:Aloysius Bertrand『GASPARD DE LA NUIT』(アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパール』)


Aloysius Bertrand『GASPARD DE LA NUIT―Fantaisies à la manière de Rembrandt et de Callot』(Les Fermiers Généraux 1956年)

                                   
 カロの版画について読んだ延長で、「レンブラント、カロ風の幻想曲」という副題を持つ本書を読んでみました。今回は翻訳が出ているので、原文を音読し、辞書を引きながら自分なりに読解した後、いつもしている梗概は作らずに、伊吹武彦訳、及川茂訳、城左門訳の順で確認しました(それぞれの訳文比較は後述)。

 1ページに1カ所は必ずと言っていいほど勘違いしている部分があり情けなく思いました。間違いの原因は、時制や条件法の取り違えから来るもの、成句の意味が取れていない場合や単語を別の意味で考えたものなど。ラテン語の引用句があったり、辞書に載っていない単語も多いのも原因です。この調子だと、このブログで偉そうに読んだと報告しているのもかなりいい加減だということが分かります。皆さんご注意を!


 この詩集はフランスで初めての散文詩と言われていますが、その形式面からの特徴を私なりに考えてみると、
①一つの詩は独立してはいるが、類似したテーマで書かれた詩が集められて一つの章を形づくり、7つの章の配置により、全体の構成が考えられていること。
②個々の詩も叙事的な詩で、物語風の味わいがあること。
③短い詩のなかに、枠物語のように複数の視点が存在していたり、また会話体や独白体が挿入されたりなど、立体的になっていること。
散文詩だが、韻文詩に近い工夫としては、おおむね3〜4行で一行分ないし二行分の空白を設けていること。何音かまとまった句切りが明瞭な文章で、それが詩の律動を感じさせること。くり返しのフレーズや対句のような表現が散見され、それが詩の情緒を醸し出していること。

 これらの詩篇の原型が書かれたのがベルトランの19歳ごろから23歳ごろといいますから、その若さでこれだけの技巧を創り上げたというのは大したものと言わざるを得ません。


 内容面から特徴を考えると、
①登場するのは、盗賊だったり、癩者だったり、魔女、乞食、兵士、殿様、亡者、小人、ジプシー、跛、中風病み・・・よく見れば差別用語のオンパレード。
②廃墟趣味、中世趣味、夜への偏愛、恐怖の埋葬、魔曲に踊らされる騎士、絞首台・・・これらは浪漫主義の名残か。
③僧院に葬られていた騎士たちが黒マリアのもと百鬼夜行を繰りひろげる場面、乞食と不良役人が焚火で一緒に語らう図、ロバの屁にも戦々恐々とするゲリラ隊、月があかんべをしたり、人の顔をした毛虫が登場するなど、諧謔とグロテスク風味。

 ボードレール散文詩『パリの憂愁』に影響を与えたと言われますが、グロテスク風、諧謔味、テンポのよさでは『パリの憂愁』よりも出来がいい。むしろ『悪の華』への影響の方が大きいのではないでしょうか。


 とくにすばらしいと感じた詩篇は、「La tour de Nesle(ネルの塔)」「La chambre gothique(ゴチックの部屋)」「Scarbo(地の精スカルボ)」「Le fou(気違い)」「Le nain(小人)」「Les lépreux(癩者たち)」「La chanson du masque(仮面の歌)」「Le cheval mort(死んだ馬)」「Le gibet(絞首台)」「Scarbo(スカルボ)」。

 伊吹武彦訳の巻末にあった年譜を読んで、この本の初版が出版されるまでの長い道のりを知りました。ベルトランが結核で死に瀕するなかこの書の出版だけを唯一の希望とし、彼を励ますために出版を実現しようとして友人や先輩の詩人たちが奔走したことや、葬り去られかけた原稿を最終的に救った書肆パヴィーの勇気ある決断には涙を催しました。病床で出版を待ち焦がれていたベルトランは自分の詩作の技法に絶大な自信をもっていたに違いありません。ついに本を見ることはできませんでしたが。

 「夜のガスパール」というのは何のことか初めは分かりませんでしたが、この詩集の架空の作者の名前だと知りました。じつは悪魔だった「夜のガスパール」がベルトランにこの詩集を託したという作りになっています。だから『夜のガスパールによるレンブラント、カロ風幻想曲』というのが内容に沿った標題だと思います。  
 
