:原研二『グロテスクの部屋―人工洞窟と書斎のアナロギア』

                                   
原研二『グロテスクの部屋―人工洞窟と書斎のアナロギア』(作品社 1996年)

                                   
 グロテスク関連で読んでみました。私が「グロテスク」という言葉で思い描いていた世界に近い内容でたいへん面白く読みました。本の半分近くをおびただしい図版が占めていますが、そのいずれもが圧倒的に魅力的で素晴らしい。

 これはなんの本かと訊ねられれば、建築のジャンルに属しているが、ギリシア古代を淵源とするヨーロッパ精神史でもあり、自然と人工をめぐる哲学の書であると答えるべきでしょう。

 グロテスクの造型作家としては、ジョルジョ・ヴァザーリ、ベルナルド・ブォンタレンティ、ジャック・カロ、ベルナール・パリシー、ヤムニッツァー、サロモン・ド・コーらが取り上げられ、グロテスクの造型としては、グロッタに始まり、覗きからくり、オペラ、貝殻館、パルナス山、ストゥディオロ(洞窟型の書斎・実験室)から、果てはキャビネットまでが論じられています。

 おぼろげに自分なりに判ったのは、グロテスクの造型が「繁茂」というエネルギーに支えられていて、神の御業による生成の過程を模するものであるということ。植物と動物と人間の「合成」という形が原理であり、その「合成」という意味は人工と自然の「中間物」であるということ。「中間物」には<自然とまごう人工>と<人工とまごう自然>の二つの形があることなど。

 実際に現在のヨーロッパにこのようなグロッタやストゥディオロが残っているかどうか知りませんが、行って見てみたいものです。ピッティ宮殿のボボリ庭園、ティヴォリのデステ庭園、メディチ家の別邸カステッロやプラトリーノ庭園、インスブルックのアンブラス城のグロッタ、イゾラ・ベッラ、マントヴァのテ宮殿など。(取り上げられているうちヘルブルンのクローネン・グロッテとフィレンツェのヴェッキオ宮殿には行ったことがあり、この本にはなかったがミュンヘンレジデンツのグロッタも見ました―自慢)

 著者自らはいっさい言及してませんが、澁澤龍彦の影響がありありとうかがえます。貝殻など硬質で人工的な自然物への嗜好や前近代的な科学趣味、文章への悪い影響としては、時代がかった男性口調とでもいうべき、およそ詩的でない文体(これは著者が師と仰ぐ高山宏にも共通)が見受けられました。

 へたな解説はこのくらいで、恒例により引用を少々。

生成途上にあるとは、中間状態のことであり、中間とは、境界の曖昧な、と言うよりむしろ、生成の始まりと終わりがくっつけられた明快この上ない怪物である/p15

可視的世界を表わす円は、知性と魂と自然といった不可視的世界を表わす円の写しである。というのは物体は魂と知性との影であり足跡であるが、影や足跡はその本体の写しに過ぎないからである/p20

天井の採光穴にガラスの鉢を据え付け、そこに水を満たした。水は魚の動きによって揺れ、それを透過する光も揺れて、たまさかの屈折に虹色を投げかけることもあり、洞窟内の神秘をいやましに深めた/p22

ヴァザーリやブォンタレンティの工夫は、音楽をも見えるものとする新しいジャンル、徹底的に視覚の魔術たるオペラというものだった/p25・・・舞台装置ときたら、まるっきりプラトリーノ庭園だった。牧歌風景、つまり花々、グロッタ、火を吐く龍…。オペラが庭園であることをオペラ史は忘れてはいまいか/p37

貝殻そのものは、自然と人工のあわいにあるように見えるし、化石ともなればまぎれもない、石と生物の中間物ではないか・・・パリシーは彼なりに、幻想的綺想を弄んでいるのではなく、自然そのものを再現しているつもりだった。<自然とまごう人工>の宇宙である/p55

アルカディアとは、水源を歌う牧歌の風景に遡る。<ルスティカ>はしたがって田舎ぶりとか田園風ではなく、<牧歌様式>と訳す文脈があるだろう。・・・ヨーロッパ人は彼らなりに、われわれが浄土をなぞったのにも似て、ウェルギリウスに歌われた黄金時代の自然、牧歌の自然=アルカディアを、詩や美術や庭園などあらゆる手立てを尽くしてなぞった/p75

これら玩具のような自動機械風景が何と<テアトルム・ムンディ(世界劇場)>と総称する見世物だったことからすれば、世界は神のマシーンであり、それゆえ世界はマシーンによってそっくり再現できるという思想の残響を聞く思いがするのである/p100

自然を欺く人間の力量の誇示。・・・ここからはまっすぐにフランケンシュタインの怪物に接続する/p101

山水画が風水説に基づく岩山の吉祥図であるのと同じく、西欧人の田園・岩塊・噴水庭園の図もまたアルカディアの記憶に逐一繋がるめでたいものだったにちがいない/p207

植物繁茂の中、牛に羽根が生えていて、合成存在の基本を見せている。ルネサンスの画家達が飛びついたのが、こういう<合成>の綺想だった。・・・<合成>という怪物作成の原理は、ある形の変容しつつある中間物のことだということも、もう一度思い出しておこう。・・・植物と動物が融解し繁茂する、これこそグロッタの紋章にほかならない/p240

 そう言えばこの本でも森男=グリーンマンが出てきました(p79)。