:MARCEL SCHNEIDER『LE GUERRIER DE PIERRE』(マルセル・シュネデール『石の戦士』)


MARCEL SCHNEIDER『LE GUERRIER DE PIERRE』(BERNARD GRASSET 1969年)


 シュネデールの小説を読むのは、『LE CHASSEUR VERT』(2010年3月10日記事)、『LES DEUX MIRROIRS』(2012年3月16日記事)以来これで3冊目。この作品は、シュネデールの数ある小説作品の中で、先日読んだバロニアンの本や、自ら書いた『フランス幻想文学史』のなかでも取り上げられているので、幻想的作品の代表作だろうと期待して読みました。が正直期待外れ。

 カイヨワから「私が驚異と呼ぶものを、あなたが幻想と呼ぶ」と言われたと、『フランス幻想文学史』に書いてあったとおり、幻想というより寓話のような雰囲気があります。起こりそうもないことが簡単に起こり、それを自然体のように書いています。

 まず、簡単にこの物語の全容を紹介しますと:語り手は、崖の上の砦の町の記録係の男で、生まれつき足と肩が歪んでいる。崖下は峡谷で、石の戦士や鬼、それにまだ形になる前の奇怪な石がごろごろしている。噂では、峡谷の向こう側は別世界で、石像はその国を守る戦士たちらしい。実際に、語り手は雷に撃たれた石像が叫びながら武器を振り回すのを見たりする。聖ヨハネ祭の夜に、小さい頃からの友人クノが崖下で石像に踏まれて死んでいるのを発見、傍らに妻のジヴァが寄り添っていた。実は主人公はずっとクノに虐められ隷従を強いられて来たので、内心ホッとする。

 町の領主は司教とともに、クノの死の原因を探ろうとジヴァを尋問する。尋問後司教は言う。「ジヴァは異教を奉じる魔女で、死後石像のなかで永遠の生を得ることができると信じている。放っておくと異教が蔓延しキリスト教は滅びる」と。語り手は砦の文書館に駐在することになり、そこでジヴァから「クノのプレゼントよ」と松ぼっくりを渡される。独りになって松ぼっくりを撫ぜていると、松ぼっくりが歌い出し、クノの霊が眼前に蘇ってきた。クノは君を虐めたのも親愛の情ゆえだったと言い、ジヴァに殺されたと告白、松ぼっくりを手に別世界にいる自分を救いに来てほしいと嘆願する。語り手はクノの救済と、司教の命じる異教との対決の間に引き裂かれる。

 これはまさしくファンタジーの構造をしています。神と悪の対立、魔力を持ったもの(ここでは松ぼっくり)に導かれること、力の弱い者が目覚めて冒険に旅立つことなど。神と悪魔に関する神学問答のような対話も出てきます。結末では、意に反して、悪が勝利を収める物語になっていますが。悪を嫌悪し、神の力にすがろうとしながらも、悪の力に抗いがたく引き寄せられていく主人公の苦悶がテーマでしょうか。

 同じく幻想作家であり、ともにドイツ・ロマン派の影響が色濃いと言われ、また多彩なジャンルの評論活動をしているので、マルセル・ブリヨンとよく比較されますが、資質が異なるような気がします。ブリヨンが夜の彷徨に代表されるような一人称的な自己探求的な幻想を描いているのに対して、シュネデールは二人称的というか、悪魔的な人物など自分以外の対立する存在が登場して、その間に幻想が展開しているように思います。また主人公自体も心のなかでアンビバレントな感情に分裂する場面がいくつかあります。①クノに対する恐れと愛情、②石像に対する嫌悪と崇拝、③女性に対する欲情と諦め、④学校の授業に対する楽しさと苦しさ。もうひとつシュネデールのブリヨンと違った特徴は、前に読んだ2作にも見られたように、幼いころの体験を執拗に語っている点でしょうか。

 誤植が多く、文字(とくにn)がひっくり返っていたり、ひどいのは1頁分まるまる逆さまになっているところがありました。