HENRI DE RÉGNIER『L’ESCAPADE』(アンリ・ド・レニエ『束の間の逃避行』)

f:id:ikoma-san-jin:20210725083541j:plain:w150
HENRI DE RÉGNIER『L’ESCAPADE』(MERCURE DE FRANCE 1926年) 


 5年ほど前、パリのブラッサンス公園の古本市で買った本。レニエの後期の長編小説です。人物造形、ストーリー展開、話を面白くするような筆運びなど、ハーレクイン・ロマンスのような大衆小説の風合いがあります。盗賊と騎兵隊の乱闘、果樹園や並木、池がある貴族の館の生活、夜の森を少女が馬で駆け抜けるシーンがあったり、田園、渓谷、山岳など自然の風光が描かれ、映画にもできそうな物語です。題名の「束の間の逃避行」というのは、主人公の少女の二晩の失踪のこと。

 物語はおおよそ下記のとおり。
パリの貴族の家柄の3兄弟が登場人物の主軸。長男は侯爵で、負傷して除隊しながらも国に忠誠を尽くし、王に助言する立場の人間となり尊敬を集めていたが、次男は男爵で、若いころの女性体験がトラウマとなって女性嫌いとなり、エスピニョルという田舎にある屋敷に隠遁していた。三男は爵位も欲しがらず、賭け事や放蕩に身を持ち崩していた。

冒頭、エスピニョルの近くの渓谷で、いきなり馬車が盗賊に襲われる場面から始まる。馬車には、17歳の美しい少女と付き添いの女中が乗っていて、次男の男爵が、兄嫁の侯爵夫人から頼まれて、その娘を自分の館に引取るところだった。幸い騎兵隊が現われて事なきを得る。ただ盗賊の首領を見てから少女の様子が夢見がちになる。恋をしたのか。

少女は修道院で育てられていたが、養育費が途絶えたので引取ってほしいと修道院長から頼まれ、次男のところに住まわせることにしたのだ。むかし修道院長の従兄弟の紹介で、貴族の三男がその娘を修道院に預けに来たという。放蕩の結果の実の娘かも知れない。

女嫌いだったはずの次男の男爵は美人で礼儀正しい娘と一緒に生活して、幸せな気持ちになる。男爵がきれいな娘と住んでいるというのが近くの町で噂となり、町の情報屋の耳に入る。情報屋は下心もあり、さっそく男爵の館に行って、馬車を襲った盗賊のその後の話など情報提供した。娘は熱心に聞き入っていた。首領は貴族の出で、除隊してからは賭博場に出入りするようになって悪の道へ入ったという。いろんな顔を使い分けるので百面相という名前で呼ばれていた。

ある嵐の夜に、男爵の館に一人の士官が宿を求めに来たが、娘は一目見て、彼が百面相であることを見抜いた。ますます恋心が募り、夜、彼が泊まっている部屋の棟の階段の下に佇む。士官は置手紙を残したまま男爵の馬を盗んで早朝に去り、男爵は士官が百面相だったことを知って慄く。その日から、娘の頼みで、元兵士だった館の執事が、銃の扱い方、剣術、乗馬を手ほどきをするようになる。生まれつきの才があったのかみるみる上達する。

冬が過ぎ春が来て、町の情報屋が再び男爵の館を訪れ、その後の盗賊団の動きや、オートモットの修道院長の従兄弟の館が百面相の隠れ家と疑われて捜索を受けたことなど喋る。その夜、娘は百面相が残していった馬に乗り、他の馬の腱を切って追いかけられないようにして、館を出た。めざすはオートモットだ。これまでの軍事教練はすべてこの日のためのものだったのだ。途中馬に導かれるがままに、旅籠の前に停まると、なかで盗賊たちが酒を飲んでいた。娘は平然と乗り込むと、首領に会いたいと切り出し、邪魔をする盗賊の一人をあっさりと刺し殺す。騒ぎを聞きつけて出てきた百面相は、彼女をオートモットの館へ連れ込む。

百面相は酒の勢いで疲れて寝ている娘と無理やり情交を遂げる。朝、娘は百面相の野卑な本性に幻滅し泣き伏していたが、騎兵隊に急襲されたことを知り、百面相を拷問の苦痛と恥辱から解放しなければと刺し殺す。そして、娘が失踪して大騒ぎになっていた男爵の館に、何事もなかったかのように戻り、その後生涯を独り身で過ごした。70歳のときフランス革命が起こり、市民たちに池に放り込まれて死んだ。


 だらだらと粗筋を書きましたが、物語を牽引するのは、出生に秘密があり修道院に預けられていた謎の美少女の存在です。貴族の出身の盗賊百面相もその出生の秘密に絡んでいるようです。実は、百面相が若かりし頃、一人の女優をある貴族と分け合っていて、その貴族というのが例の三男で、娘は、三男と女優との間の子だったのです。

 強盗団の首領の百面相は、百面相というようにいろんな顔を持っていること、また悪人のくせに、貴族であり礼儀正しくさっそうとした振る舞いをするところが、アルセーヌ・ルパンに似ています。調べてみると、ルパンの方が早いので、レニエが真似をしたのでしょうか。

 レニエの思想の根底にあるのか、単なる物語のための演出なのか、二つのことに気づきました。ひとつは、人間、とくに女性の内奥には、性の衝動ともいうべき恋愛への性向があって、修道院で模範的に育てられた少女にも、荒々しい行動を誘発する情動があると考えていること。侯爵夫人が三男の放蕩に怒りながら内心は羨ましがっていたかもと書いていますし、謹厳実直な侯爵もイタリアの大公に招かれ、仮面舞踏会で浮かれているうちに放蕩に陥ってしまいました。この考え方にはフロイトの影響があるのかもしれません。もうひとつは、王や貴族、士官など、毅然とした態度への礼讃で、スリやコソ泥を卑劣な振る舞いとする一方、大胆不敵な盗賊は英雄的と好感を寄せたり、フランス革命の野合的な市民たちの行動をあしざまに書いたりするところに現われています。

 最後にエピローグがついていて、この話はレニエが友人の郷土史家から、地方の言い伝えとして聞いたということが明かされ、その友人にこの物語の舞台となった場所を案内してもらったことが報告されます。が1世紀のときを経て、廃墟になっているところもあり、古い時代への郷愁と慨嘆に耽ることになります。レニエ好みの18世紀への偏愛がうかがえる作品です。