:酒井健『ゴシックとは何か』


                                   
酒井健『ゴシックとは何か―大聖堂の精神史』(講談社現代新書 2000年)

                                   
 この本は、先日のツアーでシャルトルとランスの大聖堂を見に行く予定だったので、行きの飛行機の中で読んだもの。ひと月ほど経つのであらかた忘れてしまいました。バタイユを専門にしている人にしては、目配りも広く理路整然と書けていると感じました。


 プロローグで、ゴシックという呼称の由来やカテドラルの意味などにさらりと触れた後、第Ⅰ章「ゴシックの誕生」では、ゴシック大聖堂が生まれた社会的背景を説明。その大筋は、
①11世紀に農業の発展で森林が伐採されていったが、自然を人間が利用することはキリスト教の世界観にのっとったものであり、開墾運動で技術や知識のある修道士が大きな役割を果たし、教会が富を蓄積していったこと、
地母神信仰をマリア信仰が吸収し、大聖堂も異教の聖地の上に建てるなど、もともとあった異教をキリスト教が巧みに取り込んでいったこと、
③司教間の対抗意識がゴシック建築ラッシュと大聖堂の壮大化という事態を引き起こしたこと。


 第Ⅱ章「ゴシックの受難」では、大聖堂を取り巻く環境に変化が生じ、
①14世紀半ばのペスト禍で熟練労働者が不足し建築が停滞したこと、
ルネサンスでブルネレスキ、ラファエロなど古典ローマにもとづく反ゴシック的な円、球の美学が登場したこと、
プロテスタントが聖画像破壊運動を起こしたこと、
によりゴシックが死に瀕したことが語られています。


 第Ⅲ章「ゴシックの復活」では、18世紀になって出て来たゴシック復興の動きを英独仏三カ国で検証。
①イギリスでは、古典主義に対するイギリス式庭園がゴシックと親和性を持つものとして登場したとし、廃墟建築やバークの崇高の美学、ウォルポールのゴシック風の館、小説でのムーヴメントに言及、
②ドイツでは、ゲーテストラスブール大聖堂への讃美を皮切りに、ゴシックの無限性がロマン派の人々に評価され、フランスに対する反感がゴシック復興を後押ししたこと、
③フランスでは、シャトーブリアンキリスト教精髄』とフランス文化財博物館の二つが軸で、ゴシック大聖堂の神秘を称えるシャトーブリアンの系譜にはユゴーユイスマンスが続き、文化財博物館がゴシックの視覚的な楽しみを市民に提供したこと。


 他にも、以下のような考察が印象に残りました。
キリスト教の復活譚は、キリスト教以前の古代ギリシアの時代から自然神信仰や神話を通して地中海地方に広まっていた受難と再生のテーマの影響を受けて登場したこと(p36)。またゴシック期の聖母信仰熱には、天国行きをイエスに執り成してくれる媒介者マリアに救済を求める心理が背景にあること(p38)。
②宗教の根源には神への供犠という性格があり、祭壇は古代から神々への生贄が捧げられる血腥い台であった。バタイユはそこに左極の聖性が出現すると指摘した(p47)。
③新プラトン主義の系譜にある偽ディオニュシオス・アレオパギタ(5世紀末頃)の光の神学によると、被造物は程度の差こそあれみな神の非物質的な光を内に宿しているのであり、そこから物質的な光が非物質的な光の似姿(イメージ)として教会堂の内部の光輝に利用されるようになった(p86)。
ゴシック様式を批判したアルベルティだったが、ゴシック大聖堂内の曖昧な薄暗闇が忘れられずにいたし(p127)、ゴシックを優美さのかけらもない様式として批判したラファエロも、古代ローマのグロテスク様式を発見し、ゴシックと共通するそのテイストに心酔していた(p133)。ミケランジェロも比例関係に収まりきらない不合理な内部の力を人体に感じ、またグロテスク模様を高く評価していた。このミケランジェロの嗜好はゴシックと通底するものがある(p137)。
プロテスタントの聖書中心主義には、聖書が読める人間とそうでない人間との区別を生むという負の面があり、また労働と非労働のあいだに線を引いたことが、ヨーロッパ・キリスト教世界に自己本位で傲慢な選民思想、非人道的な差別の思想をもたらした(p147)。


 紹介されていて、ぜひ見たいと思ったゴシック大聖堂は、ボーヴェのサン・ピエール大聖堂、ストラスブールの大聖堂、シャルトルの大聖堂。結局シャルトルは古本に熱中しすぎて行けませんでしたが、ランスの大聖堂は見てきました。奇怪な怪獣をいくつか見つけましたので映像を載せておきます。
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