A・デュマ『王妃マルゴ』

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A・デュマ榊原晃三訳『王妃マルゴ 上・下』(河出文庫 1994年)

                                   

 奈良日仏協会のシネ・クラブで、シェロー監督『王妃マルゴ』を鑑賞するというので、ドイツ旅行の行き帰りの機中で原作を読んでみました。これまでデュマ作品は、フランス語で『Mille et un fantômes(1001幽霊譚)』、『Histoire d’un Mort racontée par lui-même(死者自らが語る話)』、『Les frères corses(コルシカの兄弟)』、『La main droite du sire de Giac et autres nouvelles(ジアック侯の右手ほか短編集』、翻訳では『赤い館の騎士』、『鉄仮面』などを読みましたが、本作もいかにもデュマらしい作品でした。

 

 物語の設定は次のようなものです。カトリックプロテスタントの間で抗争が続いていた16世紀のフランス王宮が舞台で、カトリックの国王シャルル9世の母親のカトリーヌ・ド・メディシスは、国王の妹マルゴとプロテスタントのナヴァール国王アンリとを政略結婚させる。ところが結婚式の日に、カトリック側がプロテスタントの招待客たちを皆殺しにするという事件が起こった(聖バルテレミーの虐殺)。占いではアンリが国を継ぐと出たので、カトリーヌはアンリでなくシャルルの弟のアンジュー公に王位を継がせようとし様々な陰謀を画策、シャルルの兄弟それぞれもいろんな思惑を持ちながら行動する。そこにプロテスタントカトリックの闘士たちが入り混じり、マルゴはじめ宮廷の女性たちとの恋愛を描きながら物語は展開する。

 

 デュマらしいというのは、ひとつは読者へのサービス精神から、面白くするために話を盛るということで、冒頭カトリックの闘士とプロテスタントの闘士が相部屋になってその後友情で結ばれるようになったり、カトリック宮廷の王妃の部屋のなかにプロテスタントの闘士が自由に出入りできたりと、荒唐無稽な話がたくさん出てきます。もうひとつは残酷趣味で、ほかの小説ではギロチンが活躍しますが、本作でも最後に首が切り落とされるなど血みどろの場面が数多くありました。さらに言えば、デュマの語りの面白さで、物事をストレートに言わない気の利いたしゃれたセリフ回しやユーモアに満ちた口調が本作でも魅力を発揮していました。

 

 映画を見終わっての感想は、原作と映画はほとんど別物ということです。シネ・クラブ解説者のピエール・シルヴェストリさんが指摘していたとおり、映画では、フェルメールなど16,17世紀のオランダ絵画と見まがうばかりの色彩感、ジェリコーの「メデューズ号の筏」のような裸体表現など視覚的な美しさに溢れ、またヨーロッパ民族音楽風の異国情緒溢れる音楽が印象的でした。シェローは映画と演劇の垣根を取り払おうとしたと言いますが、どう見ても演劇とは異なった映画ならではの作品だと思いました。大勢の群衆のいるシーンをカメラをパンさせて撮ったり、俳優の顔をクローズアップさせ克明な表情を描写するなど、映画の特性が存分に発揮されていました。

 

 原作と映画と異なる点は下記のようなところです。

①原作では、冒頭、宿屋でプロテスタントのモル伯爵とカトリックのココナス伯爵が同宿し賭けに興じる場面から、終盤の二人で処刑される場面まで、二人の友情が小説の大きな軸になっているが、映画ではそれがあまり感じられなかった。小説では、二人は剣の達人で英雄的な描かれ方をしているのが特徴で、また二人の関係がユーモアに満ちた筆致で描かれていたのに、映画ではそうした場面がなく残念だった。

②原作では、プロテスタントの司令官ド・ムーイ・ド・サンファルなど映画には出てこない登場人物もいて、カトリックプロテスタントの駆け引きがもっと複雑。映画では、カトリックプロテスタントの抗争を描くよりは、どちらかというとフランス王家の家族内部の相克を描くのに焦点を当てていた。またシャルル9世が馬鹿殿のような描かれ方をしているのに違和感があった。

③映画では、マルゴが夜仮面をつけて男を漁ったり、ソーヴ男爵夫人が口紅に塗られた毒で毒殺されたりする場面があったが、小説にはなく(と思う)、逆に小説にあったモル伯爵とココナス伯爵が大怪我から二人一緒に回復していく様子や、二人が捕まってからの脱走の画策やマルゴとの最後の接見は映画では描かれていなかった。これがあって初めて最後の処刑の場面が引き立ってくるのだが。

 

 映画と小説の違いは、小説の方が登場人物の多さ、せりふの多さ、ストーリーの複雑さなど、いろんな要素を盛り込めるのに対し、映画では作品の時間的な制約があり、かつビジュアルにする手間がかかるということでしょうか。