:海野弘『装飾空間論』

海野弘『装飾空間論―かたちの始源への旅』(美術出版社 1973年)
                                   
 『「装飾」の美術文明史』に続いて、世界の文様に関する本。私の持っている本は、どこかの古本屋で大昔買ったものですが、面白いことに裏見返しに、「訂正原本」と書かれていて、どうやら第二版を作るに際して、校正者が誤植や追加を記した原本のようです。ところどころに、校正者のていねいな書き込みがあります。奥付のところをアップしておきます。

 海野弘の本は、過去に『世紀末のイラストレーター』『世紀末の街角』『酒場の文化史』『ヨーロッパの誘惑』『部屋の宇宙誌』を読んでいますが、美術や文学や風俗(生活文化と言ったほうが誤解がないか)を総合した厖大な知識量を駆使して、西洋の文化史的なあり方を再現しているという印象がありました。どちらかというと、理論的に解明していくというよりは、いろんな事実をちりばめながら、時代の流れを審美的で趣味豊かに造形していたように思います。

 この本は、その海野弘にしては珍しく理屈っぽく難しくて硬いですが、若書きのせいでしょうか。問題にせまろうという熱気が感じられる一方、数多くの文献に手を広げ過ぎて、それらが未整理のまま混乱で終わっているという感じが否めません。各章の最後の書き方も例えば、「装飾という夢想の場所において、形態と精神史がまだはっきりと分れないでまどろんでいる(十一章p266)。」とか、「ここに、唐草がゆったりとそのつるを横たえ、葉をしげらせているということがぼくをおどろかせる。ささやかなものの前で立止まり、夢見ることによって、まなざしのことばをぼくは聞く(十二章p290)。」といったあいまいな表現が目立ちます。最近の海野弘は読んでいませんが、この冗舌さが年老いてどのような寡黙さを獲得しているか興味のあるところです。

 と悪口を言いすぎたようですが、文様をめぐる問題のいくつか重要な点が指摘されています。私の気のついたところでは、
①同じような文様が世界の各地で見られることについて、ヨーロッパの巨石文化がヨーロッパ青銅器文化にひきつがれ、ケルト文化の曲線をつくりだし、一方でははるかに騎馬にのってユーラシア大陸をわたって、極東の中国とインドシナにたどりつき、さらに海を渡ってインドネシアの諸島に出現するという壮大な伝播の流れをたどりながら、しかし伝播されたものが変わらずに伝わっていくというところに、文化の素地の重要さを指摘したところ(二章「渦巻幻想」p47)。

②文様がどこから生れたのか。一つは水流の動きや自然の動植物の形など環境から形を模倣したという説(これはその文様が象徴する意味も説明される)、もう一つは籠編みや織物の形など人間の技術から発生したという説、これらを紹介したうえで、模倣する前にすでに人間のうちに空間意識・芸術意識が前提としてあると指摘したところ(二章「渦巻幻想」p34)。

③装飾(オルナメント)は秩序(オルドヌング)を意味していて、くりかえしと移動によって空間を埋めてゆく装飾には、われわれが世界に働きかけていく構想力が結晶していると指摘しているところ(三章「空間のアルファベット」p71)。

 『装飾の美術文明史』を読んでいて、ケルト文様やアラベスク文様が生命的な増殖の原理に支えられているからには、抽象的な文様を数学的に捉えるという視点があるのではと考えていたら、この本で文様のパターンを数学の群論(?)を使いながら説明していました。驚いたのは、アラベスクなど複雑そうに見える文様も、数学で十七通りの群に構造化されてしまうこと、さらに驚くのは、その十七通りの文様のパターンがすべてエジプト時代に登場していたということです(九章「結晶世界」p216)。

 十一章「グロテスクの薄明」で、ラスキンがグロテスクを遊び戯れる要素に力点を置いて論じていることが紹介されていました(p259)。まさにそのとおりで、グロテスク文様は、創作者の気まぐれとユーモア感覚がつくるものだと思います。


 上記以外の印象深い部分を引用すると、

ベンヤミンは『ベルリンの幼年時代』で、・・・病気で寝ていて、「・・・壁紙の菱形模様を何度も新しい組合わせに並べ変えてみたりした」・・・子どもたちがなにげないようなもの、微小なもののうちに、まなざしによって、無限に豊かな世界をくりひろげてゆく有様が見事に示されている。/p14

 子どもの頃、天井の節目や、目をつぶったときの瞼の裏の色模様で同じような経験をしたことを思い出しました。

中世の美術は宗教的な目的のためのものであり、ある意味ですべて実用芸術ともいえる。ルネッサンスにおいて、個人の、私的な表現としてのヒューマニスティックな美術が分化した。/p16

生きた形、たとえばパルメットなどの植物の形は、ケルトにおいてはその写実性を失って、ファンタスティックな曲線や渦巻に変わってしまう。しかし一方では、ケルト美術は、その線が純粋に形態的なものになって、生命力を失ってしまうことも恐れるのである。/p84

組むということと織るということはちがう。織るというのは経糸緯糸を直角交叉させることであり、組むというのは斜面交叉させることである。織物では経糸はずっと経糸のままであり、経糸緯糸はその役割を代えないが、組紐では経糸緯糸の区別がなく、斜めに交叉する。/p87

組紐文は奥行、すなわち第三次元を持った文様なのである。・・・上の紐によってかくれた部分が、切れているのではなく、その下でつながっていると思うのは、平面の組紐文に奥行を見ているからである。/p92

ここで〈見ること〉は決してカメラのようにレンズによって投影されたものではないという、視覚の根源的構造に触れているのである。/p94

カール・ケレーニは・・・アリアドネーの舞踊場がなぜクレタの迷宮伝説を生んだかについて、踊りがつくりだす軌跡が迷路のパターンをつくりだすとした。/p115

決して全体として見えないところの平面文様を、バード・アイを予想しているかのようにつくることは、日本の庭園がほとんど横からのパースであり、書割的であるのとは対照的である。・・・実際にはだれもそのように見ることのできない、神の視座のような理想的なパースペクティヴの視点によって見られるように/p238

装飾と装飾されるものとの関係・・・アランは・・・二つの規則をあげている。「第一の規則は、装飾は材料そのもののうちに捉えられ、あたかも材料のきめと硬さを一そう目立たせることを目的とするかのようでなければならぬことである。第二の規則は、装飾は決して材料の必然や石工の仕事を隠すようなことがあってはならぬことである。」/p283

 海野弘には、機能的デザインへの嫌悪が根底にあるようです。このアランの文章に対して、機能主義に従属する説だとして、過剰に反応し批判しています。