:雑誌「Roman 13―Le Fantastique」(「小説 13号 幻想小説特集」)

                                   
Hubert Haddad他「Roman13―Le Fantastique」(Renaissance 1985年)
                                   
 初めてフランスの雑誌を通読しました。同人誌的な季刊雑誌らしく、この号に寄稿もしているFrançois Coupryという人が編集長。小説が9篇、評論が6篇、インタヴュー1篇。巻末に付録がついてましたが、これは少し読んだだけ、小さい字でぎっしり詰まっていることもあり、幻想小説と関係なさそうなので、飛ばしました。

 全体の印象を言えば、シュネデール『フランス幻想文学史』以降の知らない作家の作品に触れることができ、しかもそれがなかなかの逸品ぞろい。もっとも衝撃を受けたのは、小説ではHubert Haddad、François Teyssandierの二人、評論ではJacques Goimard。こんな感じの雑誌が最近出ているのであればぜひ読んでみたいと思いました。

 評論をまともに読むのも初めてですが、文章が抽象的になるとやはり難しい。下記に概略を紹介しますが、正確ではありませんので、ご承知おきください。
                                   
Le Fantastique malentendu(G.-O.Châteaureynaud)―誤解された幻想(G・O・シャトレイノー)評論。
幻想文学の世界では、悪を剥き出しに見せる風潮が蔓延し、いま華やかなSFも間もなく凋落するだろう。『モレルの発明』『アレフ』など少しの例外を除いて、幻想文学は今日曖昧なものになっていると、嘆きを吐露する。


Une déchirure soudaine...(Marcel Schneider)―突然の裂け目(マルセル・シュネデール)評論。
(『フランス幻想文学史』の序文、翻訳ありで省略)


◎Le secret de l’immortalité(Hubert Haddad)―不死の秘密(ユベール・アダ)小説。単語は易しいのに文章が難しい。
「時は残り思い出は過ぎる」「鏡に私の背後にいる老女が映っていたので振り返ると若い女性だった」というように、文章の細部にきらめきがある。昨晩見た夢を思い出しながら廃墟と化した町をさまよう作家。創作に悩んでいる。幼いころ住んでいた館とおぼしき建物に入り、そこで老女になったり娘になったり幼児になったりする女の化身に出会う。彼女は昔の思い出の女に似ている。銃が隠された書物、秘密の部屋、最後にその娘はピストル自殺をする。作家の創作の苦悩と夢のような彷徨とが呼応する謎めいた一篇。夢と現実が交錯するマルセル・ブリオンに似た印象で集中最高作。


○Le nez, l’écharpe et le diable(François Coupry)―鼻、スカーフ、悪魔(フランソワ・クープリ)評論。難しくてお手上げ。
「作家が神」である小説の創作原理から説きおこし、幻想小説は、19世紀では日常が基盤にあり、それが恐怖へと変貌するところに生まれたが、今世紀は怪物が主人公になる時代だと、シャトレイノーと同様の嘆きを吐露している。最後に現実も想像の力と密接なものだと主張している(ようだ)。「老人が不眠になるのは、もうすぐするといくらでも眠れるようになるからだ」という説明は面白い。


○Les nègres blanc, ou les fausses oppositions, entretien avec Gérard Klein―白色黒人、あるいは間違った対立(ジェラール・クラインとのインタヴュー)
まずリアリズム文学も所詮空想的なものと喝破し、それと対峙する空想的文学ジャンルの幻想文学とSFとを比較、幻想物語は現実から出発し突然世界が変質するのに対し、SFははじめから別世界にいるとする。次に文学史のなかで超自然が取り入れられるようになった経緯を語り、最後にSFが文学との比較で二流だとか言われてきたことに対して、SFも文学から生れたと、その独自性を語る。Gérard KleinはSF作家。


Le cirque de montagnes(Pierrette Fleutiaux)―山の圏谷(ピエレット・フルティオー)小説。何かよく分からなかった。
山の斜面から次々に降りてくる宇宙人のような相手と闘う。山の向こうの世界が気になる。抽象的なアレゴリックな物語にありがちな失敗作(だと思う)。


○Je repose en paix(François Coupry)―平和裡の眠り(フランソワ・クープリ)小説。
諧謔味を帯びた残酷小説。死者の眼で書いた物語。墓のなかで目覚めてから、抜け出して自宅を襲い妻と娘を殺す。逃げまどう召使たち。パトカーに取り囲まれるが、その時墓場から仲間が続々と出てくるのだ。死者の生者に対する革命の勃発を描いている。荒唐無稽だがよく書けている。最後はロメロのゾンビ映画を思わせた。


○Fente à tics, ou Fends, t’astiques?(Jean-Pierre Enard)―痙攣する裂け目、あるいは裂ける、マスターベーションする?(ジャン・ピエール・エナール)評論。
もともと文学は幻想の要素を持っている。作家が現実というものに迫ろうとすると現実は幻想的になるのだ。作品に「幻想」というレッテルを貼るのは、その作品が未熟な証拠だ。至極まっとうな説。この奇妙なタイトルは「ファンタティックかファンタスティック?」にかけた単なる語呂合わせ。


