:ÉMILE HENRIOT『Le diable À L’HÔTEL ou les plaisirs imaginaires』(エミール・アンリオ『ホテルにいる悪魔―夢見る喜び』)


ÉMILE HENRIOT『Le diable À L’HÔTEL ou les plaisirs imaginaires』(PLON 1950年)

                                   
 生田耕作旧蔵書。「diable(悪魔)」という言葉に惹きつけられて買った一冊。初版は1920年。なかなか楽しく読むことができました。1920年というと第一次世界大戦の直後なのに、こんなに優雅な物語を作る環境がすでに整っていたのかと、不思議な気がしました。

 エミール・アンリオについては、アンリ・ド・レニエの弟子らしいということと、レニエの年譜の1913年の項に、レニエの男出入りの激しい奥さんの愛人として名前が挙がっていたぐらいしか知識はありませんでした。

 物語の導入となる序文があり、とても軽やかな雰囲気で洒落ていたので引込まれてしまいました。本文はやはりレニエの紀行文と似ている気がします。過去に栄光のあった古い町並み、昔の建物やその装飾、古びた家具や骨董品への偏愛、すなわち過去への愛着が延々と語られています。レニエは18世紀イタリアで、ヴェニスでしたが、アンリオは18世紀フランス、エクス・アン・プロヴァンスです。全体に立ち込める幻想的雰囲気、男女間の社交の世界も共通です。レニエのほうが描写が濃密で複雑。レニエの研ぎ澄まされた部分を柔らかくしたような感じと言えましょうか。少し喜劇的なタッチもあります。

 本文は45章に別れ、各章にエピグラフが掲げられています。スターン「感傷旅行」はじめ、スタンダール、ラ・フォンテーヌ、ゴーチェ、ヴォルテールロンゴスなどからの引用。アンリ・ド・レニエもありました。散文で綴った物語のあとに、詩が反復するような形でちりばめられているのが、歌物語風で豊かな味わいがありました。散文自体も詩的な文飾が豊富で、とくに6章「眠りの泉の美女」は全体が散文詩のような章となっていました。
   
 物語の概要は、作者と思しき主人公が南仏の旅の第一歩にエクスへ逗留したところ、泉がいたるところにあり、装飾が施された古い館が並ぶ町の魅力にとらわれると同時に、ホテル滞留客との交流のなかで、一人のイギリス女性を恋するようになります。アルル以降の旅の旅程をキャンセルして、最後はエクスに家を借りようというところまで行きますが、結局独り相撲の恋に終わり、傷心のうちにエクスを去るという話。

 物語に彩りを添えているのは登場人物で、骨董屋のようなホテルの支配人、カバラに凝っている大学生、麺と水ばかりで消化不良の情報通の若者、猫撫ぜ声のパリ婦人、色気をふりまく女中、やたら走りまわっているボーイなど、癖があったり、おかしみがあったりの人物が次々と出てきます。

 最初は旅行記のようなつもりで読んでいましたが、物語がずっとエクスから離れないので、ローデンバックの『死都ブルージュ』のように町が主人公ともいえる小説だと分かりました。ニースやグラースには行ったことがありますが、残念ながらエクスには行ったことがないので、泉の町エクスを逍遥し、グラネという風景画家の作品がある美術館を見たくなりました。

 タイトルの『ホテルにいる悪魔』の「悪魔」は、この物語のクライマックスに当たる部分で本当に悪魔を見る場面があることからつけられたと思いますが(結局偶然の仕業で悪魔に見えただけだった)、古代ローマの温泉があり骨董に埋もれたホテルが幻想を誘発するといった意味もあり、さらに広げると、エクスという魔法にかかったような町の蠱惑的な魅力を喩えた言葉だと思います。

 泉や彫像にあふれた古色蒼然とした町の描写以外にも、ところどころに星座占いや魔法の話、怪談、教会にある悪魔的な絵の説明や悪夢の描写が差し挟まれ、幻想的な雰囲気をつくり出していました。

 序文にあった「夢見るのが好きだ。というのは夢は貧者の宝だからだ。われわれを旅に導いてくれるのはその夢だ」というフレーズが印象的でした。