『幻影都市のトポロジー』と『もうひとつの街』

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A・ロブ=グリエ江中直紀訳『幻影都市のトポロジー』(新潮社 1979年)
ミハル・アイヴァス阿部賢一訳『もうひとつの街』(河出書房新社 2013年)


 この二冊に共通するのは、夢のなかの出来事のように、支離滅裂、意味不明、何でもありの、書きたい放題、ともに情景描写的視覚的な筆致があり、映画的な展開が感じられるところでしょうか。とにかく二冊とも読むのに集中力を切らさないような努力が必要な本で、正しく読み取れているかどうか、心もとないものがあります。

 『幻影都市のトポロジー』と『もうひとつの街』の違いを言えば、これらの本が書かれた年代の差や(1976年と1993年)、刊行時の著者の立場の差(54歳で長編8作目と44歳で小説処女作)があるのかも知れませんが、前者が支離滅裂ななかにも何かしら構築性、方法に対する意識が感じられて、落着いて大人びた印象があるのに対して、後者は想像力の奔放さが感じられるものの単線的で若書きの印象がぬぐえません。

 違いを感じるひとつの要素として、翻訳の文体があるのかも知れません。訳者にも時代的世代的な差と(1949年生まれと1972年生まれ)、資質の違いがあるように思えます。江中直紀の文章は、簡潔で凝縮した文体で、牆壁、罅、裂帛、窗、旌旗など、あまり見慣れない漢字を使ったりなどしてギクッとさせるところがありますが、阿部賢一の場合は、いかにも若い世代らしく、よく言えば平明、悪く言えば冗長な文章となっています(私も歳は取っていますがこちらの部類です)。


 ロブ=グリエを読むのは、『迷路のなかで』以来久しぶりです(2014年9月8日記事参照)。今回もそのときの印象とほぼ同じ印象を持ちました。部分部分は厳しいリアリズム的描写で語られていますが、全体は非合理なことの連続で、あたかも夢のなかの世界にいるようです。おそらくこの本の成り立ちは、最初に、デヴィッド・ハミルトンの写真に文章を添える形の「第4の空間」から出発し、それが広がって行ったようです。全体の構成は、戦後の荒廃した街をさ迷う哨兵が「発端」と「コーダ」を一人称で語り、三人称で語られる5つの本編を挟んでいます。ただ本編でもときどき私が顔を覗かせる部分もあります。

 この作品の特徴と魅力をいくつか挙げてみます。
①幻影都市というのはパリらしき場面もあるが特定できず、古代都市の空間、中世の戦乱らしき情景、戦後の廃墟と化した街、現代の舞台の書割、現代の建物という時間を距てた別々の場所(すべてが芝居の書割のようにも見える)で起こった出来事で、場所は違ってもそこで同じような行為が反復されるという仕掛けがロブ=グリエらしい魅力。ロブ=グリエ自身もシンポジウムのなかで、「一連の空間があって、それらがちょうど同一地点で発見されたさまざまな町、各々異質の文明に属するさまざまな町のように機能してゆく・・・そうしたすべてが同時に同一地点で、とはいえ各々別の空間のなかで生起するのだから、私はトポロジーという語を用いることにした」と語っている。

②読者を物語に惹きつけておく要素がいくつかある。ひとつは金髪の裸の女性が何度も反復して出てくること(ただしこれは男性読者にしか効果がないかも知れない)。次に、ミステリー仕立ての仕掛けがあること、例えば、殺人事件であったり、紙片に書かれた謎の言葉。第三に、火山の噴火、劇場での惨事や建物の崩壊などの刺激的な出来事が次々起こること。

③脈絡がつかめないような入り組んだ文章だが、たえず反復によって、同一性が保たれていること、つまり楽曲のように、主題が少しずつ変奏されながら繋がっていく感じがある。例えば、古代の劇場址と現代の劇場、書割の監獄と古代の娼婦専用の監獄、古代都市の港とバトー・ムーシュの船着場、古代の石だらけの路を股から血を流して走っていく裸の女と中世?の戦争で凌辱された処女、古代の神殿での生贄の供犠と現代の連続殺人。

④個々のイメージで繰り返し出てくるのは、あおむけに倒れている少女の姿、二人の子を連れた若い母親、Vという字の楔形、一枚の白い紙きれに包まれた球形の石ころが落下する瞬間、船をかざる旌旗の文字が変化しているのに気づく場面、黄金造りの細身の短剣、水道の配管からの漏水、置きっぱなしになった錆びついた自転車など。

⑤とくに今回は、名前の連鎖に特徴があり、ヴァナディウム(古代都市の名)-ヴァナデ(女神の名)-ダヴィッド(ヴァナデの男性化身、芝居の題、婚礼衣裳専門店の名)-デヴィッド(子どもの名、写真家の名)-ダナエ(神話の王女)-ディアナ(女神の名)-デアナ(子どもの名)、その間に一般名詞のフランス語ナヴィール(船)-ディヴァン(寝椅子)-ドゥヴァン(占い師)などが混じって来る。


