:ÉMILE HENRIOT『AVENTURES DE SYLVAIN DUTOUR』(エミール・アンリオ『シルヴァン・デュトゥールの冒険』)


ÉMILE HENRIOT『AVENTURES DE SYLVAIN DUTOUR―CONTÉES PAR LUI-MÊME』 (エミール・アンリオ『シルヴァン・デュトゥールの冒険―告白録』)(LES PETITS-FILS DE PLON ET NOURRIT)


 エミール・アンリオは、アンリ・ド・レニエを中心とした文学グループにいた作家。前に読んだ『Le diable À L’HÔTEL(ホテルにいる悪魔)』(2016年7月18日記事参照)が作風もレニエと似たところがあり気に入ったので、代表作の一つと言われる本作を読んでみました。

 先月読んだジャン・レイ『とんでもない恐怖の町』に比べると、文章に格調が感じられるというか、持って回った言い方になっていて若干読みにくくなりました。しかし内容は大衆小説的で、芝居小屋を舞台としたドタバタ騒ぎや、入り乱れた恋愛模様、殺人や処刑場の描写など、刺激的な筋立てになっています。自らの波瀾の人生を語るという点でルソーの告白録やカザノヴァ回想録の伝統上にある作品と言えます。


 手記を見つけてそれを印刷したという設定になっていますが、あらすじは次のようなものです。
 生まれてすぐ捨てられ孤児院で育った主人公。父は貴族だったらしい。音楽の才が認められてある由緒ある元帥夫人のもとに引き取られ、音楽教師のもとで声楽とフルートを学ぶ。名士を招いての華々しいデビューの当日声変わりで失敗し、召使となって働くことになるが、女中と仲良くなったことを見とがめられて追い出される。その後フルートの大道芸、露店歯医者の音楽係、散髪屋の小僧と転々とし、ある士官から軍楽隊への勧誘を受けたりもする。そうこうしているうちに芝居小屋の舞台監督兼指揮者となっていた音楽教師と再会し、その小屋のフルート奏者兼髪結い係として雇われる。看板女優シルヴィーを見染めるが、彼女には年寄りのパトロンがいた。

 芝居小屋は才能ある舞台監督のもと名声を高めていき、「恋するキューピッド」という、ここ大一番の出し物を準備しつつあった。シルヴィーの髪結いを担当しているうちにシルヴィーと相思相愛になり、シルヴィーに言い寄るもう一人の老人を巻き込んで、パトロンと老人が互いに牽制しあうように画策し、シルヴィーから二人を遠ざけることに成功した。一方、大一番の総稽古の日、王立劇場の訴えで芝居小屋が取り壊されることになり、舞台監督はじめ一同愕然とする。破壊後芝居小屋跡に駐在する隊を率いていたのは例の士官であった。士官とシルヴィーとは怪しい関係になる。

 ある日、策を弄してパトロンを老人とともに追いやり、シルヴィーとうまく二人になれたとベッドへ入った時、酔っぱらった士官が訪ねてきて乱闘になる。たまたまそこへ戻ってきた老人に士官の振り下ろした燭台が当たって殺してしまうことに。シルヴィー、士官とともに真っ蒼となるが、カーニヴァルに紛れて死体を隠すという士官の奇策が功を奏し、死体は発見されたが事件は迷宮入りとなった。その後シルヴィーとは疎遠になり別れる。しばらくして別の殺人事件で士官が逮捕され、老人殺人の事件が明るみに出れば共犯者として捕まるのではと恐怖に陥る。が士官は何も言わないまま車裂きの刑に処せられた。処刑場で顔面蒼白で溺れたような表情をしたシルヴィーに出会う。どうやらシルヴィーは彼に恋していたらしい。主人公はまた新たな生活を求めて旅に出る。

                                  
 『ホテルにいる悪魔』と比べると、詩的情調が薄れたように思えますが、逆にグロテスクな雰囲気が増し、登場人物もかなり風変わりな性格の持ち主が続出するのが新たな特徴となっています。馬顔で三重顎、黄色い皮膚がたるんで七面鳥のように垂れ下がった頬、黒い眉の下の窪んだ眼に骨ばった鼻、そして髭も生え声も男っぽい、前世紀の服装をした元帥夫人。いつも否定形の前置きをつけながら喋るが、クラヴサンの前に座った途端、熱を帯び、頭や肩、足で拍子を取りながら歌い、指揮台では熱狂的に暴れると思えば、ため息をつき優しい声でリズムを指示するホフマンの登場人物を思わせる音楽教師、左目から右唇にかけて大きな切り傷があり「切られのフランソワ」とあだ名がついている士官、指輪やボタン、煙草入れなど装身具にきわどい絵を彫りつけ、若い女性にそれを見せ叫んだり笑ったりするのを見て楽しんでいる老人など。

 グロテスクさは、殺人の修羅場や、死体を担いで繰り出したカーニヴァル会場でのお祭り騒ぎ、車裂きの刑を見ようと押しかけた群衆が渦巻く処刑場の騒乱など大掛かりな場面に見られますが、それ以外でも、元帥夫人がベッドの上で浣腸を受けている姿のまま接見したり平然とおならをしたり、音楽教師のスタッカティーニが空中浮揚ができると主張して跳びあがって額を打ったり、大道芸のいざりが潰れた鼻の片方の穴に木笛を挿して吹いたり、露天の歯医者が歯を抜き痛がる患者の苦痛を和らげようと横でフルートを奏でさせるなど、至る所でグロテスクなユーモアが感じられました。

 患者の苦痛をそらすために音楽を利用するというのは、今日流行りの療法ではないでしょうか。