:ノディエの短篇集2冊

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篠田知和基編訳『ノディエ幻想短篇集』(岩波文庫 1991年)
シャルル・ノディエ篠田知和基訳『炉辺夜話集』(牧神社 1978年)


 ゴーチェやネルヴァルは学生時分からよく読んだほうですが、恥ずかしながらノディエはアンソロジーに入っていた「スマラ」「トリルビー」「文学における幻想的なものについて」ぐらいしか読んだことがありませんでした。手元に買いためていたノディエ本をしばらく読んでみようと思います。

 デュマが『La Femme au Collier de Velours(ビロードの首飾りの女)』で、アルスナル図書館のノディエのサロンを描き、ノディエが語ったものとしてこの物語を作っていましたが、実際にノディエは、サロンで若い文学者相手にいろんな物語を話していたようです。これは訳者が解説しているように、ノディエが警察の手を逃れて村里に身を寄せていたときに聞いた老婆の炉端語りによって培われた才能のようで、全篇、思わず話に釣りこまれていくような語りのうまさがあります。その分どこかおとぎ話的な雰囲気が漂っていることは否めませんが。


 いくつかの特徴があげられると思います。
①夢や狂気が巧みに取り入れられ、現実と交錯するところに幻想的味わいが生じていること。いちばんよく現われていたのが「スマラ(夜の霊)」の悪夢の世界。
②語りのうまさに通じるが、描写の迫真性は並のものではない。「夜の一時の幻」の骸骨同様の狂人の描写、「スマラ」の奇怪な亡霊たちの姿、「死人の谷」の夜の山中の恐ろしさなど。
③劇的な展開がみられること。「トリルビー」で女主人公のジャニーが絵画の覆いを取るとトリルビーの姿が現われる場面、「死人の谷」の山中の一軒家に迷い込んだ博士と馬喰の二人が繰り広げる会話など。
④ロマン派らしいピクチャレスクな自然描写。「トリルビー」で、湖から見る山やまの風景、その山頂の二つの岩の間から巨人が動き出すところ。
⑤これもロマン派的特徴だが、奇人変人のオンパレード。狂人、古本狂、幻視者、白痴。
⑥教育や知識に対する呪詛、その裏返しとして無垢な心を賛美する性向が感じられること。
⑦上記と矛盾するようだが、書物や古学への偏愛がにじみ出ているところ。


 『ノディエ幻想短篇集』には6篇が収められいずれも秀作ぞろいです。

○夜の一時の幻
思いつめた狂気の恐ろしさ。


◎スマラ(夜の霊)
西洋的百鬼夜行。SF的な宇宙観も見られる。主人公が自らの処刑場へ見物客から罵られながら行進する、その雰囲気はベルリオーズ幻想交響曲」第四楽章「断頭台への行進」を思わせる。


◎トリルビー―アーガイルの小妖精、スコットランド物語
ロマン派的香気高い作品。若干ハーレクイン・ロマンス風だが。「サファイア色の背中を日の光にまぶしいくらいにきらきら光らせている魚を遠い日本の海から持ってきた」(p74)という文章で、当時のフランスで日本の魚が結構知れわたっていたことがわかる。


○青靴下のジャン=フランソワ
賢すぎておかしなところのある奇人譚。


◎死人の谷
殺人事件が登場。密室的状況もある。シューケ先生とコラス・パプランの二人が狂言回しのように物語を急激に展開させるところが面白い。


◎ベアトリックス尼伝説
アナトール・フランス「聖母の曲芸師」やリラダン「修道女ナターリア」と同じく秘蹟譚。「文字がひきずってくる災禍、その堕落した多産な姉妹である印刷のもたらす災禍」(p202)という文字への呪詛には驚いた。


 『炉辺夜話集』には、5篇収められていましたが、うち「死人の谷」「ベアトリックス尼伝説」「夜の一時の幻」の3篇が『ノディエ幻想短篇集』と重なるので、実際読んだのは下記の2篇。

○フランシスク・コロンナ
同じくノディエが書いた「ビブリオマニア」と並ぶ古本譚。澁澤龍彦が『胡桃の中の世界』で、松枝到が「WAVE廃墟特集」で取り上げていた『ポルフィリオス狂恋夢』の刊本が素材になっていて、この本が書きあげられたいきさつが、ひとつの恋愛物語として紹介されている。書物譚としては面白いが、恋愛物語としては不自然さを感じる。「昔の本屋は廃れた。死ぬ寸前だ。だめになった。野蛮な時代が来たのよ」(p68)という文章が目に留まったが、昔も今も変わらないということか。


白痴のバチスト
パルシファルに見られるような聖なる愚か者への讃美。


 篠田知和基が「世界の文学の歴史の中にいまにいたるまで例を見ない奇書である実験的な作品」(『ノディエ幻想短篇集』「あとがき」p236)と紹介している『ボヘミヤの王と七つの城の物語』を読んでみたいものです。