:版画の本二冊

///

坂本満『版画散歩』(筑摩書房 1985年)
駒井哲郎『銅版画のマチエール』(美術出版社 1976年)

                                   
 挿絵本の延長で、版画の本を読むことにしました。学者と実作者それぞれの視点から書かれていますが、共通する話題もあり、また取り上げられている作家も重なっているところがありました。版画に対する理解が深まったと思います。お二人の主張の共通点は、版画は本物をルーペを使うなりして間近に見ることが大切と言っていることです。


 『版画散歩』は西洋版画の専門家が西洋版画の歴史全体を俯瞰したもの。山野愛子という人(まさかあの美容室の方?)が聞き手になって話を引きだす形になっており、読みやすい。著者は筑摩書房『世界版画大系』の企画編集代表も務められているところからすると、どうやらそれに付随してできた産物のようで、大系の巻ごとの内容に沿った章立てになっているような気がします。なのでこれ一冊を読めば『世界版画大系』のエッセンスが分かる仕掛けになっています。

 坂本氏は学者ですが、学者にしてはかなり柔らかい頭の持主のようで、自分の分かっていること、感じていることだけを自分流に話す姿勢が見受けられ(他人の意見を言う時はきちんと「受け売りだが」と断っている)好感を持ちました。しかも、世間と異なるような持論を平気で堂々と話す態度は素晴らしい。例えば、現代の版画は本来の版画ではなく、その正当な継承者は写真や漫画、劇画の類い、子供の絵本だと言い放っているところ(p215)。

 面白い指摘は、版画における画家と彫り師との関係を論じたところで、腕の良い彫り師ほど原画の世界を正確に反映させるために、画家の世界だけが残り彫り師の存在が消えてしまうという矛盾について書いているところです(p159)。

 他にも、版画の初期には僧院が発行したお守りなどで版画が広まったこと(p8)、16世紀中頃に版画出版者が現れたことで画家と版画家とが分離する契機となり、版画が絵画に比べて一段低く見られるようになったこと(p21)、木版画はリアリズムへの要求に技法や様式の点で充分に応じられなかったので民衆芸術化していったこと(p30)、19世紀前半に人力から蒸気機関への技術革新により円筒式印刷機が登場し、版画作品が素早く多量に作られるようになり、しかも豊かな表現性を得ることができたこと(p158)など、色々な知見を得ることができました。

 ただ、歴史全体を網羅して多数の版画家について語っているためもあって、説明だけで絵の例示のないケースが多く、分かりにくいところが結構ありました。また、クリブレやニエロ版、ビウィックの木口木版、メゾティントなど、版画の専門的な技法の説明も分かりにくかった。


 『銅版画のマチエール』は二つの部分に分れ、Ⅰ部では銅版画の製作の方法を、道具や材料、製版の技法、印刷の要領、紙の選び方などに分けて懇切丁寧に詳述し、Ⅱ部では、自分の愛好する作家の作品を製作者の立場から解説しています。このⅡ部で取り上げられている作家はことごとく私の愛好する作家と合致していました。

 マチエールという言葉を学生の頃よく聞いたものですが、いまひとつよく分かってなかったように思います。今回油絵と銅版画の比較をしながらの説明を読んで、美術作品においてはとても重要な要素であると認識できました。音楽の世界では響きとか音色にあたる物でしょうか。

 この本には実作者ならではの重要な指摘がいろいろとありました。描画、製版、印刷は全体的に考えなければならならず、印刷でいろんな実験を試みることによって最良の効果を知りそれを描画、製版の方法に還元すべきこと(p82)、小さな画面に微妙な陰影を刻み込んだ版画作品は写真では細かいマチエールの質を味読することができないこと(p135)、カロが後世の詩人や文学者の心を捉え彼らの創作に影響を与えていることの不思議さ(p137)、ブレスダンの作品は一見明暗によって描いたと見えるが、本質は線のアラベスクであること(p162)など。

                                   
 両書のなかで印象に残った作品は
ブリューゲル七つの美徳 剛毅」
カロ「二人の道化」「聖アントワーヌの誘惑」
ビウィック「英国の陸鳥」
ピラネージ「種々の作品」
クラーナハ「法王ロバ」
「怪物ビゴルヌとシシュファースの滑稽な物語」
以上、『版画散歩』


フロコン「パースペクティヴⅥ・Ⅶ」
ブリューゲル七つの大罪 貪欲」
ジャック・カロ「バリ・ディ・スフェサニア」連作
ブレスダン「流れのほとりの聖家族」「枝―薔薇」「よきサマリア人
長谷川潔「伊太利サン・ジミニヤーノ風景」「一樹(ニレの木)」「南仏古村」「ジゴンダ古村の礼拝堂」「静物・ラ・フォンテーヌの寓話より」
以上、『銅版画のマチエール』