:BRUNO GAY-LUSSAC『L’AUTRE VISITE』(ブリュノ・ゲー=リュサック『他者の訪れ』)


                                   
BRUNO GAY-LUSSAC『L’AUTRE VISITE』(GALLIMARD 1993年)

                                   
 学生時代、ラルースの文学事典で「形而上学的苦悩、夢、エロティスム、子ども時代へのノスタルジーを描いた」という説明を見て、名前をリストアップしていたのを、数年前パリのブラッサンス公園古本市で見つけて買ったもの。

 なかなか不思議な味わいの話です。頁数が159と少ないうえに、活字もページの半分ぐらいしか印刷されておらず、しかも文章が易しいので、気持ちよく読めました。他の作品もぜひ読んでみたいと思いました。

 謎が牽引して行く物語。孤独な主人公がハムレット公演のチケットを2枚カフェのテーブルに置いていると、隣席の老人に家に招かれたうえ、1枚余ってるなら若い女性を行かせようと言われる謎めいた出だし。が、公演前夜に急病で行けなくなったと女の声で電話が入り、主人公が仕方なく独り劇場へ行くとすでに芝居は始まっていて自分の席に誰か分からない女が座っている。病院へ彼女らしき人物を探して潜入すると精神に障害を負ったそれらしき人物はいたが話もできず、当人かも分からない。そして深夜にドアをノックする音がしたので覗き窓から見ると女が階段の手すりにぶらさがっていたり、老人に呼び出されこれ以上追及しないようにと脅迫されたり、老人の家に夜こっそり忍び込むとさっきまで誰かが寝ていたような乱れたベッドに鼻血の痕が残っていたり、今度は老人の妻が家に現われてまた忠告したりと、謎が謎を呼び、最終の種明かしまで、全篇謎に溢れる展開が続きます。

 ひとことで言うと幽霊物語ですが、単純に幽霊が現れて脅かすといった話でなく、主人公の妄想が現実を歪めているところがあって、目の前に現れる精神病棟の白い服を着た人影や、夜階段の手すりにぶらさがる黒い服が、幽霊かあるいはひょっとすると夢を見ただけかもしれないという、疑心暗鬼に主人公が陥ることになります。この謎めいて微妙な雰囲気を醸成しているのがこの物語の魅力です。

 ネタバレになってしまいますが、結局は娘を失った老人が、孤独な主人公を見た拍子のひょっとした気まぐれで、自分の死んだ娘をデートの相手に選んだのでした。主人公が娘を生きている女性として探し回るのを見て、娘が生きているのを実感しようとしていたのです。老夫婦の娘を失った哀しみとそこから逃れようとする気持ちがひしひしと伝わってきました。主人公が老人からもらっていた手紙を読みもせずに列車の窓からちぎって投げ捨ててしまい、最後まで謎を残したままこの物語は終ります。

 私の狭い読書範囲からの独断的な印象で言えば、バタイユやネルヴァルの狂躁を普通の小説の形にしたような作品、あるいはマルセル・ブリヨンの長々と口ごもったような語りを簡素明瞭にしたような作品。悪く言えば濃密さや華麗さには欠けるが、鉛筆デッサンのように簡素でも魅力的な世界を形作っているといった感じです。

 文体が一風変わっていて、会話の中などで明らかに過去を語る時は過去形になっていますが、物語を進行させる地の部分にはほとんど過去形がなく、現在形で書かれていたり未来形のところも多くありました。そのフランス語の微妙なニュアンスがよく分からなかったのが困ったところです。まともに日本語に直訳するとずいぶんおかしな文章になってしまうので、頭のなかでは全部過去形に置き換えて読みました。