 『もうひとつの街』は『幻影都市・・・』とは違って、すべてがプラハの街での出来事となっていて、有名なところではカレル橋の彫像が出てきます。カルロヴァ通りの古本屋がこの物語の発端で大事な役割をしています。同じ店かどうか分かりませんが、私もカルロヴァ通りの古本屋には入ったことがあります。他にも旧市庁舎、ヤン・フス像、ティーン教会、聖ミクラーシュ教会、ペトシーン広場ほか、いろんな通りの名前、教会の名前が出てきます。プラハをよく知っている人はその点でも面白い読み物になっていると思います。

 この作品には『幻影都市・・・』と違って、いちおう筋らしきものがあります。古本屋で主人公が見たことのない文字で書かれた本を見つけたことがきっかけとなって、大学図書館で図書館員から不思議な体験を聞かされ、話に出てきた場所を訪ねたところから、地下寺院での説教を垣間見たり、カフェで元大学教授から謎の文字について話を聞いている最中にその元教授が拉致され、その後を追ったり、その後深夜の大学で講義を聴いたり、空を飛んだり、図書館のジャングルに潜り込んだりなど、いろんな冒険をすることになります(あまりたくさんすぎるので略)。

 大きな特徴は、動物や乗り物、また酒場やカフェが重要な役割をしていること。動物では、虎と闘うタコ、スズメバチ、イタチ、亀、サメ、朗誦鳥、ヘラジカ、猫、エイ、蟻、カタツムリ、巨大イモリなど。乗り物では、路面電車、ケーブルカー、バス、スキーのリフト、船、ヘリコプター、空飛ぶエイ、列車など。酒場関係では、小地区カフェ、居酒屋、ビストロ、ミルクバー、彫像の内部のバー、ワインケラー、また別の居酒屋とめまぐるしい。

 著者の主張らしきものが垣間見える部分があります。
①「中心を探せば探すほど、中心から遠ざかっているんだよ。中心を探すのをやめたとき、中心のことを忘れたとき、お前さんは中心から二度と離れることはない」(p101)、「断片それ自体が非の打ちどころのない統一体なのだ」(p102)、「すべての街はそれぞれがたがいに中心であると同時に周縁であり、起源であると同時に終わりであり、母なる町であると同時に植民地なのじゃ」(p187)というような神秘主義的な言説。また、すべてのものは、次々と変化を生み出し回転し続けるだけ(p187)という世界観。

②もうひとつの街がどこにあるか、この世との境界は、地平線や深淵の彼方にあるわけでもなく、どこかで半開きになった扉の前を通り過ぎて行っただけで、われわれが接している空間のはずれの暗がりのどこかにあるが、単に見過ごしているだけだという四次元世界的な言説。

③何か専制国家時代の悪い思い出でもあるのか、秘密を告白中の男が突然路面電車に乗せられ連れて行かれたり、主人公も魚を持ってないという理由で連行されたり、ヘリコプターで空から監視されたりする場面があった。

 滑稽な場面としては、大学哲学部の深夜の講義に出席したとき、着席していた全員が袋から木の小箱を取り出すと箱からイタチが頭を覗かせるが、私がイタチの箱を持っていないことに気づいてみんなじろじろ見るので、慌てて袋のなかに手を入れてイタチの入った箱を探すふりをする場面(p56)。

 いくつか不思議なイメージが出てきます。
蟹と化したピアノが寝室を這いまわる(p18)

夜、列車に乗ったら車内がゴシック様式のひんやりとする礼拝堂になっている(p20)

礼拝堂の巨大な硝子の彫像の内部が水で充たされ、さまざまな海の動物が泳いでいる(p25)

考え事をしていたアパートのオーナーが誤って兵士を羽織ってそのまま外出する(p54)

階段を上がろうとして足を置いた段が沈んでいく奇妙な階段(p94)

ひとつの長い鍵盤による57名のピアニストのための楽曲(p97)

牡蠣がベッドのなかに潜り込んで、麻痺した身体を取り囲み、骨と皮だけになるまで吸う(p98)

カレル橋の彫像の台座に扉があり、そこから輝く枝角を生やした50センチくらいの小さなヘラジカがぴょんと飛び出す(p115)

彫像の内部にバーがあり、台座の穴から白いジャケットを着たバーテンダーの上半身が見え、背後の戸棚にはボトルがきれいに並ぶ(p118)

ベッドが広がりつづけ立ち上がって歩くと、足元で揺れ動く平原となり、隆起したところで下着姿の男女がスキーをしている(p128)

長い廊下に飾ってある絵が、パラパラ漫画のように連続していて、2000枚以上の絵を追って行くと、ある種の映画のように見られる(p159)

図書館の奥深くで年に何人もの図書館員が失踪し、行方不明になった図書館員を追悼する記念碑が建てられる(p174)

本をめくると、ページのあいだに生息するのっぺりとしたカタツムリに遭遇する(p178)

 古本愛好家の心をくすぐるような一節が冒頭にありました。

古書の心地よい香りがただよう、静かで暖かい場所にいることができる幸せを噛みしめていた(p7)