:村松嘉津の二冊


村松嘉津『フランスに生きる』(白水社 1961年)
村松嘉津『ヴェルサイユ春秋』(創元社 1957年)
                                    
 村松嘉津のことは学生時代はまったく知りませんでした。よく覚えてませんが、古本仲間から教えてもらったのか、いつ頃からか集めるようになりました。初めに読んだのは10年ほど前のこと、『新版 プロヴァンス随筆』で、文学的香気溢れる佳編「ヴォークリューズの谷間」に感銘を受けました。先日、『世界紀行文學全集 フランスⅡ』で、『ヴェルサイユ春秋』の一節を読んで、また村松氏の本を読みたいと思いました。

 とここまで書いて、愕然。『フランスに生きる』は、すでに『新版 プロヴァンス随筆』の半年前2004年10月に読んでいたことが判明しました。というのは、『新版 プロヴァンス随筆』の読書ノートを繰ってみて、次の記述を見つけたからです。「『フランスに生きる』が人に焦点が当たっていたのに対し、この著は食材と料理、自然が中心だ」。それで、『フランスに生きる』の読書ノートも探してみると見つかりました。それには、「須賀敦子の前に村松嘉津が居たという感じ。文章の端正さ、女性らしい謙虚さと目線の低さ。須賀よりは少しリアリズム派という感じがするが」と書いてありました。いまの感想とまったく同じで驚きです。

 となると、この二冊ともに収録されている「ドーデーの風車小屋」と「ヴォークリューズの谷間」の二篇は3回ずつ読んだことになる。

 気を取り直して、『フランスに生きる』について書くと、大きく四つに分れていて、冒頭の章「世相さまざま」では、身近なお付き合いのあった人の思い出を語り、人々が世の中の動きに翻弄されながら生きて行く姿を描いています。とくに最初の「ヤマナカ夫人の話」は、異国フランスで寡黙に働きながら戦争で収容所に入れられ病院の過失で無残に死ぬ山中氏と、彼の忠実なフランス人妻の姿を描いていて泣かせます。「ラジエスジーの話」では、棒を使って地中の水脈や金鉱を探り当てる山師めいた人物たちのことを書いていて、どこか澁澤龍彦池内紀のエッセイを思わせるところがありました。

 次の章「随想漫録」は漫録というよりはしっかりした文化評論になっていて、銀座のモードとパリモードのあり方を比較しながら都市の雅量について論じたり、旅行記の陥りやすい錯誤を指摘したり、時代とともにすたれ行く葬列の東西比較をしたりしています。髪と目と皮膚の色は南欧から北欧へ北上するにつれ濃色から淡色になるのが植物の分布に相応じている、というような観察も鋭い。

 その次の「街頭風景」は文字どおり、町で見かけた辻音楽師や大道芸などを寸描していて、少し短篇小説的な味わいも感じられました。

 がやはり真骨頂は最後の章「文学紀行」だと思います。美しい自然描写のなかにペトラルカへの思いを語った「ヴォークリューズの谷間」、山荘に閉じこもった青年時代のルーソーと不実なヴァランス男爵夫人の関係を綴った「シャンベリーとシャルメット」、ラマルティーヌの悲恋の舞台を訪れる「ル・ブールジェ湖」など、いずれも文学作品や思想の生まれた現場を訪れ、作品や思想との間の相互作用や親和性を見出していますが、文中の次のような言葉がそのことと響き合っています。「世の中には風景やふんい気や気候や時間など、外界の状況が心の中の印象ときわめて相合うていて、自然が魂の一部を成し、魂が自然の一班を成すかと思われるような所があるものだ。(ラマルティーヌ『ラファエル』よりの引用文)」(p238)

 この本で驚いたのは、「ラジエスジーの話」のなかで、マルセル・ブリオンの名前が出てきたこと。著者も懇意のマルセーユ在のラジエスジー(山師)オノレ・デュラン氏が、若い頃マルセル・ブリオンやジャン・ジオノらと「ラ・クリエ」という同人文芸誌を出していたというくだりです(p82)。


 『ヴェルサイユ春秋』は、はじめはヴェルサイユの観光案内的な本だと思って、若干敬遠気味でしたが、『世界紀行文學全集』で読んだ小説的味わいの断片がとても面白く、手に取りました。

 これだけ詳しくヴェルサイユについて書くことができたのは、村松嘉津がしばらくここに住んでいたからです。この本では1月から12月まで丸一年、四季の移り変わりとともに、ヴェルサイユの姿を描いています。住んでいた家は、かつてスタール夫人をはじめ数々の名家が一時住んでいた館のようです。

 この本の魅力は、そうした日常的なヴェルサイユの顔が見られることと、庭園や建築の様式の変遷が詳細に述べられていること、そしてアンリ・ド・レニエやミュッセなど関連した文学作品に言及があるところです。


 建築や庭園の様式の叙述は複雑で、よく理解できてませんが、大まかに整理してみると、
①大アパルトマンのサロンはイタリア的なルネサンス芸術の華麗さ、小アパルトマンはロココ風に飾られていること。
②ル・ヴォーの新宮殿はクラシックで、ル・ノートル設計の古典様式の庭園と調和していること。③王の苑はイギリス庭園で、ル・ノートルの庭とは別世界。「文様花壇」がある。
④彫刻はバロックの流れを汲む作家によるもので当然バロック的なものが多いが、原図が古典主義にのっとっているために古典的なものもある。
⑤舞踏室はロカイユと呼ばれる人造作岩で囲まれている。これはバロックからロココ様式へとつながるもの。
アポローンの浴みの杜は、ユベール・ロベールの図案に従い、当時流行の風景式イギリス庭園に作り変えられたもの。
⑦メナージュリ(動物園)離宮の天井絵はロココの先駆をなすグロテスク装飾画家として比類なきクロード・オードラン等の動物図様を金泥彩色したもの。
⑧宮殿の真向かいに運河の真中に落日を迎え入れるように設計されているが、これはルイ大王が日輪王と呼ばれていたことで意図されたもの。
⑨大トリアノン離宮は当初「南京の磁塔」を模した支那趣味の横溢したものであったが、のちに取り壊された。その庭園はフランス庭園。
⑩女王の杜はプランはフランス庭園だがイギリス庭園との折衷になっている。
⑪小トリアノンの宮殿は、ロココへの反動から、また古典的な落ち着きを取り戻しているが、庭園はイギリス庭園で、農村風景を取り入れている。
ヴェルサイユはルイ十四世、小トリアノンはマリ・アントアネットの創作した世界であり、その人格の反映となっている。


 いろんな新しい事実を知ることができました。
①ルイ十三世の宰相マザラン僧正がイタリアから賭け事を持ちこんで以来、宮廷では賭けが盛んになった。
②宮廷生活は一般国民に公開されていて、食事から女王の出産まで、国民の目にさらされた。
シャルル・ペローは藪医者の兄とともに王室に入り込んで、ヴェルサイユの「アポローンの浴み」の設計をしている。
④小トリアノンには、下から料理の乗ったテーブルが上ってくる自働食卓という装置が使われていた。
アメリカ独立時のフランクリンが同盟条約の調印のためにヴェルサイユを訪れた時、マリ・アントアネットと賭け遊びに興じている。
⑥フランクリンが、アカデミーの満座の聴衆の前でヴォルテールとフランス式の抱擁をしたこと。
 また円蓋亭(ロトンド)、極楽境(シャンゼリゼー)など、面白い当て字も発見。


 ヴェルサイユはまだ行ってませんので、この本を携えてゆっくり見物したいと思います。