:Maurice Renard『Le papillon de la mort』(モーリス・ルナール『死神蛾』)

Maurice Renard『Le papillon de la mort』(Nouvelles éditions Oswald 1985年)

                                   
 生田耕作旧蔵書。Stéphane Bourgoinによる序文と、13の短編が収められています。Bourgoinが序文で「鏡、並行世界、不死、予感、死など幻想文学のあらゆるテーマを扱っていて、独創性が感じられる」と紹介していますが(p7)、モーリス・ルナールの作品には、ポーやH・G・ウェルズなど、推理小説やSFの台頭期の作品と同じく、いろんなジャンルが混淆したような不思議な味わいがあります。

 この本のどの作品にも見られるのは、結末にどんでん返しとでもいうべき鮮やかな落ちがあること。これは少しモダンな印象があり、私はどちらかというとあまり好きではありません。

 それよりもモーリス・ルナールの魅力は、文章にしっかりと味付けがされていることです。こうしたジャンルの作品はややもすれば荒唐無稽に陥る素材を扱っているわけですが、たとえ馬鹿げた話でも、文章の力によって、リアルな臨場感が感じられ思わず釣りこまれてしまうのです。それは、「La damnation de l’≪Essen≫(エッセン号の劫罰)」に見られるような語り口のうまさであったり、「Le lapidaire(宝石職人)」に見られるようなジャン・ロランばりの文学的香気溢れる豪華絢爛な描写であったりします。


 Bourgoin の序文から、モーリス・ルナールの生涯と作品を簡単に紹介しますと、
1875年シャンパーニュ地方に生まれ、父親が裁判長で若い頃は文学とは縁がなかったが、ポーを読んだことで作家を志すようになった。詩の寄稿から始まり、1905年第一短篇集『Fantômes et fantoches(幽霊と操り人形)』、1908年長編『Le docteur Lerne sous-dieu(神業レルヌ博士)』、翌年第二短篇集『Le voyage immobile(動かない旅)』、1912年にはSFの先駆をなす『Le péril bleu(青い脅威)』、翌年第三短篇集『Monsieur d’Outremort(不死の人)』を出版。兵役から復帰後、ストーカーやハガード、エーヴェルスなどを出版しているCrèsという出版社から矢継ぎ早に、『L'homme truqué(偽造された男)』『Le singe(猿)』『L’invitation à la peur(恐怖への招待)』『Lui?(奴か?)』『Un homme chez les microbes(ミクロ世界へ行った男)』『Le carnaval du mystère(秘密のカーニバル)』『La jeune fille du yacht(ヨットの娘)』『Celui qui n’a pas tué(殺さなかった男)』を出したとのこと。1939年に亡くなっています。
 これからぼちぼちと未読のものを読んで行きたいと思います。


 恒例により、作品の概要をご紹介します(ネタバレご注意)。うち2篇については読んだことがあったので省略、それぞれの記事をご参照ください。

○L’écharpe gris souris(鼠色のスカーフ)
スカーフを浮気の現場に忘れた過去を悔いる老婦人が、死の間際に、そのスカーフが屋根裏の衣裳部屋に残っていたことを知って幸せのうちに死んで行く。だがそれはたんなる錯覚だったのだが。最後の場面へ盛り上げていく語りの巧みさが光っている。


Cambriole(泥棒)
フランスのギャング映画を見ているような雰囲気がある。話は、一通の手紙の示唆によって、宝石の入ったトランクを盗んだつもりが女の死体が入っていたという、騙されたチンピラたちの物語で、やや単純。辞書に出てこない俗語や言い回しが多く難渋した。


Elle(死神)
夜オープンカーを運転していた主人公が後で鎌を研ぐような音を聞き、怖くなって逃げようとして大事故を起こす。生き長らえた主人公は頭の上で鎌が空を切ったような音がしたことだけ覚えている。死神が仕損じたのだ。


◎L’étrange souvenir de M.Liserot(リズロ氏の奇妙な思い出)
『フランス幻想文学傑作選③』(白水社)に翻訳がある。知り合いがある絵を見て何か心に引っかかる気がするというので、いろいろ調べ南仏のある村の風景ということが分かる。車で一緒にその村を訪れることになるが、交通事故で知り合いは死んでしまう。未来の悲劇を思い出すという奇妙な捩れた世界を描く佳編。