○Nuit capitale(Michel Hoëllard)―都市の夜(ミシェル・オエラール)小説だが、演劇の要素が濃厚。物語自体は断片的で混乱を極めよく分からなかった。
野外演劇で、一人の女性が墓場の横臥像の前で嘆いている場面、次に部屋で横たわった男に女が縋っている場面が示されるが、横たわった男に扮した役者は本当に殺されていた。その女の部屋には若い頃婚約者の墓の前で嘆く場面を演じたポスターが貼ってある。そして日記にはどうやら男を殺したと告白するような文面が。演劇、日記、伝説などいろんな要素を取り入れているのが面白い。また横臥像のある墓の前に跪く女のイメージが、演劇の二場面と、ポスター、写真に反復されるところが魅力的。最後に伝説が引用されるが、その一部分が伏線として示されるのもなかなかの技巧だ。


○Les pouvoirs du fantastique(Rafael Pividal)―幻想の力(ラファエル・ピヴィダル)評論。
存在しないものが出現するのが幻想だと前置きしてから、キリスト教の奇蹟、隠された女性性器も幻想と断じ、さらに欠如を示すものが怪物になると論じて、切断された手が襲う物語などを縦横無尽に語っている。


◎Essuie mon front, Lily Miracle!( G.-O.Châteaureynaud)―額を拭いてくれ、リリー・ミラクル!(G・O・シャトレイノー)小説。
コミックタッチだと思っていたら、最後は悲しい話だった。しがない古本屋稼業の主人公は妻が女優になって家を出て以来、癌の妄想にとらわれたり悪夢を見るようになった。その夢も暗闇をさまようところから次第に劇場に足を踏み入れる夢へと変わり、そこでまた殴られる悪夢を見るが妻と子どもに介抱される。体が弱り死を迎える前に、現実に妻と子どもが見舞いに来て夢の再現をするのだった。夢が日に日に成長していくというところが幻想的。


◎In memoriam(Bernard Loesel)―追悼録(ベルナール・レーゼル)小説。
世界の各地を舞台にし陰惨な殺人をテーマにした人気作家が、ある日、自分の作品がことごとく実現していたことを知る。恐ろしくなって幸福に終わる物語を書くが不評。再度転じてラングーン行きの飛行機がハイジャックされて墜落するという物語を書き終わった時、編集長からラングーンへの出張命令が出たのだった。物語と現実が交錯する話。語り方もなかなか巧み。


◎Mémoire de la terre(François Teyssandier)―大地の記憶(フランソワ・ティサンディエ)小説。
主人公はジャングルの洞窟のなかで昔の僧が書いた戦士についての本を読んでいる。「洞窟の壁に虫が這っている」という記述を皮切りに、馬に乗った裸族とケンタウロスの戦いなど、読んでいる本と同じことが次々に身のまわりで起って行き、最後は、主人公が死んだように自分も虫に刺されて死ぬ。現実と読み物が交錯した世界が、植物や動物が息づくジャングルの圧倒的な描写とともに語られる。


○Trois messages(Rafael Pividal)―三つのメッセージ(ラファエル・ピヴィダル)小説。
知恵おくれの子どもが砂浜で拾ってくるのは、いつも遠くで単身赴任している父親からのメッセージだった。初めは瓶の中の手紙「双眼鏡で見てるよ」、次に伝書鳩「溺れるから助けて」、最後に濡れた絵葉書で「溺れちゃった」というものだった。死の予兆が子どもには敏感に伝わるが、母親はとりあわないというやり取りが続いて、最後は現実に。


◎Le fantastique dans ROMAN(Jacques Goimard)―小説の中の幻想(ジャック・ゴワマール)評論。
この雑誌に寄せられた5篇の小説を題材に、現代の幻想小説のあり方を幻想、奇妙さ、SF、の三つのタイプに分け整理。現代の幻想作品では、古典的幻想小説の約束事が守られているものもあるが(「額を拭いてくれ、Lily」)、崩れているものもあり(「三つのメッセージ」)、あるものは詩的小説に近い(「不死の秘密」)と整理。続けて奇妙な小説を他と分つものは、「アミナダブ」に見られるような意味の欠如だとし、「山の圏谷」がそれに近いとしている。次にエントロピー拡大の方向に行く幻想小説や奇妙な小説と異なり、SFはネゲントロピーの方向に行くものだとして「平和裡の眠り」をその例として説明している。「アミナダブ」を読んでなかったことを思い出したが、これはマルセル・ブリオンに近いものではないのか。ゴワマールはSF作家のようだ。


La grande occultation(Pierre-Robert Leclercq)―大いなる隠蔽(ピエール・ロベール・ルクル?)小説。
主人公が行きつけの図書館で本を手に取ってみるとページが真っ白になっていた。まわりでも、新聞の一部の文字が消えたり、芝居で声が聞こえなかったり、映画の言葉が消えたりしている。本の場合はどうやら引用部分が消えるようだ。遺跡からも文字が消え、神の言葉も消えた。国でも委員会を作って調べるがなかなか真相が解明できない。最後に主人公は電報を見ていて、生きている人の文字は残るという法則を発見した。言葉が消えるという不自然な状況を扱った一種の思弁的小説。別の秩序が侵食してくるという意味では、Goimardの言うSFのジャンルに入るものだろう。2000人もの専門委員会が簡単な法則を見つけることができなかったというのは不自然、物語にもあまり説得力はなかった。