CLAUDE FARRÈRE『L’Homme qui assassina』(クロード・ファレール『殺した男』)

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CLAUDE FARRÈRE『L’Homme qui assassina』(PAUL OLLENDORFF 1915年?)


 クロード・ファレールの本はこれまで5冊読んでいて、今回読むのは5年ぶり。文章がとても分かりやすいので気に入っています。難しい単語も、ときどきトルコ語らしき意味不明の語が出てきますが、それは読み飛ばし、辞書も引かず数ページ一気に読めた個所もありました。 

 ひとことで言えば、異国情緒を背景にした男の友情物語。12年前、王の不興を買って危うく死刑されそうになり、主人公のフランス軍人に助けられ国外逃亡したトルコの軍人が、今は国王直属の元帥になっていて、新しくトルコに赴任してきた主人公に恩返しをする話です。任侠映画を見ているような雰囲気もありました。

 主人公は、イギリスのトルコ債権管理責任者の妻であるハヴァナ生まれのフランス女性と知り合います。彼女は不幸な結婚を嘆きながらも主人公をスタンブールの隠れた名所に案内するなどし、しだいに親密になって行きますが…。「殺した男」というタイトルに結びつきそうにない話が延々と続くので、どうなるのかと思いながら読んでいましたが、途中からそれをほのめかすような伏線がいろいろと出てきて、最後の20ページあたりでようやく殺人事件が起こります。犯人探しの議論がありますが、死刑が確定していた極悪殺人犯が犯人として名乗り出たということになって、誰も傷つかないように終わります。不自然ですが、元帥が国王と相談して事件をもみ消したということを暗示しています。この場合これ以外には終わり方はないでしょう(曖昧な書き方になってしまいましたが、推理小説的な謎解きに関わるので)。

 強い男、正しくて、精神の強靭な男への崇拝が感じられました。ファレールは実際にフランス海軍士官だったというだけに、軍隊的な誇りや忠誠心を称揚し、フランスへの愛国心を大切にしていることがよく分かります。それが極端に過ぎて、強く正しい善玉と卑怯な悪玉が明瞭に分離して描き分けられているところは、大衆小説的と言えます。

 この小説のいちばんの魅力は、西洋と東洋が入り混じったさまざまな民族の坩堝で、第一次大戦前の諸外国の外交官がしのぎを削っているコンスタンティノープルを舞台にしているところでしょう。ヨーロッパ側とアジア側を隔てるボスフォラス湾があり、あいだにはガラタ橋がかかり船が行き交っています。古いモスクや霊廟、町のいたる所に散在する墓地が出てきます。馬、馬車、ケーブルカー、汽船、小舟、列車など、いろんな乗り物が出てきますが、もちろん徒歩でガラタ橋を渡ったり小路や林の中の坂道を行ったりします。がもっともコンスタンティノープルらしく情緒のあるのは小舟で、これはロティ作品でも存分に活躍していました。「静河」とでも訳せばいいのか「Les Eaux Douces d’Asie」という小川を遊覧したり、夜のボスフォラス湾をわたる場面はもっとも美しい部分です。

 どんどん西洋化の進んでいくトルコにあって、新しい町ペラと、伝統的な木の家屋が残り路地の入り組んだ古いスタンブールの町が対比され、古き良きトルコへの讃美が感じられます。ピエール・ロティのやはりコンスタンティノープルを舞台にした『アジャデ』、『東洋の幻影』、『魔法を解かれた女たち』の連作を彷彿とさせます。実際に、アジャデのらしき墓や、ロティが『アジャデ』を書いていた家も登場します。この作品は師のピエール・ロティの『アジャデ』三部作を受け継ぐものとして書かれたものだと思います。

 フランス大使、イタリア大使、ロシア大使館員、イギリスのトルコ債権管理責任者、ドイツの商人、アルメニア人の老貴婦人その他コンサルタント、公社員、金融家などとの社交のなかで、主人公はトルコの元帥との友情を深めていきます。元帥のかつての上司の将官宅に招かれたとき、今は老いた将官が、若かりし頃フランス軍に留学したときに見たフォンテーヌブローの風景を描いている場面がありました。過去への愛惜と西洋への憧れの入り混じった感情に心を締めつけられました。

 主人公は、「侯爵」と呼ばれることを嫌がっていますが、そう書くことで、貴族であることを誇りにしていることもうかがえます。同様な自己撞着は、主人公がスタンブールの古い町、文化に好意を寄せながら、ヨーロッパ強国がトルコから甘い汁を吸っているのを自覚している、ことにも見られます。