:「現代詩手帖 現代詩年鑑2010」

 この2、3年、年末から正月にかけて、この年鑑を読んでいます。学生の頃一時は毎月「現代詩手帖」を買っていた時期もありましたが、社会人になってからは、年鑑だけ、しかも時たま購入するだけになっていました。読み方も、詩作品はともかく評論や年間展望は2、3編読む程度でしたが、最近は全編読み通すようになっています。年末年始の恒例行事になってきた感があります。


 後半に収められた一年間の代表詩選には、なぜこの詩が選ばれたのか分からないような拙い詩があったり、赤面するような純情な詩や、逆に何十年も携わってきて壷を心得過ぎたような手だれの詩、さらにそれが高じて意表をつくことばかりに神経を費やしたひねくれた詩など、さまざまなものがありますが、なかにはとても万人が思いつけないような言葉を繰り出す凄い詩や、グロテスクなイメージの濃い詩、疾走感があり勢いがある詩、打って変わって静かな味わい深い詩もあり、まずいものもうまいものも含めて味わいというものがあるという意味では、料理や酒にうまいまずいがあるのと同じようなものなのでしょう。


 詩作品の劣悪なものでもまだ詩である限り、難解詩、滑稽詩として、なんとか我慢できるものですが、評論や展望の文章では、いったい何を言いたいのか分からない粗悪なものは時間の無駄としか言いようがなく、しかも結構たくさん混じっており、現代詩の世界での編集機能の欠落をいまさらながら、嘆かざるをえません。この部分がもっとしっかりしていれば、現代詩の世界も、もう少しは、作者読者ともに広がっていただろうと悔やまれてなりません。


 以下に、興味を惹き立てられた印象深かった評論、詩作品を、09年の年鑑の分とともに、列挙しておきます。
2010年鑑
松浦寿輝和合亮一、蜂飼耳の鼎談「詩と世界との繋留点を探す」
八木幹夫の展望「老いてなお、さかんなる詩人たち、詩は老いない」
渡辺玄英の詩誌展望「渦ならここにある」
杉本真維子の書評「田原『石の記憶』」

詩作品
松浦寿輝「through/away」
金時鐘「かすかな 伝言」、河野多恵子「おとずれ」、田中俊廣「琥珀の時間」、岩切正一郎「庭」、粕谷栄市「花影」、中村文昭「雙子の蝶α」、谷川俊太郎トロムソコラージュ」、原満三寿「火宅火定」、日和聡子「白日」、山田亮太「カエル」、北川透「旅行団」、田中清光「天に角はある」、松岡政則「橋がくる」、佐々木幹郎「天窓の幻」、北川朱美「砂売り」、なかにしけふこ「エクピュローシス」


2009年鑑(この年鑑では詩をとりまく環境が激変しているのを知ることができました)
阿部嘉昭の展望「ネット詩と改行詩のゆくえ」
廿楽順治の展望「眼前のボブスレー
高柳克弘の俳句展望「ドットの詩」
野村喜和夫の展望「薄命に肉体の不思議は組織されるか」
蜂飼耳の書評「松浦寿輝『吃水都市』」
金井雄二の書評「奥田春美『かめれおんの時間』」

詩作品
◎高岡修「牛」、松浦寿輝「眠る男」
入沢康夫「山あひのプラットフォームの思ひ出」、伊藤比呂美「山姥の灯を吹き消すやハロウィーンの事」、建畠暫「春の奥さん」、日和聡子「山廃」、岩佐なを「素描「ねむり」、小笠原茂介「蛇の目」、粕谷栄市「砂丘」、中村文昭「an Evil」、野木京子「どの人の下にも」、杉本徹「灰と紫」、杉本真維子「参拝」、平林敏彦「帰郷」、奥田春美「かめれおんの時間」、斉藤恵子「無月」、峯澤典子「舟遊び」、吉田文憲「接近」、池井昌樹「糧」、高橋秀明小樽運河」、高貝弘也「子葉声韻」、廿楽順治「頭盆」