:黒江光彦『フランス中世美術の旅』


黒江光彦『フランス中世美術の旅』(新潮選書 1982年)

                                   
 少し趣きを変えて、フランス中世に飛んでみました。タイトルに「旅」とあるように一種の旅行記ですが、中世の教会建築の美術的側面を分かりやすく解説してくれています。こういう本をソファで音楽を聴きながら読んでいるのが至福の時、まるで自分が旅行に出ているみたいです(本当に旅行するより気苦労がなくて楽しい)。

 著者は吉川逸治先生のもとで勉強された方らしく、これを書いた時はすでに絵画修復の仕事に従事されていて忙しく、十数年前の留学中に休暇を利用して教会をまわった時のことを、記録をもとに思い出しながら書いたもののようです。

 実際に自分が歩いた旅程を、電車の発着時刻までも書き入れながら、詳述しています。修道院は人里離れたところにあるので、バスを乗り継いで行ったり(テレビの「路線バスの旅」のよう、奇跡的に週2回しかないバスに乗れたりします)、この頃は、まだデジタルカメラもなく、露出やピントに気を使いながら重い三脚を持って走り回っている様子が大変そうです。「不調の写真機の調整のため眠れず(p104)」というような記述まであります。

 ようやく目的地に着いて遠くに鐘塔が見えても、「想いがつのってなかなかに近づけないという風に、私は丘の上をしばしさまよう(p115)」といった具合です。

 内容は、背景の宗教的な記述も交え、中世教会建築に関するかなり専門的な考察がちりばめられています。清貧と禁欲を説く聖ベルナールが、サン・ドニ修道院の華麗豪奢な趣味を牽制し、モワサックなどの回廊の柱頭彫刻などに見られる、醜い猿、荒々しい獅子、奇怪なケンタウロス、半獣神、有翼の虎、戦う兵士、角笛をふく猟人、一頭多身の怪物、多頭一身の怪物、獣の頭をした魚、前が馬で後が羊という怪物、有角の馬など、にぎわう図像表現を否定したという記述がありましたが(p123)、中世の教会においても、力を放出させ増殖させる美学と、力を中心に集める美学との対立があったことが分かって面白く思いました。


 他にいくつか教えられたのは(と言ってもあまりに私が知らなさすぎるということかも知れませんが)、
12世紀半ばすでに、王侯貴顕、聖職者に混じって、市民たちが大聖堂建設に情熱を燃やしていたこと(p23)、
ステンドグラスの物語は、下から上へ、左から右へと辿るものであること。そうすれば神秘的な光に導かれて、眼も心も上昇する (p57)、
サンチャゴ・デ・コンポステラがたいそうもてはやされたのは、キリスト教徒のイスラム教徒に対する橋頭堡であるという緊張感・危機感が背後にあったから(p72)、
プロスペル・メリメがフランス政府の古建造物の主任監督官として数多くの業績を残していること(p111)、
コンクのタンパンの浮彫彫刻は、パルテノン神殿の破風彫刻と同じく、もともと青や赤で塗り分けられていたこと(p172)、など。


 ジャン・ロランという人物が出てきて驚きました(p147)。ブルゴーニュ公の宮廷で宰相だったニコラ・ロランという人の息子と紹介されていましたが、広いフランスのことですから同姓同名というのはたくさんあるのでしょうね。