:エミール・マール『ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで』


エミール・マール柳宗玄・荒木成子訳『ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで』(岩波文庫 1996年)


 岩波文庫の上下二冊本。これはエミール・マールが自身の四冊に及ぶ大部の著作を自ら一冊にまとめたものです。エミール・マールは、これまで読んだ中世美術の本には必ずその名前が引用されていたので、一度は読んでおきたいと思っておりました。大部の方も翻訳が出ているようですが、この本が手頃なのでまず読んでみました。

 大学者の本だし、岩波文庫青帯とくれば、堅くて難しい本かと思って警戒しておりましたが、まったく心配ご無用で、柳宗玄氏ら翻訳陣がよいせいもあってか文章も読み易く、文章と見比べられる写真図版が多く挿入され、また各章末の訳者による注釈が行き届いていて、素晴らしい本に仕上がっています。もちろんマール自身の優れた語り口―細部にこだわりながらも枝葉末節の議論に立ち入ることなく、厖大な知識を背景にしたスケールの大きな視野でヨーロッパの中世美術全体の秘密を解き明かし、その要点を簡明に教えてくれる―の素晴らしさによるものであるのは言うまでもありません。

 マールは直接には口にしておりませんが、文章のはしばしに感じられるのは、フランスへの愛と誇りで、「わがフランスの」とか「我が教会の」、「私たちの祖先の」「我が国の」とかいうフレーズがあちこちに出てきて、それが過剰なあまり時として他国に対しての優越を語る表現になっているようです。「イタリヤ、スペイン、ドイツ、イギリスのいずれの国においても、シャルトルに比肩しうるものはない(上巻p258)」とか、「他のヨーロッパ諸国ではこれほど高貴な死の感情を見出しえなかったことを認めよう。この点に関しては、イタリヤは私たちよりもずっと劣っている(下巻p186)」、「十三世紀においては、ドイツの優れて美しい墓像は我が国のものとほとんど変わるところがない。しかしつとに、封建制特有の傲慢さが胚胎し、膨れあがってゆくのが見られる(下巻p188)」といったあたり。またカトリックへの思い入れと、プロテスタンティズムへの反感も感じられました。

 私にとって魅力的に思えたのは、神秘主義に対する学識と共感が感じられたことです。上巻の「自然の鏡」や下巻の『ソロモンの雅歌』への言及他いたるところに表れています。「中世においては、思索するものにとって世界は象徴なのであった。世界は、・・・『御言葉によって現実化された神の考え』なのである。そうだとすれば、すべての存在は神の考えを秘めていることになる(上巻p162)」など。

 文章がとても美しく、時に詩的な表現が見られます。現物を見てもらうのがいちばんですので、長いですが二つ引用しておきます。
ペルシャは・・・色彩の秘法をも継いだ。ギリシャの方は、線の芸術の才能こそもっていたが、色彩の悦びは知らなかったようである。・・・ギリシャは心の気高いところに語りかけるが、ペルシャは眼を魅了する。ササン朝の壁掛けとそれを真似たビザンティンの壁掛けは、黄金の色彩であり火の色彩である。また時にはそれらは灰の色だが、ばら色の灰または青色の灰であり、その微妙な色調はまさに魔法である。太陽が没したあと西空に消えてゆく夢幻の色である。(上巻p116)
大聖堂は、野原のごとく森のごとく、それ自体の雰囲気、その香、その光、その明暗、その影をもっている。その大ばら窓は、太陽がその背後に沈む位置にあるが、夕方には太陽そのもののごとくに見え、それがすばらしい森林の外れに没してゆくかのようである。(上巻p253)

 この本を通読して、私が勝手に感じたことのいちばんは、われわれがキリスト教一神教と簡単に思い込んでいるのは間違いで、マリヤ、諸聖人、天使、聖アンナなどへのさまざまな信仰のヴァリエーションは、多神教的ギリシヤおよびケルト復権ではないかということです。東ヨーロッパや中東のみが激しい一神教を守っていて、南西ヨーロッパでは古来からの多神教の土壌がキリスト教を同化していったのではないでしょうか。


 マールが指摘している点をいくつか、簡単に紹介しますと、
聖堂の装飾に手本としたのは、蔵書の挿絵や聖史劇の舞台であること(p20〜48、下巻p204〜205)
サン・ドゥニ修道院の装飾がヨーロッパ全土に影響を与えたこと(p56〜57)
各教会がそれぞれの守護聖人を戴いて聖遺物を保持し、本山がそれに寛容だったこと(p67〜88)
十二世紀に描かれた怪物たちはオリエントの染織品にルーツがあること(p109〜121)
十三世紀の工匠たちは精神を形象化するのに巧みであったこと(p151〜154)
外典や黄金伝説その他世俗の物語などが教会の図像に幅広く影響していること(p202〜221)
当時は教会の建造にすべての才能が集中していた(p257〜258)以上上巻

十四世紀には、苦痛の表現という新しい図像が登場した(p48〜58)
美と力と晴朗さを尊ぶギリシャ的美意識にとって苦痛表現は卑しむべきものだった(p54〜55)
キリストの受難に続いて聖母の受難への信仰が生れた(p57〜64、p107〜114)
ペストの蔓延で諸聖人への信仰が深まった(p96〜106)
十四世紀頃から死を直接的に表現することが行なわれるようになったこと(p135〜152、p277〜281)
中世の墓石や墓像には老人の姿は描かれず死者はみな若いこと、家族とともに描かれるのが多いこと(p181〜193)
宗教改革への対抗として、教会美術にも、教皇や聖母の権威を高める表現や、秘蹟や殉教、法悦といった新しい主題が登場する(p225〜274)以上下巻。


 簡単にまとめ過ぎましたので、原文の味わいが消えてしまいました。陳謝。