:フランス中世美術の本続く、吉川逸治『ロマネスク美術を索めて』

             
吉川逸治『ロマネスク美術を索めて』(美術出版社 1979年)


 黒江光彦の『フランス中世美術の旅』に触発されて、しばらくフランス中世美術に関する本を続けて読もうと思います。吉川逸治氏は黒江さんの大学時代の先生。『フランス中世美術の旅』にもしばしば登場しました。「あとがき」に、70歳を迎えるにあたって、これまでの中世美術に関する論文をまとめたとあるように、かなり幅広い内容で、若干専門的な論文もありましたが、概して一般向けに分かりやすく解説してくれていました。

 3部に別れていて、1部がサン・サヴァンの壁画を中心とした論文、2部が黙示録の美術とエミール・マール、バルトルシャイティスの学説の紹介、3部は東西美術の比較を主とした論文。地道な研究の積み重ねで謎が少しずつ解明されていく1部も面白かったが、西洋中世美術の全体像に言及した2部や、地域や時代を越えたスケールの大きな影響関係を語った3部のほうが読みごたえがありました。
 
 とりわけ印象に残ったのは、2部の「ロマネスク芸術に現われた『天使』『悪魔』及び『女性』」「ロマネスク彫刻の装飾文様的構成」の二篇の論文で、前者はエミール・マールの『フランスに於ける宗教芸術の研究』の一部を訳したもの。マールは持っているだけで読んだことがありませんでしたが、修道僧の心の内を想像し、悪魔(サタン)という概念がいつどうして現われどのように変遷していったかや、女性をどのように見たかを、いろんな例を引きながら語るその語り口が圧倒的に面白い。また吉川逸治氏の懇切丁寧な訳注が大変参考になりました。

 後者の「ロマネスク彫刻の装飾文様的構成」は、アンリ・フォションバルトルシャイティスの学説を簡単にまとめたもので分かりやすく紹介しています。バルトルシャイティスは一昨年読んだ『幻想の中世―ゴシック美術における古代と異国趣味』をまとめたもののようでしたが、さらに理解が深まりました。原典を読むのも大事だと思いますが、しっかりした解説を読むほうが理解が容易でかつ深くなるということもあり得ると感じました。

 2部の「黙示録と美術」「欧州中世芸術にあらはれたる『最後の審判』の図像」の二篇は、吉川逸治氏がマール先生にならって全体を俯瞰するような手法で書かれた論文で、なかなかの力作です。前者は、10世紀頃活発に描かれた「ベアトゥス写本挿絵」や西ヨーロッパに広まった黙示録図像を東方からの影響を考慮しながら丹念に辿るもの。後者は講演録なので語りかけ口調がとても分かりやすく、『最後の審判』にはマタイ伝系統と黙示録系統の二種類があり、西欧はマタイ伝、東欧は黙示録に拠った図像が多いこと、ロマネスク美術の怪奇性がゴシック美術にいたって排除されていった経緯などを語っています。

 3部では、「①東アジアの美術がギリシア仏教美術を通じて古代ギリシア・ローマの古典様式をうけついだこと、②それが東洋の美術の共通的な基礎になり、その上にさまざまの地方化が加えられ、時代色が加えられ発達してきたこと、③地方化民族化が強化されるあまり国際様式を解消させる方向に進んだので東洋固有のものと思われているものが、実はギリシア・ローマの古典様式に遡るものが多い」と指摘した「古代古典美術の伝承」や「ゲルマン民族の移動や地中海交通で古代西アジア系の唐草文様や動物文様が西ヨーロッパの写本装飾や建築装飾に採用され、後にはロマネスク彫刻の豊富な装飾文様のレパートリーを形成」したという「東西の中世美術における古代的なものと中世的なもの」、それに宗達光琳の「風神、雷神」とローマの平和祭壇の浮彫の「空気」と「水」を比較して論じたものが面白かった。

 他にユリウス・ランゲの論文を訳した「人間像の表現における『正面性』の法則について」は、たいへん奇抜で面白い着眼点で、興味ふかく読みました。簡単に言うと、西洋のギリシア以前や世界の原始美術、東方美術においては、人間を描く場合つねに正面や真横から描き、顔を45度斜めに描いたりするものがないことを指摘し、ギリシア美術において初めて、体操の描写を通じて捻転や動きの多用な人間の姿を描写できるようになり、これが西洋の美術の進展につながったというものです。かなり当たっているとは思いますが、西洋のリアリズムの眼から見たもので、その論調には、西洋以外を未開の地とみなす雰囲気が漂っていて、かなり横柄で差別的な論文だと感じました。

 吉川逸治氏自身はたいへん謙虚なお人柄のようで、「写真をとらせてもらって、喜んで帰った(p14)」とか、「古写本の装飾を見学するのは、非常に楽しい。・・・豪華な写本だと、静かに開く前に、しばし緊張してしまう(p19)」など、ストレートで無邪気な性格がうかがわれ、親しみを覚えます。サン・サヴァンの壁画の研究では、「会堂の床にねて、あおむけになって・・・眺めて時を過ごした(p11)」とありましたが、そういえば、弟子の黒江氏も同じようなことを書いていました(『フランス中世美術の旅』p102)。

 はっとさせられるような鋭い指摘もあちこちにちりばめられています。たとえば「まとまりよいパルメット形でさえ、主枝のまわりに蔓が生じ、内部にはまた小さなハート形が生れ、三葉形が生れてくる。あたかも、楽曲のフーガやヴァリエーションを聞いているかの如き(p319)」とか、「原始的文様が、新しい仏教的世界観の抽象志向のなかに取入れられることによって、新しい文様思考の展開を行なっているのであって、夢殿の観音像や玉虫厨子に一種の宇宙的生命の神秘を感じさせる役割を演じている(p319)」など。

 「写本研究の大家M・R・ジェームス(p146)」の論文について言及がありましたが、怪奇小説作家M・R・ジェイムズの別の一面を見ることができました。