:鶴岡真弓『「装飾」の美術文明史』


鶴岡真弓『「装飾」の美術文明史―ヨーロッパ・ケルトイスラームから日本へ』(NHK出版 2004年)


 渦巻文様や組紐文様、グロテスク文様、アラベスクなど文様の世界史を展望した書。「装飾」と「美術」の関係や、ゴシックやロココ、ラファエル前派、アール・ヌーヴォーシノワズリー、ジャポニズムなどの時代の美術との関連も、こみいった議論を避けて、簡便に整理しています。この分野の本は専門的な本しかあまり見ないですが、ですます調で分かりやすく、論理的な説明がなされているので、格好の入門書となっています。

 基本的な立ち位置は、ギリシャ・ローマ、キリスト教という西欧の中核を形づくってきた価値から離れて、周辺的なものを追求しているところにあります。これは著者の身近な学問の世界でも起こっていると思われる動き、中心的なものから周辺的なものへの関心の移行に対応したものなんでしょう。

 ギリシアの美術がその後のヨーロッパの美術に多大な影響を与え、古典主義という正統の系譜を形づくりましたが、そのギリシアの美術にさえ、それ以前の古代の文明の美を継承している部分があり、キリスト教がクリスマスにケルトの習慣を取り入れるなど異教を取り込んでいたり、ゴシックに北方のゲルマン民族の美が取入れられたりと、我々が単純にヨーロッパと見ているものにも、非ヨーロッパが混入しています。

 工芸(装飾)と美術の関係も著者が関心を寄せている大きなテーマです。近代ヨーロッパで一時は対立的に見なされていた両者も、19世紀末に、工芸と美術の折衷である日本美術を発見し、クリムトのような美術と工芸を融合させる画家が登場したことで、その後美術は大きく方向転換したもののようです。私も個人的には工芸の美しさに関心を寄せているところです。

 文様については、長年グロテスク文様やアラベスク文様に魅せられておりますが、それらの文様の自己増殖していくイメージには自然界の生命の原理と相通じるようなところがあります。アラベスク文様に、エッシャーの版画にある無限運動を繰り返すような図柄があったり、動物組紐文様やグロテスク文様では、草木の先に動物や人間が生えていたり動物が文様になったりしています。

 この本でも、唐草文様について語っている次の言葉がそのあたりのことを指摘しています。「そのフォルムは波形の各所から生えた渦巻であり、あらゆる形象を取り込み同化させようとする力に満ちています。取り囲まれた異質のものはその本来のかたちを残像としながら唐草と融合する。つまり唐草文様とは、自己同一性を刻々とずらしていくことによって生き延びる、無限の生成なのです。(p131)」

 アラベスク文様とグロテスク文様について私なりに思いついたことを書けば、アラベスク文様は抽象的な文様にとどまっていますが、グロテスク文様や動物組紐文様は、植物的なものと動物的なもの、また抽象と具象が接合しているのが違うところで、グロテスク文様には奇想(カプリッチョ)が感じられます。それはシュールレアリスムの美学の「ミシンと蝙蝠傘の偶然の出会い」にも通じるところがあるように思います。音楽で考えると、バッハのフーガの技法(あるいはワーグナーの半音階的旋律)がアラベスク文様に例えられるとすると、マーラーなどがカッコウの音程やカウベルの音色を使ったりするのはグロテスク文様に例えられるのかもしれません。

 浅学な私にはいろいろと教えてもらうことが多く、「模様」と「文様」の違いや、英語の化粧という言葉(cosmetic)の語源がギリシャ語の宇宙(kosmos)にあること、ナポレオン三世がローマ以前のフランス(ガリア)を称揚したこと、ルーカス・レイデンというグロテスク文様の版画家がいること、マヨルカ陶器にグロテスク文様を取り入れたものがあることなどを知りました。

 豊富に添えられた図版もこの本の魅力のひとつです。人物までもヴィジュアルで紹介されており、ゲーテまでもが絵で紹介されているのはNHKならではの発想でしょうか。