:Erckmann-Chatrian『L’œil invisible―Contes fantastique TomeⅡ』(エルクマン=シャトリアン『見えない眼―幻想物語集Ⅱ』)


Erckmann-Chatrian『L’œil invisible―Contes fantastique TomeⅡ』(L’ARBRE VENGEUR 2008年)
                                   
 エルクマン=シャトリアンの名前はずっと昔から聞いていましたが、作品はあまり訳されていないようです。調べてみると、この本のなかの「見えない眼」「人殺しのヴァイオリン」が、それぞれ『こわい話・気味のわるい話』(牧神社)、『イギリス恐怖小説傑作選』(ちくま文庫)に収められているようで、ほかに「謎のスケッチ」(『19世紀フランス幻想短編集』国書刊行会)、「降霊術師ハンス・ヴァインラント」(『フランス幻想文学傑作選2』白水社)、「魔女のたくらみ」(『ふしぎな足音』講談社)があるようです。

 『こわい話・気味のわるい話』『19世紀フランス幻想短編集』『フランス幻想文学傑作選2』は読んでいますが、エルクマン=シャトリアンのこれらの作品はあまり覚えておりませんでした。なにせずっと昔の話で。それにしても『イギリス恐怖小説傑作選』に載っているというのが面白い。イギリスのアンソロジーに訳されて載っていたのを勘違いされたんでしょうね。

 と書いたところで、四年ほど前に『エルクマン=シャトリアン怪奇幻想短編集』というのが出ているのを「プヒプヒ日記」で知り、何とか手に入れようとして果たせてないことを思い出しました。


 今回まとめて読んでみての印象は、なかなかの書き手だということです。どことなくアレクサンドル・デュマの筆致を思い起こさせます。ぐんぐんと興味をつないで引っ張っていく力。著者たちがアルザス出身ということからか、ドイツを舞台にした作品群ですが、「黒い森」の荒涼とした山の風景、月夜の光景はロマン的な情感たっぷりで文学的な香気も漂っています。

 とくにこの本の三分の二を占めている「狼狂フーグ伯」は古式ゆかしい恐怖譚。狼憑きの段階までで完全な狼男は出てきませんが、狼男ジャンルの恐らく古典となるものでしょう。デュマの『Les mille et un fantômes(千一幽霊譚)』の「カルパチアの山」「ブランコヴァンの城」「二人の兄弟」の連作との雰囲気の類似も感じられます。篠田知和基が『人狼変身譚』で、この作品を取り上げ、ユゴーの「アイスランドのハン」や、メリメの「ロキス」、デュマの「フォア伯の狩り」、レニエの「ヌアートル氏とフェルランド夫人の死」とともに、古代・中世から続く獣人伝説を語り継ぐものとして論じています。(この話の原話はアルザスの伝説「ニデックの狼」だそうです。) 
 また脇役に酒飲みの執事という滑稽な役割を配しているあたりは、ユーモア小説的な雰囲気も漂っています。この作品の170ページのうちの95ページ頃になって初めて、伯爵の狼憑きへの変貌が描かれますが、これには映画「ゴジラ」一作目でゴジラが前半登場しないのと同じく、何ごとが起こるのかと予感させながら、簡単には正体を見せず、緊迫感を持続させ話を盛り上げていく巧みさが感じられます。

 この本のもう一つの魅力は、挿絵です。Vincent Vanoli(ヴィンセント・ヴァノリ)という人の絵で、どことなくユーモアのある怪奇なタッチが物語の興趣を高めてくれました。来年はこの『幻想短編集Ⅱ』と同じシリーズの『幻想短編集Ⅰ』を読んでみることにします。

 各篇を簡単に紹介します(ネタバレ注意)。
◎L’ œil invisible(見えない眼)
古典的な恐怖譚の趣きが濃厚。部屋から垣間見た恐ろしい光景。それは旅籠に泊まった人が向かいの部屋の老婆に呪いをかけられて首を吊る姿だった。主人公は悪と対峙すべく旅籠へ乗り込み、向い合った窓同士で魂のバトルが繰り広げられる。お互いが相手に似せた人形を手に相手の動作を真似、ついに老婆に自ら首を吊らせる。催眠術の一種がトリックになっている。よぼよぼの老婆が家の中では階段を四段跳びに駆け上がるという場面は驚き。


○Les trois âmes(三つの魂)
マッドドクターもの。マブゼ博士の怪老窟のような怪しい街並みや屋根裏部屋が出てきたり、哲学徒間の神秘主義的な魂論のやり取りがあったり、雰囲気は最高。人間には、植物、動物、人間の三つの魂があることを証明するために、老婆を密室に閉じこめ断食させる哲学徒が登場する。主人公も閉じこめられるが無事助けられる。どうして主人公が窮地から脱出できたかの記述が欠落しているが、なまじ変なことを書くよりも賢明なのかもしれない。


○Le violon du pendu(吊首人のヴァイオリン)
音楽小説。タルティーニの「悪魔のトリル」の逸話に似ている。作曲家を目指すも霊感に恵まれない若者が、旅先で気の狂った娘と陰気な主人がいる不気味な旅籠に泊まる。その晩、ベッドに入ってから、主人の顔が旅の途中で見た吊るし首の男に似ていると気づいて、恐ろしくなる。深夜、吊るし首の男の骸骨が現われ壁にかかっているヴァイオリンを弾きはじめたが、そのあまりの幻想的な音色に、恐怖も忘れて恍惚となった。宿を出る時、吊るし首の男は旅籠の主人の息子で、気の狂った娘は許嫁だったことが分かる。旅から急ぎ帰った若者は、すぐ作曲を始めたのだった。骸骨の奏でる音の表現が素晴らしい。


◎Hugues-le-Loup(狼狂ウーグ伯)
ウーグ伯は毎年12月になると狼のような険しい表情になり吠え、主人公が医者としてその館に招かれる。怪しい老婆が館のまわりをうろつくとその症状が激しくなるという。そしてある夜主人公は、狼の皮を纏った伯爵が老婆とともに館を出て山中をさまよう姿を目撃する。いろいろ調べていくと古文書に「初代ウーグ伯の二番目の妻が狼の血をもたらした。子孫は幾世紀もの間森のなかで狼のように吠え続けるだろう。最初の妻が天使の姿で再来した時その呪いが解かれる」と書かれていた。山中の追跡の末老婆は死ぬ。そして「伯爵令嬢によって呪いが解かれることになるだろう。なぜなら伯爵令嬢が実は最初の妻の肖像画と生き写しだからだ」という言葉で終わる。