:HENRI DE RÉGNIER『ESCALES EN MÉDITERRANÉE』(アンリ・ド・レニエ『地中海の旅』)


                                   
HENRI DE RÉGNIER『ESCALES EN MÉDITERRANÉE』(BUCHET CHASTEL 2007年)
                                   

 次もレニエ。小説ではなくて旅行記です。4年ほど前パリで新刊で買ったもの。1931年刊の「ESCALES EN MÉDITERRANÉE(地中海の旅)」と1927年刊の「Donc(箴言集)」を新しくまとめたもので、編者による序文とレニエ年譜、作品出版一覧がついています。

 「地中海の旅」は、レニエ晩年(66歳)に、過去2回(40歳と42歳)クルーザーで地中海へ行った旅を回想して書かれたもので、おそらくその年スペイン旅行の際マジョルカ島へ渡ったことがきっかけになったものと思われます。

 はじめに、「De la maison où je suis né(生まれた家について)」で、オンフルールというノルマンディの港町に生れ、幼い頃から海へ憧れ、遠くの国々へ思いを馳せるようになったこと、7歳でパリへ引っ越した後も、チュイルリー公園の噴水におもちゃの船を浮かべ、少し長じてからはルーヴル最上階の船舶博物館へ足繁く通ったこと、そしてついに独りで南の地方へ旅し、マルセイユノートルダム・ド・ラ・ギャルド教会から海を眺めるところまでが語られます。

 旅へ誘う魔術師が何度か狂言回しのように登場するのが、ちょっとした趣向ですが、過去2回の地中海の旅をごちゃまぜにして回想した後、個々の旅ならではのことに触れ、最後にマジョルカ島への旅に言及しています。寄港地はコルシカ島ナポリシチリアマルタ島アテネ、アトス、コンスタンティノープル、ブルサ、レスボス島、スミルナ、ボドルム、ロードス島キプロスベイルート、ダマスカス、クレタ島チュニジア、アルジェ、コルフ。居ながらにして、地中海の太陽と海の青さを存分に楽しむことができました。

 印象深かったのは、人との出会いで、ピエール・ロティとイスタンブールで出会い観光案内をしてもらったこと。当時ロティの副官はクロード・ファレールの筈ですが、ファレールについては書かれていませんでした。それとクレタ島でイギリスの考古学者エヴァンスと出会い、発掘現場の説明をしてもらっていること。画家のウィスラーに似ているとエヴァンスから言われたと書かれていました。

 他には、おそらくもう行くことはないと思いますが、次のような場所には魅力を感じました。パエスタムの蜜と琥珀の色をして厳かな雰囲気の3つの寺院の廃墟、アクロポリス小美術館にある急に動きだしそうな若い巫女たちの像、断崖を小さな驢馬で登って行くアトス半島の頂上にある修道院、ロティがお気に入りだったゾッコリのモスク・・・。

 レニエは過去への愛着が深い作家と言われますが、異国への憧れも強かったようです。この旅行記はその二つを満たすものだったと言えます。
 

 「箴言集」の原題は「Donc」で、辞書には「だから」とか「さて」と書いてありますが、訳しにくいので「箴言集」とだけしました。レニエは小説でも気のきいたセリフをちりばめていますが、それを抜粋して並べたという感じです。これも晩年(63歳)の作で、社交界に疲れきったのか、社交界に対する皮肉っぽい箴言が目につきました。ここでは本来のレニエらしい美しい短文をいくつかご紹介します。

宝石は匂いを持っているように思える。ダイヤモンドの鋭く凍った香、エメラルドの酸と冷たい香、ルビーの重くそっけない香、オパールのそこはかとない花の香、真珠の女性的で輝きのある匂い。(p206)

変な夢を見た。岩肌の下の狭い峡谷があり、岩には金のアラベスク文様があり、ところどころ貝殻やガラスで象嵌されていた。谷の奥には金の葉を持つ森があり、極彩色の鳥たちが飛び交っていた。が聞えてくるのは羽根を動かす機械の音だけだ。森からジプシーの恰好をしたおかしな人が出てきて、滑稽なおじぎをした。岩を彫り、機械の鳥を創ったのは彼だった。(p207)

インク壺に吸わせた羽根ペンの雫を見ると、屍衣のような白い頁のうえで、もはや形骸をなぞるしかできない死んだ思考に黒い別離を告げているようではないか。(p217)

熱病。暗い水の沼が果てしなく広がっている。睡蓮ではなく蝙蝠がいっぱい埋めつくしていて、膜が水面を覆い、おぼろに光るとんがった耳のある小頭が水面から突き出ているのだ。(p230)

 
「年譜」では、文学的な成功の華々しさの陰で、レニエが次第に衰弱していく様子がうかがえます。40歳後半頃からは、憂鬱で喜びの少ない人生だったようです。その原因はエレディアの次女マリーとの不幸な結婚にあるように思われます。マリーは毎年のように恋人をとっかえひっかえしていて、それが公然のことだったようです。また年譜からでも、毎年のように海外やフランス国内各地を飛び回っていて、レニエの旅行好きが分かりました。好きだったヴェニスには何と11回も滞在しています。レニエは旅の作家とも言えるでしょう。