:イギリス紀行二冊

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成田成壽『イギリス娘―ヨーロッパ紀行』(研究社 1955年)
江國滋『英国こんなとき旅日記』(新潮社 1992年)
                                   
 矢野峰人の『片影』を読んだ流れで、イギリス紀行に関する本を探し出しました。これからしばらく英国ものを読んで行こうと思います。この二冊はまるで雰囲気が違いますが、無理やり一緒に取りあげることにします。

 『イギリス娘』の著者については、この本を出版した時点で東京教育大学教授ということぐらいしか分かりません。一年ほど英国に滞在した時の体験や感想を記したもので、矢野峰人と同じく英文学者の英国滞在記ということですが、この本には、ほとんど文学や文学者の話が出てきません。

 かろうじて、ウィリアム・エンプソン家のパーティに出て、源氏物語翻訳者のアーサー・ウエイレーやキャスリン・レーンという女流詩人、フレーザーという詩人(この二人のことは知らない)に紹介されるくだりがあるぐらいです。そのエンプソン氏(おそらく『曖昧の七つの型』の著者)がへべれけに酔っ払っている姿が活写されています。他に大英博物館で斉藤勇とばったり出くわしたりする場面もありました。

 ロンドンに着くまでは、時間の経過に沿って、船のなかの様子や寄港地について記述していますが、ロンドンに着いた後は、内容別の項目の組み立て方になっていて、イギリス娘の振舞いや、下宿の様子、ロンドンの乗り物、教会のミサ、ロンドン人の服装・傘、外食の要領、床屋・洗濯・靴など生活に密着した話、それにテニス・カメラなど趣味の話、ヨーロッパの河、犬・猫の話にいたるまで、気の向くままに綴った種々雑多な話が出てきました。ロンドン留学する後続の人たちが困らないように滞在時の体験を事細かに伝える「旅の雑学ノート」に近いものと言えるでしょう。  
 なかで面白かったのは、英語に関する話で、素直なお人柄らしく、正直に英会話が苦手なことを告白しています。少し引用すると、「犬・・・英語を解すること、われらの比でない。ゴー・アウェイと言われれば、すごすご行くし、ビー・クワイエットと言われれば、吠えるのも、やめてしまう」(p91)とか、「相手の言うことは、よほど注意しなくてはわからない。殊にイギリス人同志で話しているのは聞いていてもよくわかるものでない」(p117)とか、さらには「英会話は、私のもっとも苦手で、日本にいても、なるべく英米人とは関係しないようにしていたのだ」(p117)という英語教師にあるまじき発言まであり、親しみを覚えました。

 後半にはイギリス人のものの考え方に筆が及んでいて、世の中の万事は宗教をはじめ、すべて退屈をいかに凌ぐかという工夫だと前置きしてから、そのやり方に上手下手があって、イギリス人はそれが上手だと褒め (p151)、そのいちばん簡単な方法は、天気さえよければ日向ぼっこをするということだと指摘しています(p160)。


 『英国こんなとき旅日記』は、多彩な趣味を持ちユーモアあふれる江國滋の吟行シリーズの一冊。「こんなとき」という意味は、英国へ渡ったちょうどその日に湾岸戦争が勃発したからで、旅の間ひっきりなしにTVで戦況を眺め感想が綴られています。後編には「またしても英国こんなとき旅日記」が収められており、そこでは日本で入院中の親しい友人が旅行中に亡くなったことを指しています。  
 前篇の道中では、広告・企画会社の社長が同行していて、演劇、映画、文学、音楽にとんでもなく精通しているその憂散君とのやり取りが、軽妙に描かれています。なんでこんなによく知ってるのかと初めは驚くだけですが、次第に劣等感を感じて自嘲気味になり、お得意の俳句も向うの腕が上回ったと思ったのか、句を紹介する順番も途中から逆転しています。

 他の吟行シリーズと同様、ひたすら酒を飲み、食べ物のことが語られていますが、やはり旅先で出会う人々との交流が温かく印象的。

 面白かった句を引用しておきます。句だけ単独に引用しても、面白さが半減するような気がしますが。
はるさむしいのちに値段つけにけり 滋酔郎
高度一万熱燗揺れてゐてしづか 滋酔郎
中世の闇から来しか寒鴉 滋酔郎
木枯らしはケルトが民の叫びかな 憂散
冬の夜に火噴き達磨でカレー食ふ 憂散
奥行きといひ幅といひ天高し 滋酔郎