:Marcel Brion『Les miroirs et les gouffres』(マルセル・ブリヨン『鏡と深淵』)

                                   
Marcel Brion『Les miroirs et les gouffres』(Albin Michel 1968年)

                                   
 昨年末から2回続きで翻訳を参照しながらのフランス書読書でしたが、今回は和訳を参照できなかったので、いい加減な読みのままになってしまいました。難しいところは適当に想像で辻褄をあわせながら読み進んでいったので、誤解しているのではという不安が残っています。難しいところで立ちどまってしまったらそのまま沈没してしまうような気がして。

 「鏡と深淵」というタイトルですが、内容との関係がよく分かりません。たしかに深淵は断崖や火山口、海の中の深淵などの形でいくつか出てきますが、鏡は鏡の夢を見る一ヶ所だけ。それはこんな夢です。鏡の崖にしがみついてる、その鏡には自分の昔の顔が写っており何か喋っている、鏡の裏側からの声かと思い、鏡の裂け目に手を突っ込んで幕を開くようにこじ開けたところで全身が割目に吸いこまれるような恐怖を覚え、そして氷が割れる音がして目が覚めた。それ以来鏡恐怖症になったと告白します。この鏡も一種の深淵なんでしょう。

 物語の骨格は次のようなものです。ある国の皇子が、宇宙の開闢を目に見えるように描写するwerner教授のもとで鉱物を勉強し将来跡継ぎと目されていた。ところが水晶のなかに閉じこめられる幻覚に襲われ鉱物への恐怖を抱くと同時に、その時温かい手で救い出してくれた女性を探索するために、勉学を投げ打ち放浪の旅に出る。いく人かの女性との出会いを経て国へ戻ってきたが、Wernerは皇子に遺言を残して死んでいた。皇子は丘に穴を穿って造らせた部屋へ籠りそこで女性の幻想を見る。

 この骨格はそんなに重要ではなく、その部分部分の仕立てに意味があるんだと思います。女性の探索の場面では、はじめの女性とは断崖のふもとの浜辺で見かけ、彼女を泳いで追いかけもうすぐ届くというところで深淵に飲まれてしまいます。二人目はある旅籠で紛れ込んだ陽気なダンスパーティにいた女性、三人目はある館で何百年もの時を隔てて出会った女幽霊、四人目は田舎のオペラ劇場の歌姫、この女性は国へ連れて帰ります。五人目は父の温室で植物になった皇子に優しく触れてきた女性、六人目は侍従の妻で、神話を題材にした昔の刺繍が飾ってある祖母の部屋で密会します。そして最後はマリア様のような赤子を抱いた女性の幻想。

 おそろしく緊密な幻想がちりばめられた小説です。ブリヨンを読んだ感想では何度も同じことを書くようですが、読んでいる間、作者のつくる詩的雰囲気の中にどっぷりと浸かった印象。次から次へと幻想が展開し、ブリヨン好みの世界が豊かに描かれます。

 それは、鉱山のなかで見せられる鉱山発掘のジオラマ、塔や仏塔、ピラミッド、オベリスクが建つ叔父の庭、火山口の奥深く降りる探索、地中探検で突然湖に出た驚愕(ヴェルヌ『地底探検』を思わせる)、鷲の巣山への登攀、海中の深淵に落ちていく体験、壁の中に隠し泉があったり貝や珍しい石や嵌めこみの鏡が顔を造型している城館(ミュンヘンレジデンツを思わせる)、食虫植物のある温室、平原で草を食んでいた白馬の群れが谷へ降りようとして途中で大理石に変身したという狂馬の山脈など。

 皇子が鉱石を見たときの印象を語る場面は、大きさの基準が消えて鉱石のなかを旅するような描写で、難解だが蠱惑的です。鉱石の中の細かな模様に行ったことのない地方や夢に見たことのある景色を見、褐鉄鉱を手にして耳に当てれば波の音や遠くの雷の音が聞こえるように思い、緑簾石を見ては暑さの中で震えている昆虫の羽根を思い出したりします。

 読み進むにつれ、いろんな語り口に出会います。冒頭しばらくは神話的な抽象的な物語を語る口調(開高健「流亡記」のような)。生い立ちを語る過程で神への信仰の懐疑を述べる場面は宗教的な雰囲気(マルセル・シュネーデルの自伝的小説を思わせる)。地中探検や山登りの場面では冒険SF小説。館の中で誰にも見えない女性が現われるところは幽霊譚。全体的にはファンタジー、お伽噺的な気分が濃厚です。

 弱い面をあげるとすると、ひとつは幻想に終始していて現実感が希薄ということ。個々の幻想がはじめにあってそれを並べたという印象があり、ドラマティックな物語の起伏に欠けるというところがあります。うつろいやすい幻想と、筋立ての中に一瞬の緊張を要求するドラマは両立し難いものなのでしょうか。