JEAN LORRAIN『MADAME MONPALOU』(ジャン・ロラン『モンパルー夫人』)

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JEAN LORRAIN『MADAME MONPALOU―HEURES DE VILLES D’EAUX(温泉地でのできごと)』(ALBIN MICHEL 1928年)


 中編小説「MADAME MONPALOU」、ルポルタージュ風短編6篇の「QUELQUES SOURCES, QUELQUES PLAGES(温泉、海水浴場)」、連作短編6篇の「L’ÉTÉ DANS LES ALPES(アルプスの夏)」の三部に別れていますが、いずれも温泉、海辺、山の夏の避暑地を舞台に、湯治や避暑にやってきた上流階級と地元の人々が繰り広げる人間模様を描いています。これまで読んだジャン・ロランの他の作品でも、『VILLA MAURESQUE(ムーア風別荘)』(原題『Très russe(超ロシア的)』)や『LES NORONSOFF(ノロンソフ家)』、『LE CRIME DES RICHES(富豪たちの犯罪)』などで、避暑地を舞台にしたものがありました。

 私の好きなマルセル・ブリヨンの小説にも、温泉地へ逗留する主人公がよく出てきますし、アンリ・ド・レニエヴェニスものや地中海探訪記、エミール・アンリオの『Le diable À L’HÔTEL(ホテルにいる悪魔)』もそうした味わいが濃厚です。先日、奈良日仏協会のシネクラブで、エリック・ロメール監督の『海辺のポーリーヌ』と、『夏物語』の一部を見たとき、参加者の発言から示唆を受けましたが、どうやら避暑地文学・映画とも言うべきジャンルがフランスにはあるようです。そのとき出た例では、コレットの『青い麦』やサガンの『悲しみよこんにちわ』でした。マルセル・パニョルの『マルセルの夏』、『太陽がいっぱい』、ゴダールの『気狂いピエロ』なども入るでしょうか。あるいはフランスに限らずこれをヨーロッパ全般に広げていいのかも知れません。

 いくつかジャン・ロランの眼目とするものが感じられたのは、真の信仰の追求、女性への蔑視、各種病気の様態とその治療法の開陳です。「Madame Monpalou」で、言い寄る作家に対し「今は恩を受けた銀行家が重病なので彼に尽くしたい」と拒絶する銀行家の愛人の態度を神父の口を借りて絶賛したり、「Monseigneur aux champs(田舎の猊下)」で、大司教の口を借りて、上流階級の虚栄心に駆られた信仰より農民の素朴な信仰を称揚しています。ジャン・ロランには悪魔主義的、頽廃的なイメージがありますが、本心はけっこう庶民的で素朴な道徳の持主だったということが分かります。

 女性に対しては、モンパルー夫人の虚栄心に満ちた居丈高な態度への批判的眼差しや、「QUELQUES SOURCES, QUELQUES PLAGES」での女性たちのつばぜり合いへの揶揄、「Monseigneur aux champs」での、寒村の小教会で繰り広げられる上流婦人たちの虚飾に対する嫌悪や、司祭を誘惑しようとする女たちの振る舞いを悪魔の所業と罵倒するなど、厳しい見方が多い。

 湯治客の病気は、便秘症、鼓腸など慢性の腸疾患、虚弱体質、貧血、リューマチ、関節病、皮膚病、不妊治療、神経病など、各種の病気が列挙されていて、それに対する療法として、温泉水を飲むのもあれば、シャワーが各種あり、水平シャワー(douche horizontale)、上げシャワー(douche ascendante)、海中シャワー(douche sous-marine)、ティボリシャワー(douche de Tivoli)というのも出てきました。具体的にどんなものかはよく分かりませんでした。ついでに書くと、温泉のことを「thermales」とか「eaux」というのは知ってましたが、「Bagnères」というような言い方もあることを知りました(Bagnères de Vénasquesというのが出てきた)。

 なかでは、やはり「Madame Monpalou」が、温泉地へ療養に来た各種各様のご婦人方のさまざまな振る舞い、尻に敷かれた亭主たちの動きなどが活写され、次から次へ珍妙な登場人物が現われ、相手を間違えた軽率不倫など話がどんどん広がって、一種のドタバタ喜劇の様相を呈する佳作。

