違え、②隠れた成句の読み違え、③副詞とか単語の見落とし、④単語の正確な意味の理解不足、⑤構文の把握不足、⑥もっとも重症なのは、話の流れで勝手に思い込んでしまう読み方。要は不注意が半分、単語成句構文等の知識不足が半分。とりあえず慎重に読むことで誤読は半分に減らせるでしょう。
翻訳もあるので梗概は略しますが、もともと主人公のスペイン騎士が、仲間に降霊術で悪魔を呼び出すことができると自慢し「地獄の大魔王の耳でも引っ張ってやりまさあ」と言ったことから、この物語は始まっていて、実際に犬になった悪魔の耳を引張ったり、悪魔に対して居丈高な振る舞いに及びます。この物語のポイントは、呼び出した悪魔が醜悪なラクダの顔をしていたので、主人公が忠実な犬になれと命じ、次に宴席を準備しろと命じた時に、美しい小姓の姿になりますが、実は女性で、主人公はその美女が悪魔の化身であるという素性を知りつつも、その美女に翻弄されてしまうというところにあります。悪魔の側から見れば、居丈高な主人公に悪魔なりのやり方で復讐する物語です。
悪魔は現実を都合のいいように歪める力を持っていて、借金を負った主人公が実家の家令から金貨を渡されて助けられたり、賭博で大勝したり、母親が危篤だと家の者が知らせにきたりします。作品のなかでは現実も嘘も同一の地平で行なわれるという文学上のトリックのせいで、読者も騙されてしまい、悪魔の美貌の姿に幻惑されてしまいます。悪魔の論理では、自分は悪魔でなくあなたの味方の精霊で、初めにラクダの顔をして現れたのは友人たちのいたずらだと主張し、真実が混沌として来るのです。これがこの物語が幻想小説である理由です。
もともと男性にとって女性の魅力は悪魔的なもので、古来から聖人たちが誘惑を退けるのに四苦八苦するのを見ても、宗教の根源もそのあたりにあるように思われますし、悪魔的な女性は文学の主要なテーマになってきました。解説でジャン・リシェが、カゾットの影響でこのテーマの数多くの名作が生まれたとし、メリメの出世作「女は悪魔」(戯曲)、ホフマン「悪魔の霊薬」、ルイス「マンク」、ノディエ「トリルビィ」などを挙げています。これはロマン派の恰好のテーマのようです。
同じく、ジャン・リシェが解説で、この物語の構想は、Brognolusの悪魔祓いに関する書物のエピソードに影響を与えられたのではないかと指摘しています。それはベルガモに住む青年が淫夢魔に襲われた話で、ある夜青年が寝ていたら、ベッドに恋人が現れ、母親から酷い仕打ちを受けたので逃げてきたと言い、青年は本当の恋人ではないとすぐに見抜くが、欲望に抗しがたく受け入れてしまう。実は、青年を見染めた悪魔が恋人の姿になって現れたのだった。青年は悪魔に数か月間憑りつかれた後ようやく解放され悔い改めたという話。この本は1668年に出版されたので、カゾットが直接か引用で読んだ可能性があると言っています。
『恋する悪魔』のもう一つの特徴は、主人公がスペイン騎士、舞台もイタリア(ナポリ、ヴェニス、トリノ)とスペインで、フランスは通過するだけの国。ヴェニスでは劇場や仮装行列を楽しんだり、カジノで遊び、高等娼婦にうつつを抜かしたり、スペインではジプシーが出てきたりと、異国情緒が全体を通じて感じられることです。18世紀から19世紀にかけては、異国情緒がフランスの芸術作品のテーマの一つになりますが、『千夜一夜物語』の翻訳(ガラン版)が1701年に出版されたことがそのきっかけとされているようです。この物語自体にも、魔神が主人の願いを叶えるという『千夜一夜』風のパターンが見られます。
ジャン・リシェの解説は未訳なので、上記の他にいくつか印象に残った点をご紹介しておきます。
①カゾットは悪魔学の本をたくさん読んでいて、悪魔は誰かを驚かそうとするとき、鶏、鷹、龍の形を取り、親しみや忠誠を示すときは、猫や犬の姿になるという知識をこの本で使っている。初めに現れるラクダは鷹や龍の変形だ。
②カゾットのマルティニスム入信後の作品は、芸術的要素は消え、説教臭が充満していて、脱線が多い。
③カゾットとネルヴァルは秘教的な関心など共通点が多く、カゾットの作品がネルヴァルの作品に多大な影響を与えている。「Correspondance mystique(神秘的交流)」が「オーレリア」に、千夜一夜風物語の「Histoire d’Halechalbé et de la dame inconnue(アルシャルベと見知らぬ婦人の物語)」、「Aventures de Simoustapha et de la princesse Ilsetilsone(シムスターファとイルスティルソヌ姫の冒険)」が、それぞれ『東方紀行』のなかの「カリフ・ハケムの物語」、「精霊の王と暁の女王の物語」に。
カゾットのこうした作品をまた読んでみたいと思います。がまず手に入れてから。