 『夜のガスパール詩篇の翻訳について私の所持しているのは、伊吹武彦譯『夜のガスパール』(全訳、角川書店 1947年)、及川茂『夜のガスパールレンブラント、カロー風の幻想曲』(全訳、岩波文庫 1991年)、城左門譯『夜のがすぱある』(抄訳、操書房 1948年)、城左門譯『夜のガスパール』(抄訳、昭南書房 1943年)、『上田敏詩集』(7篇所収、第一書房 1938年)、山内義雄譯『仏蘭西詩選』(6篇所収、新潮社 1923年)、日夏耿之介譯『巴里幻想集』(3篇所収、東京限定本倶楽部 1951年)。
伊吹及川
城・操書房(昭南は書影なし)
上田山内
日夏

 伊吹武彦、城左門、及川茂三者を中心に比較してみると、伊吹訳は雰囲気をかもし出すために勢いを重視していて、しばしば訳しすぎな印象はあるもなかなかの名訳。全体的に勢いと正確さのバランスが取れている。それに反して、城左門訳は川の精を河童と訳したり、奉行や岡っ引きが出てくるなど、江戸風が強すぎて時代物を読んでいる雰囲気。この二つの訳を見比べただけでも、解釈の違いでまったく違う光景になっているところが幾つかありました。いかに翻訳が難しいかの良い例でしょう。私の感じでは伊吹訳のほうがより正確なように思う。及川の訳は両者とは打って変わって素直な現代訳で、これはこれで読んでいて好感が持てますが、この詩集の持つグロテスク趣味があまり感じられず、妙味に欠けるのは否めません。

 ほか日夏訳はどちらかというと、古風な言い回しがあったり漢字を連ねて変てこな読みをさせるのが城左門訳に近く、カタカナで書かれた擬音語が頻出するのが特徴。山内義雄訳は、これも古風な印象を受けるが難しい漢字は少なくひらがなが多い。詩句の最後を「ありさま」で終えるのが面白い。上田敏訳は、まず口調がよいこと。難しい漢字も出てくるが基本は口語詩で、「〜のだ」というような断定的な表現は、当時としては新しい感覚ではないでしょうか。また大家にして誤訳もあるのが親しみを覚えるところ。

 ぐだぐだ書いていても現物を見ないことにはよく分からないと思いますので、ひとつの詩のそれぞれの翻訳を見比べてみてください。ベルトランらしいおどろおどろしい雰囲気は少なく、城左門や日夏耿之介には少し不利にも思えますが、上記の本の中で、いちばん多く訳されていた「Le soir sur l’eau」(上田敏は訳していず)の冒頭の一節です。ルビや活字体の肌触りを少しでも感じられるようにページのスキャンを添付しておきます。


黒いゴンドラが大理石(なめいし)づくりの館に沿つて滑つてゆく。マントの下に短劔と龕燈を忍ばせて暗闇仕事に駆けつける刺客のやうに。(伊吹武彦譯「水の宵」)
黒仕立(じた)ての畫舫(ゴンドラ)が、大理石(なめいし)の館(やかた)に沿うて滑つて行く。まるで、合羽(かっぱ)の下に匕首(あひくち)と龕燈(がんとう)とを忍ばせて、何やら夜(よる)の事變(じへん)に馳(は)せつける刺客とでも云った具合に。(城左門譯「水の宵」)
黒いゴンドラが大理石の館に沿って滑って行った。ケープの下に短剣と角灯をしのばせて、夜の仕事に走る刺客(ブラヴォ)のように。(及川茂「水上の宵」)
黝(かぐろ)い畫舫(ごんどら)が、大理石(なめいし)の家形(やかた)づくりに打ち沿うて、スゥイスゥイと辷つてゆくのが、手もなく、外套(まんとう)の小かげの匕首(あひくち)と龕燈(がんどうがへし)とをそと忍ばせて、小夜(さよ)の殺陣(たてひき)に乗込む刺客(せきかく)と言つたあんばい。(日夏耿之介譯「水上白宵記」)
黒い畫舫(ゴンドラ)が、立ちならぶ大理石の館(やかた)にそって滑つてゆく。それがまるで上衣(うわっぱり)の下には短劍と龕燈とを忍ばせて、何かしら闇(くらやみ)仕事にかけつける刺客とでもいつたありさま。(山内義雄譯「水のゆふべ」)
伊吹譯城譯及川訳
日夏譯山内譯