 簡単なあらすじを紹介しておきます。
〇MADAME MONPALOU
 あるひと夏の温泉地での出来事。ホテルの客や従業員を配下のように見なしている虚栄心の強いモンパルー夫人は、娘婿の義理の兄弟に当たる高名な作家が療養にやってくると知って、みんなに紹介して尊敬を集めようとするが、作家は相手だにせず、逆に同じホテルに滞在する若夫人らの方へ靡いてしまう。怒りに燃えた夫人はいろいろ画策するが、逆目に出て作家は帰ってしまい、夫人はホテル中の笑い者になる。何とか復讐しようと、若夫人の浮気を見つけ、若夫人はパニックになる。翌日、若夫人の浮気相手の男は、モンパルー夫人はもう喋ることはないと若夫人を安心させるが、若夫人はすぐ温泉地を去った。殺人を匂わせ、またそれが徒労になってしまう男の無残な姿が最後に残る。

QUELQUES SOURCES, QUELQUES PLAGES(温泉と海水浴場)
 ピレネーのふもとフランス・バスクの避暑地が舞台。豪華で優雅な振る舞いをするパリから来た神経病者たちとそれを蔭で見ながら悪口を言う地元の女たち、近隣地方からやってきて噂話に花を咲かせる湯治客たち、地元客でにぎわうカジノへゴシップを探りに行く老夫婦、軍隊が駐留にやってきて女性を中心に騒然となる町の様子、シーズンが終わり町が寂れ店主たちがぼやくなかでのカジノの頑張りが描かれ、最後に、スペイン王室の威光のもと自然の美しさに輝くビアリッツの魅力がガイドの口を通じて語られる。

L’ÉTÉ DANS LES ALPES(アルプスの夏)
Ⅰ.-Le Coup de corne(角の一撃)
 アルプスのホテルの常連客の老寡婦が獰猛な牡牛に追いかけられてほうほうの体でホテルに逃げ帰ってくる。それ以来婦人方には護衛がつくようになり、老寡婦と姪にも一人護衛が付く。ところがその男と姪とができ、男が去った後、赤子が生まれた。叔母は牛に遭っただけだが、姪は角で突かれたと揶揄された。

Ⅱ.-Les angoisses de Monseigneur(猊下の苦しみ)
 高僧がアルプス高原の寒村に避暑にやってくるが、できているはずの礼拝堂が未完成で、信仰の篤い老姉妹が経営する旅籠が1室を提供する。が過剰に便宜を図ったので他の客が激怒し、結局高僧はさるお金持ち夫人が用意した別荘に移ることになる。

Ⅲ.-La Tambourin des Alpes(アルプスの長太鼓)
 前年の夏ブルターニュで騒がしい歌手に悩まされたので、今年はと主人公は静けさを求めてアルプスにやってきた。がホテルに着いたとき聞こえてきたのはその歌だった。歌に全身全霊の情熱を傾けているが過剰な情熱と歌声が客たちを辟易させる歌姫は、ヨーロッパ各地を回っていたのだ。

Ⅳ.-Séraphina(セラフィーナ
 アルプスに行く部隊のなかでいちばん男前の少尉が、みんなからロドリナに行くんだったらこのホテルへ行くんだと推薦される。そこには魅力的だが50代の伯爵夫人と若い娘がいた。少尉は伯爵夫人に対し騎士のように振舞いながら、最後は若い娘の部屋へ忍んで行く。

Ⅴ.-Nuit d’hôtel(ホテルの夜)
 広いベランダに面して各部屋の戸が向いているホテルの夜に起こった怪事件。思春期の娘が憧れの文筆家の部屋を見ようと、夜、こっそりとベランダに出たが、半開きの戸から当人の顔が覗いて、恥ずかしさのあまり、化粧バッグを放り出して、物置小屋のなかに逃げた。そこには厩舎係の男がいてスキャンダルとなった。男は客にリューマチの按摩を頼まれたと言うが、それが誰かは口を閉ざした。こう書くとつまらないが、いろんなエピソードをつなぎながらの話の運びが巧みで事件が彷彿と浮かびあがる。

Ⅵ.-Monseigneur aux champs(田舎の猊下
 モンテヴラに避暑に来た大司教は、地元の司祭が教会が立派になってよかったと喜ぶのに対し、自分が来たことで、村が上流階級の人たちの虚飾と倨傲の騒乱に巻き込まれたことを嘆く。が一方で、貧しい山の人たちが谷底から山を登って自分のミサを聞きに集まってくることに感動してもいた。虚栄の信仰と素朴な信仰を対比的に描いている。