ドイツのハイク本三冊

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渡辺勝『比較俳句論―日本とドイツ』(角川書店 1997年)
加藤慶二『ドイツ・ハイク小史―比較文学の視点より』(永田書房 1986年)
ギュンター・クリンゲ加藤慶二訳『句集 イカルスの夢』(永田書房 1986年)


 今回はドイツのハイクに関する本です。『ドイツ・ハイク小史』と『句集 イカルスの夢』はひとつの函に入っており、同時の出版ですが、本としては二冊になっています。『比較俳句論』と『ドイツ・ハイク小史』はかなり重なる部分がありますが、『比較俳句論』のほうは日本の俳句のドイツでの受容のあり方が中心、『ドイツ・ハイク小史』はドイツ国内のハイク事情を具体的に紹介したものになっています。『句集 イカルスの夢』はドイツのハイク作家の実作を原文と翻訳を1ページに収めた作りの本です。


 渡辺勝の『比較俳句論』は、異なる自然や人間の考え方のもとで、俳句とハイクのあり方がどう違っているかを、ドイツの詩に対する知識と、実際に俳句の国際大会での体験をもとに、語っています。いろんな論点を深く考え、それを分かりやすく丁寧に書いていて、読みごたえがありました。いくつか要約してご紹介します。

 まずドイツ人やドイツ文学の特質については、
①ドイツ人は自然を純粋に現象として見ることだけに満足せず、人生の比喩あるいは寓意として見なければ気がすまない。俳句には常に深遠な意味が隠されていると見る傾向がある(p12、p31)
②ドイツ文学は、ヨーロッパのなかでは自然に親しい文学と言えるが、季語の概念は乏しい。もちろん日本の歳時記の季語は通用せず、ドイツに適した季語があるはずであるが、それでも季語を重視しないのは、共同体のなかで詩作するという日本俳句の座の観念がドイツ詩の伝統にないことと深い関係がある(p14、p34、p130)

 なぜドイツで俳句がもてはやされるかの理由は、
①ドイツでは詩作するには専門的な韻律上の約束を学ぶ必要があり、詩人は選ばれた者という意識が強かったが、俳句は誰でも人間の喜怒哀楽を素直に表現できると気づいたから(p34)。
②俳句の禅的な側面に惹かれたから。というのはドイツ人は、対象を論理的に分析し、対立するものを分類して個別化し体系づけてきたが、一瞬の直観において相矛盾するものを融和してしまう非合理性、神秘性に魅力を覚えた(p94)。

 俳句についても鋭く指摘しています。
①俳句の主題は集約された「季語」もしくはそれに匹敵する語のなかに含まれ、そしてその詩情のありようはむしろ余情としてなのである(p37)。
②西洋の象徴詩の曖昧さは、メタファーの詩人独自の駆使にあった。17文字の短い直接的表現でそれ以上の広闊な世界を開示する鍵は、陳述にあるのではなく、ほかならぬ断絶にある(p38)。

 ハイクや俳句のあり方への提言としては、
①俳句の翻訳は通常三行だが、同じ17音節のドイツ語訳では情報量が多くなるので、「取り合せ」や「二句一章」の俳句の翻訳は二行であってもよいのでは(p114)。これは『海を越えた俳句』の佐藤和夫氏と同じ意見。
②詩の翻訳というのはあくまでも近似値であると承知して、詳しい注釈で彼我の言葉の意味の差異を説明することで、限りなく原句の意味に近づけるよう配慮する方が生産的(p121)。
③ハイクの国際ルールにおいては、季語は必ずしも季節・自然をさす言葉と限定する必要はない。太陽あるいは卵というドイツ語のような、読者との基本的な紐帯となるべき言葉を必ず一つ詠み込むということであればよい(p134、p136)。
④日本俳句への提言としては、「文字は音声を写した不完全な表記」という言語観に基づくヨーロッパの音声的な詩に対して、漢字という表意文字を使う国では聴覚よりも視覚を重視する傾向があるが、日本の俳人も自作をもっと朗唱してみる必要がある(p114、p115)。


 『ドイツ・ハイク小史』は、ハイク実作者一人一人の紹介や、ドイツの小中学生向きの教科書が紹介されているのが貴重。とりわけ俳句の翻訳についてのドイツでの試みの紹介が眼を惹きました。それは一つの俳句作品を四人が翻訳しそれを併記するという方法で、複数の解釈を目にすることで、翻訳不可能とされる高い塀を低くしたと高く評価されているとのこと。

 残念ながら、私はドイツ語がまったく分からないので、『句集 イカルスの夢』について正当な評価はできません。日本語訳を読む限りでは、五七五にはなっていますがとても俳句とは言えませんし、短詩としても魅力あるものとは思えません。訳者も「跋」で、「私は現在、クリンゲ氏のハイクを読みながら、それが俳句であるとは思わない」(p183)と正直に書いています。原文がそうなのか、訳によるものかは分かりませんが、俳句は素直過ぎてもつまりません。どこかに謎めいたもの、ふと立ち止まらせるものがないと。その点、『海を越えた俳句』の佐藤和夫氏の訳句は俳句になっていました。