Hubert Haddad『Géographie des nuages』(ユベール・アダッド『雲の地誌』)

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Hubert Haddad『Géographie des nuages』(Paulsen 2016年)


 Hubert Haddadを読むのは、『Le Secret de l’immortalité(不死の秘密)』(2014年7月23日記事参照)、『Le peintre d’éventail(扇絵師)』(2017年2月12日記事)に次いで、これで三冊目です。著者名Haddadの日本語読みをこれまで、アダとしていましたが、間違っていたようなので、すべてアダッドに変えました。今のところこの三作しか読んでいませんので、偉そうなことは言えませんが、アダッドは短篇に妙味が発揮されるタイプの作家のようで、長編の『Le peintre d’éventail』は本国で賞を受けていますが、実はそれほど感心しませんでした。三冊のなかでは、本作がもっとも充実していると思います。

 著者による「まえがき」と「あとがき」の付いた3篇の短篇集。短編集ですが、一つ目と二つ目は、ともに主人公が出版社の編集者で、送られてきた新人原稿が話の発端にあり、連作のようになっています。また「まえがき」、「あとがき」は、アダッドならではの架空世界を描く幻想小説論になっています。

 「地理」という言葉がキーワードになっていますが、これは測量的なものではなく、個人が自分の想像力で創りあげる領域を意味しています。著者はおよそ次のようなことを言っています。「砂漠、海洋、森、山に、劇的なものや人物が受肉していくのだ。作家は、いろんな異なる雑種を混合させることで、この地球の表面の再発明、再構築を同時に行う。それぞれの物語は幽霊島であり、波間や大地に映る雲の影だ。言葉で風景を作りあげるのだ。微妙なニュアンスこそが作家の唯一の領域であり、表現も、現実と夢のあいだで、波打ち、つながり、またほどけていく。雲が風のまにまに形を変えるように」。架空の地理学の系譜として、ガリバーの巨人国、「シルトの岸辺」のファルゲスタン、アリスの不思議の国、ローマ譚「クレリエ」の恋愛地図、パニュルジュの生まれたユートピアボルヘスのウクバルを挙げ、ポーの「アルンハイムの地所」を幻想地理の傑作と賞揚しています。

 各篇を簡単にご紹介しておきます(ネタバレ注意)。
◎La Chambre royale(豪華な部屋)
 パリの出版社で持ち込み原稿を担当している女性編集者が、「閉ざされた部屋の儀式」と題された原稿の表紙だけ見たところで、謎の呼び出しを受けてスコットランドへ飛ぶ。彼女を待ち受けていたのは、飛行機の墜落事故に関係した尋問だった。テロリストと思われる男のポケットから彼女の若い頃の写真が出てきたのだ。男の死に顔を見せられるが見覚えがない。しかもこの男は出版社の彼女宛に書留で何かを送っていた。尋問は過酷を極めたが、しかし飛行機のブラックボックスが回収され、テロではなかったことが判明して、彼女は解放される。ホテルまで送ってもらう車の中で、なぜか彼女の幼い頃の思い出が浮かんでくる。母がピアノ、姉がヴァイオリンでシューマンの曲を演奏していたが、上の部屋に身体が不具の謎の男がいてその部屋が臭かったこと。パリに戻って届いていた例の原稿を読んでみると、驚くべきことに、彼女の幼い頃の情景そのままを描いた作品だった。愕然としていると、社の同僚から、昨日気の狂ったような男が彼女を訪ねて来て原稿を間違えて送ったと言ってた、と告げられる。謎めいた一篇。

◎Si tu veux que je meure(私が死ぬのをお前が望んでいるなら)
 零細出版社主のところへ女性の名で小説原稿が送られてくる。タイトルは「私が死ぬのをお前が望んでいるなら」だ。熱に浮かされたように読み終え、これは間違いなく世紀の傑作だと信じた社主は、住所しかなかったので、自ら車を運転して、田舎の古びた館に住む執筆者に会いに行く。しかし現われたのはかつてビリヤード・チャンピオンだったが今はアル中の老人だった。執筆した女性は37歳離れた妻で10年前に死んだと言う。ブランデーを飲みながら語る老人の話は、母殺しと売春の過去を持つ若妻には身体障害の妹がいて、秘密の日記を書いて年老いた自分を嫉妬で狂わせたというもので、小説の内容そっくりだった。妻は、病床の妹がうわごとのように呟く物語を口述しただけと言う。1年後老人も亡くなるが、実は母殺しと売春の過去を持つ若妻というのは妹の方で、老人の話は虚言だったことが分かる。結局その傑作は秘蔵することにする。

〇La Vie nocturne de Babylone(バビロンの夜の人生)
 獄舎のなか、一人の男がずっと夢見続けている。男はある女優に一目ぼれし、端役として撮影現場に潜りこむまでして彼女につきまとうようになったが、彼女のパトロンらしき元ボクサーでレーサー、マフィアともつながりのある弁護士に目をつけられ、殴り倒されてしまう。女優は彼の住む屋根裏部屋まで付き添い看護し、別れ際に口づけまでしてくれた。その一瞬は真実の生として男の脳裏に永遠に記憶された。しかし、彼女は帰りがけ階段から落ちて死んでしまい、男は犯人として逮捕され20年の刑を受けた。男は夢の中で、自分は無実でパトロンが彼女を階段から突き落としたと主張する一方、パトロンは、実は自分は女優の父親で、男が娘を屋根裏部屋に監禁し乱暴したあげく殺した、娘を返せと言う。同囚の老バビロンは、殺したか無実かそんなものはどうでもいい、すべての夢は突き混ぜて、あの世でまた別の夢に再編するのだと呟く。

 「hakanaï(儚い)」という日本語が冒頭の短篇(p16)と、「あとがき」(p108)にも出てきました。アダッドの幻想美学の根幹にある言葉のようです。