『方形の円』と『迷宮都市』

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ギョルゲ・ササルマン住谷春也訳『方形の円―偽説・都市生成論』(東京創元社 2019年)
デヴィッド・ブルックス実川元子訳『迷宮都市』(福武書店 1992年)


 タイトルに「都市」と名がついて、架空の、幻影の、迷宮の、異次元のといった形容詞のついた、幻想小説らしい雰囲気の小説を片端から読んで行くことにします。中身が思ったのと違う場合もあるかも知れません。短篇集の場合は、いくつか幻想都市をテーマとする作品があっても、残りは別のテーマでしょうし、まとまった感想が書けるかどうかは不安です。

 ギョルゲ・ササルマンはルーマニア、デヴィッド・ブルックスはオーストラリアの作家。この二冊はたまたま読んだ時期が続いたというだけで、とくに内容が近いということはありません。むしろ受ける印象には隔たりがあります。文章の美しさ、想像力の奇抜さはブルックスのほうが際立っていて文学的センスが感じられますが、ササルマンは建築を専攻した理工学系の人だけあって、現実的、歴史的な記述が目立ちます。

 まず、そのササルマンの『方形の円』から。36のごく短い短篇からなる一種の空想都市コレクションで、前回読んだカルヴィーノの『見えない都市』と同じような発想の作品です。著者はフランス語版あとがきのなかで、雑誌に発表し始めたのはカルヴィーノより少し早いと、オリジナル性を主張していますが、中身は、英語版の序文で、アーシュラ・K・ル=グインが『見えない都市』と「よく似ていながら全然似ていない」(p201)と書いているように、まったく異なるものです。まず、マルコ・ポーロフビライ汗に報告するというような枠がないこと、次に、旅人の語りではなく著者の直接の記述になっていること(三人称体の普通の小説)、そしてその内容がきわめて現実的な合理的な展開で語られていること。

 ちなみに、ル=グインは自らスペイン語版から英語に訳していますが、あまり乗り気でないような印象を受けます。同じく序文で、「いくつかの話の中では、20世紀中葉のヨーロッパの男性の女性に対する態度が・・・私はうまく合わせにくかった」(p201)と書いて、36篇中12篇をカットしています。私も同感で、読んでいて、性にまつわる記述が目につき、しかも男性目線の差別的な意識が露呈していて、嫌悪感さえ催してしまいました。

 悪口ばかり書くのもどうかと思いますので、面白いと思った短篇を取りあげると。ある探検家が、道が中心に向かって螺旋形を描いている都市に紛れ込み、食糧も水も尽き死にそうになってようやく中心に辿り着き、そこにあった柩のなかに倒れ込んで死ぬが、その柩には彼の名前が記され姿が彫られていたという「サフ・ハラフ―貨幣石市」が出色。

 あとは、直角的発想しか持たない軍団が造った都市に、幾何学を知らない蛮族が侵入していとも簡単に制圧してしまう「カストルム―城砦市」、登山家が前人未到の山峰に街を発見し、その広場では行方不明になった登山家たちが踊っていて、踊りの輪の中に入ると次第に鷲に変身していく「ダヴァ―山塞市」、長さ7キロメートル、幅530メートル、時速40メートルで移動する軸状都市が結局太平洋に沈んでしまう、都市名なしの短篇。


 『迷宮都市』のほうは、23の短篇が収められていますが、地球誕生時のような話があるかと思えば、田舎町の出来事や掃除婦の話があったり、思弁小説のようなのもあれば、冒険家の日記があるという風に、それぞれに趣向が異なり、しかも各篇が単純には説明できないような不思議な話術で組み立てられています。文学的というべきでしょうか、脈絡がつかめないままに、言葉を辿り、人物を思い描いているうちに、一つの魅力的な世界に没入しています。

 都市がテーマになっている作品は、ゲーム盤が基調になりゲームによって組み立てられた街を描いた「DU」をはじめ、ペン先から始まった一行が町中をさ迷いそれを追いかけるために地図上を辿る「市街地図」、水平方向にも垂直方向にも迷路があり不動産の境界も曖昧なイカラの町を語るカルヴィーノ的な「迷宮都市」、さらに場所が重要な役割をしている短篇として、大洋にある島を訪れた冒険家が奇怪な事件に遭遇した後、数日間の記述が欠如した日記を残す「ロベルト・デ・カステランの日記」、マントリアという島あるいは街が地上のどこかにあるという伝説が宗教の色彩を帯びてくる「マントリアの白い天使」。

 神話的な世界が描かれているのは、豪雨期の地球に適応するため海中生活をする種族と地上に残る種族が分裂するが、恋人同士が引き裂かれてしまう「イルカ」、羊飼いの家族で長男が跡を継ぐので村から出て行った三男坊がどこからともなく羊を連れて帰り、そのたびに大酒を飲んで女遊びをするおおらかな雰囲気の「羊」。

 思弁的観念的なのは、エクアドルのジャングルから一冊の本を持ち帰るが、その本はすべての書物を集約したもので、いろんな家系に代々受け継がれるうちに内容は刻々と変化し、他の本に伝染し、人間がその本に寄生し…と本の神格化を記述する「本」、夢を録画できる機械が発明され社会が大混乱に陥る「夢の探求」。

 特徴ある人物が登場するのは、町で変わり者と思われているオールド・ミスがようやく叶った結婚式で忘れ物を取りに帰って戻ってきたら誰も居ず、誰もそんな結婚式はなかったと主張する「失われた結婚式」、下宿屋に住み下宿の清掃の仕事をしている女性が、公園のベンチでいつもデートしているアベックを窓から見たり、掃除しながら他人の部屋の生活を覗き見る「ナディアの恋人」。

 4次元的な?不思議な世界が描かれるのは、木の葉が落ちる途中で止まったり、一つの鏡だけ自分の姿が映らなかったり、グラスに注いだワインがグラスを持ち上げてもワインの液体だけが宙に留まっているという「あるまじきものたち」、R教授が教授室から忽然と姿を消したが、部屋に飾られた干潟地のポスターのなかに小さく写った人物が動き出した、どうやらそれがR教授らしいという「失踪」。

 どの短篇がいいかと聞かれれば、「イルカ」、「ロベルト・デ・カステランの日記」、「失踪」の3篇を挙げたいと思います。