:ジャック・カロに関する本一冊


                                   
成瀬駒男『ルネサンスの謝肉祭―ジャック・カロ』(小沢書店 1978年)


 ジャック・カロという名前を初めて知ったのは、マーラー交響曲第一番の第三楽章に「カロ風の葬送行進曲」という標題がつけられていたことからでした。当時マーラーの世界に少しでも縁のあるものは片っ端から摂取しようとしていた私は、カロの絵も探そうとしてなかなか見つからなかったことを覚えています。

 その後、ホフマンにも「カロ風幻想集」という短篇集があることを知り、ますます興味が増大していきました。ついに「みづゑ」の特集(78年11月)で見る機会を得たとき、描かれている奇怪な様態の人物や群衆絵巻のなかに、マーラーの音楽やホフマンの小説に共通するグロテスク味を感じて、得心したのでした。


 この本は、もともと文学が専門の著者が、ラブレーと共通する滑稽味を軸とした民衆的グロテスクの作家として、民俗学的な興味からカロに接し、その後の探求の成果をまとめたものです。カロの生涯を辿りながら、銅版画の技法や題材、画面構成などから画風の変遷を語り、絵画の世界における歴史的な業績と位置づけを行なっています。
 
 グロテスクという視点が私の趣味と一致して、とても好ましく思われましたが、著者の主張のなかで、私なりに興味のあったのは、
①カロが当初興味を抱いたのは、イタリア即興喜劇の役者たちの顔をしかめる仕草、体のよじり、奇妙な恰好、珍妙な衣裳などの人物像や、宗教画にしても地獄が出てきたり悪魔が跳梁したりする画題であること(p43)。
フィレンツェで、祝典・祭礼の組織技師であるバジリのもとで仕事をした影響で、前景に香具師、遊興小鬼、道化役者などを黒々と描き、中景と遠景を明るく浮き上がらせるパノラマ的な構図を好んだこと(p49)。
③青年期にカロが制作した唐草模様、渦巻模様と無脊椎動物からなる噴水器のデッサンや、奇妙にねじれた曲線からなる花枠デッサンは、バロック的要素が顕著でバロックの先駆けとなるものであること(p169)。
④そうして末期のマニエリスムに染まり、祝典を彩る異教的でロマネスクな装飾や演劇に心を奪われていたカロだが、細密な描写を小さな画面に刻む『気まぐれ』の頃から、田園風景と市井情景を重視する写実主義に転じていった(p168)。
⑤ナンシーでの晩年に描いた『戦争の惨禍』は、ドキュメント的に戦争を描いた報道画とも言うべきものだが、戦闘の場面はなく掠奪や処刑ばかりを描いたのは、当時流行していた恐怖劇と趣味を同じくするもので、バロック的客観性が見られること(p144)。
⑥当初の構図の原理は、諸形象の分散、割拠、グループごとの蝟集であったが、晩年には、逆に一点への集中が見られ、それが『聖アントニウスの誘惑』17年版と34年版の違いによく表われている(p147)。
⑦カロの後世への影響は、レンブラントやクロード・ロランなど絵画の世界に留まらず、ホフマンやベルトランなど文学への影響も大きい(p180)。


 この本と『筑摩世界版画』、「みづゑ」の掲載作品を眺めて、私のカロ版画ベストは、「聖アントニウスの誘惑」17年版と34年版、「二人の役者」、「バルリ・ディ・スフェサーニア(き印の踊り)」連作、「侏儒たち」連作、「第二の幕間劇」、「ピランドラに扮して入場するアンリ・ド・ロレーヌ」といったところでしょうか。
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 一つ難癖をつけるとすると、この本は100%カロについて書かれた本なのに、タイトルの付け方がおかしいこと。本の背表紙、奥付には「ルネサンスの謝肉祭」としか表示されていず、かろうじて表紙や扉に副題として「ジャック・カロ」と赤く書かれているだけ。それに時代はルネサンスのイメージから遠いように感じます。そう考えるなら、例えば『ジャック・カロ―謝肉祭のグロテスク』などのほうがよかったように思います。


 実は、この本から触発されて、「レンブラント、カロ風の幻想曲」という副題を持つベルトラン『夜のガスパール』を読んでいるところです。カロの挿絵もたくさん入っていますし、詩のテーマも「伊達男」、「ネールの塔」、「魔宴」、「侏儒」、「ルーヴル宮」など、カロの好んだ主題と共通するものが多く、テイストは明らかにカロです。次回このブログでご紹介する予定ですので、乞うご期待。