○A l’eau de rose(薔薇の水)
画家志望の臆病な青年と冗談好きで陽気な女が愛し合っていたが、青年は女のもとを離れて画業に専念した。女から臆病者をこれでこらしめてやるのよと水鉄砲を見せられた私は、青年に事前にその計略を漏らし、青年は鉄砲の前で怯まず対峙する。ところが水鉄砲に入っていたのは硫酸だった。冗談ばかり言って笑っている女が悪魔に急変貌する恐ろしさ。人助けをしようとしたことが却って悪い結果につながるという運命の悲劇。


Le papillon de la mort(死神蛾)
片目の養蜂場主は蜜蜂の箱を荒す蛾を捉えコルク板にピンで刺してお仕置きをする。その背中に骸骨の模様のある死神のような大きな蛾は何日ももがいてついに脱出、長い嘴を片目の男の見えるほうの眼に突き刺した。留められたピンを中心にぐるぐる回りながら羽根をばたつかせる蛾の描写が迫真的。


◎La rumeur dans la montagne(山のなかのざわめき)
『l’invitation à la peur(恐怖への招待)』(2012年8月3日)記事参照。http://d.hatena.ne.jp/ikoma-san-jin/20120803/1343950173


◎Le professeur Krantz(クランツ医師)
主人公の新婚の妻が日に日に弱っていく病気に罹っていた時、死に逆らう研究をしているという高名な医師とベルリンで出会う。1年以内に研究を完成させるという約束で、妻のもとに戻るとしばらくして妻は自然に快癒した。時が経つにつれ医師のことが気になり、再びベルリンを訪れると、医師は最新の巨大病院の監督になっていた。そこで研究が成功したと告げられる。が実は・・・。マッドドクターものだが、マッドドクターが本当の狂人だったという話。


◎Le rendez-vous(あいびき)
『Le voyage immobile(動かない旅)』(2011年8月11日)記事参照。http://d.hatena.ne.jp/ikoma-san-jin/20110811/1313014177


◎Le lapidaire(宝石職人)
本短篇集の最高作。共和国がしのぎを削っている近世イタリアを舞台にし、宝石で邪気を払ったり病気を治したりする怪しい職人が主人公。夜密室に籠って巨大なルビーを磨いているが、誰もその原石を見た者がいない。華美で強欲な女性がそのルビー10個を騙し取り、あまつさえ刺客を放って職人を殺させる。彼女がルビーを嵌めた金の王冠を身につけ国家的式典の会場で満座の讃嘆をあびた時、職人の死と同時にルビーは突然輝きを失い王冠から転げ落ちる。拾いあげるとそれは血の塊だった。


◎La grenouille(蛙)
寄宿学校の13歳の生徒が主人公。蛙に電気を流すと生きているように見える実験が人気の校長、彼の母親が生徒たちの見ている前で亡くなった。彼女は大金持ちと再婚していて、その夫はその朝先に亡くなっていた。が主人公はたまたまその現場の真上の部屋から彼女のスカートから電線が部屋に延びているのを見てしまう。蛙の実験と同じことが起こったのか。真相は謎に包まれたまま終わる。遺産相続が絡んだミステリー。


◎La damnation de l’≪Essen≫(エッセン号の劫罰)
幽霊船を見た男が語る話。その男が遭難し漂流の果てに見た妄想か、それともその男がもともと気違いなのか、それが語りの勢いのなかで韜晦していく運びのうまさは超一級。幽霊船が現れるシーンはなかなかのもの。


◎L’affaire du miroir(鏡の事件)
王の愛人である侯爵夫人と、王が名付親になっている若い伯爵が浮気をしていると、魔術師のHanが寝室の鏡に映った現場を扉の隙間から王に見せる。王から真相の究明を命じられた主人公。伯爵は魔術師によって自分の影が鏡のなかに盗まれたと主張し、侯爵夫人もアリバイを申し立てる。魔術師は魔術なんて存在しないと断言して抵抗する。最後に魔術師は拷問にかけられることになるが、果して真相は? 取り調べによる自白の強要が問題になっているこの頃だが、その恐ろしさを描いてもいる。