BRUNO GAY-LUSSAC『Dialogue avec une ombre』(ブリュノ・ゲー=リュサック『影との対話』)

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BRUNO GAY-LUSSAC『Dialogue avec une ombre』(GALLIMARD 1972年)


 ゲー=リュサックの本はこれで二冊目です。前に読んだ『L’AUTRE VISITE(他者の訪れ)』(2015年10月15日記事参照)と同様、難しい単語も少なく平明なフランス語で、現在形で淡々と語られる叙述に特徴があります。が、今回は、個々の文章は単純でも、全体としては茫洋としていて、よく把握できず、『L’AUTRE VISITE』ほどの面白さはありませんでした。

 というのは、この作品は、全篇一人称で語られ、お前と呼びかけながら進行する部分(二人称的)と、私とジュディットと士官が繰り広げる出来事を叙述する部分(三人称的)の二つに大きく分かれていますが、とくに「お前」の部分が不明瞭だからです。冒頭からvous(お前)と呼びかける相手が居て、「お前は暗がりで背を向けている・・・振り返らせようか・・・本を読んでいるときの指の動き、息をするごとの背の動き」(p7)というような箇所を読めば、お前というのはもしかするとこの本を読んでいる私のことかという気にもなりますが、「お前は川沿いに歩き橋を渡る。映画館の前で立ち止まりまた歩き出す」(p8)といった文章で、違うということが分かってきます。

 それでも読んでいると、私じゃないかという気がするのがところどころあるうえに、たびたびそこにジュディットの名前が出てきたり、「お前」がジュディットと同じような行動を取ったりして、最後の方は、「お前」とジュディットがだんだんと重なってきます。結局、「お前」と語りかけるのがどんな存在だかよく分からなくなってしまいます。さらにそれに追い打ちをかけるように、そこに物語の「私」と作者の「私」が同じページのなかで、同じ「私」として登場し、書くという行為のなかでの現実と言葉との関係をめぐる省察も加わってきます。

 それに比べると、ジュディットと士官と私の物語は、普通の小説のようで具体的な展開が多く分かり易い。とくに85ページあたりでは、ミステリー風の盛り上がりを見せます。簡単に粗筋を辿りますと、
第二次世界大戦時のドイツ軍に占領されたフランスが舞台。独身青年の私が仮の宿とした家は妻に先立たれた改宗ユダヤ人が営んでいてジュディットという娘がいた。チェスなどをしているうちに娘と仲良くなって行く。ある日、父親の方から、田舎の地所が住み主が居ないと徴収されそうなので、娘と一緒に行って住むよう頼まれる。婚約者という名目で。

②しばらく平穏な日を送っていたが、ある日、ドイツの士官が部下とともに訪れ、駐屯場として提供するように言われる。一行を3階に寝泊まりさせることにするが、ある夜、士官が現われて、ここに一冊の貴重な本があるはずだと切り出す。士官の先祖が書いた一種の体験談で、少部数印刷され身内に配られたが、家系の淫奔さにまつわるきわどい内容だったので、一部を残して焼却された。その一部がここにあるはずだと。

③ジュディットの母方の先祖もそのドイツ人で、ジュディットの母はその本のことを知っており、遠い親戚である士官の父親に手紙で本のありかを伝えていたのだ。士官は書棚のシラー全集の奥に隠してあるはずと言い、二人の目の前で取り出す。ジュディットの顔は蒼ざめていた。その本を読んだ士官とジュディットは次の日の夜、その本に書かれているとおりのことをする。

④翌朝、私が士官の部屋に行くとベッドに血がついており、ジュディットの部屋に行くと、ジュディットは傷だらけで横たわっていた。士官は部下とともに早朝出発していた。ここに残っていると危険だと、私はジュディットと使用人とともに、地所を出る。早々に使用人は消え(後にドイツ兵に見つかって銃殺される)、二人は水車小屋に寝たり、村落に泊まったりする。

⑤ある町では、酒場で地酒を飲まされ酔っぱらったところをジュディットが狼藉されそうになったり、ある村では川で泳いでいたら男がジュディットに近寄ってくるなど、ジュディットには何だかんだと男たちが寄って来て悪さをしようとする。最後に、善良な人々の居る村で、ジュディットは着飾ると、いずれともなく姿を消した。何年か後、思い出の地を訪れた私が、ジュディットが消えて行った山に登っていくところで終る。

 結局フランス的な終わり方で、なんだかよく分かりません。人間の獣性がテーマになっているような気がしますが、例の本に何が書かれていたのか、士官がジュディットに何をしたのか、著者ははっきりとは語っていません。