:ホルブルック・ジャクスン『イギリス世紀末文学―1890年代』

                                   
ホルブルック・ジャクスン小倉多加志訳『イギリス世紀末文学―1890年代』(千城書店 1955年)
                                   

 クラーク・アシュトン・スミスやホジスンなども訳している小倉多加志が、意外や、真面目な本も訳していたとは。比較的若い頃の翻訳のせいか、生硬なところも目立ちました。巻末に訳注が44ページもの分量でつけられていますが、これはとても便利で、また大変な努力と頭が下がります。その反面、活字が横を向いていたりする初歩的な誤植が多数あるのが残念です。章を追加して新しく訳しなおした新版も出ているようですが。

 イギリス世紀末文学に関する古典的著作らしく、矢野峰人『世紀末英文学史』もこの本を下書きにしているように感じました。13章(原著は21章あるらしい)のうち、章によって、面白いのと面白くないのが歴然と別れていて、面白くない章は訳も分かりにくい(あるいは訳が分かりにくいから面白くないのか)。

 いちばん面白かったのは、第九章の「美辞麗句」。詩人や散文詩人たちが、辞書類や古代の書物の言葉漁りに時間を費やし、ラスキンやペーターや、エドワード・フィッツジェラルドに見られる美辞麗句を好み、D・G・ロゼッティ、ジョージ・メレディス、R・L・スティヴンスンの文章に恍惚となった様子が紹介されています。そして、ゴーティエの文体に関する有名な言葉(「あらゆる絵具皿から色彩をとり、あらゆる鍵盤から音調をとり・・・」)を引用し、イギリスでは、ワイルドとビアズリーの作品を美辞麗句の代表例として引用しています。その文章の豪華絢爛なこと、彼らの作品をもう一度読んでみたくなりました。

 この章ではほかに、世紀末の色に関する記述があり、英国ではもっぱら黄色が世紀末の色とされているが、緑色や白色もさまざまに使われているとして、その例文をたくさんあげています。そして、世紀末の文体の特徴として、奇妙な言葉と奇怪な影像を用いて世人を驚倒せしめようとするところや晦渋趣味があり、作家たちは幻想を掻き立てる暗示性を重要視していたと指摘しています。

 初めの章では、世紀末芸術の概説として、①斬新さ、独創性を尊ぶ近代性が見られること、②そして自足的な個人主義に向かう頽廃派と、社会的熱望を持った進歩的な社会革命派の二極が存在したこと、③頽廃派は、新しい情緒、精神的領域を拡大しようというもので、老衰的衰微とは相反する活力を有していたこと、④しかし頽廃派は、結局カトリックへ収斂するか、神秘主義に没入していったこと、⑤小説の世界でも、怪奇的異国的〈イエロー・ブック〉派が衰退し、大衆的なロマンが台頭したこと、⑥世紀末の感性は都会的なものへの情熱を付け加えたが、結局これも、田園生活の魅力の前に退却していったこと、などをあげています。

 そして最後の章では、1890年代からの新しい小説の傾向として、地方色を前面に押し立て方言を使ったものや、ロマンスの敵だと思われていた科学を取り入れたもの、冒険的な体験をもとにしたもの、恐怖や魔法をテーマとしたもの、さらにはユーモア小説などが乱立する様子を紹介しています。

 黒白画というのが一つのジャンルとして出てきて、ビアズリーのほかに、S・H・サイムや『トリルビィ』を書いたジョージ・デュ・モーリア、A・E・ハウスマンの弟ローレンス・ハウスマン、チャールズ・コンダー、チャールズ・リケッツ、フィル・メイ、レイヴン・ヒル、チャールズ・キーン、ジョン・リーチなどの名前が挙げられていて、後半は知らない人ばかりですが興味を持ちました。


 それでは恒例により引用を、今回は表現の仕方が面白い文章。

ターラーラーブームードーエイという頽廃的なたわけた合唱・・・踊る炎のように国中に拡がって、終には文字通り歌う疫病となって・・・/p19

→調べてみると、Ta-ra-ra Boom-de-ayというボストンで生れた曲で、ロンドンではロティ・コリンズという歌手が足を蹴り上げる踊りとともに広まったらしい。

彼(ワイルド)はゆっくりと耳触りのいい調子で話した。そして声そのものもすばらしかった。フランス語もほとんど申分ないくらい達者なのに、時々、私達の気を引こうと思う言葉を探してつかえるふりをした。/p80

「死人(しびと)は死人と踊り/塵は塵と渦巻くのだ」/p87

死の羽搏きの音を聞いた若者は、次第に春の悦びと美しさを熱望するようになってくるから、その欲望の烈しさのためだけでも、老い込んでしまう。/p102

元気のいい愚か者と、愚かな元気者との争いであった。/p143

→これはどちらが勝つのでしょう。

デカダンは一種の魂の病で、その唯一の治療法は神秘主義であった。/p150

キプリング氏は一聯の小型な青灰色の本を出して驚異的な登場ぶりを見せたが、これらの本はまるで窓の鎧戸のように開いて、東洋の埃っぽい太陽の眩い光と燃えるような色彩を見せた。/p226