Marcel Brion『L’ermite au masque de miroir』(マルセル・ブリヨン『鏡面の隠者』)


Marcel Brion『L’ermite au masque de miroir』(Albin Michel 1982年)

                                   
 前回読んだ『Le Journal du visiteur(訪問者の日記)』よりさらに晩年の作。RomanでもRécitでもなく、Capriccioと銘うたれているとおり、脈絡が茫洋としたものになっています。『Le Journal du visiteur』にもその傾向がありましたが、今回はさらにひどくなっていました。語りの時間を前後させたり、いちど語ったことを微妙に変えて繰り返したり、会話の中に入れ子細工のように挿話をちりばめたりして、それらの断片をモザイクのように組み合わせていく語り口で、これはヌーヴォーロマンの悪しき影響でしょうか。文章はどんどん難しくなって、ほとんど散文詩のようになっているところもありました。

 隠者の「鏡面」というのは、目と口だけ開口部のあるガラスの兜で、額や頬の部分が鏡になっていることを言ったものです。松林などまわりの風景を映していて、相対すると自分の顔が見えて話しにくい。複雑なのは、「自分の考えが鏡面に反射していないか読み取ったが、それがどういう仕掛けか、私の心を読み取った隠者の頭の中を映しているもののように思えた」(p51)という心を映す性格があるところです。また「鏡の顔の隠者というのは幻想小説のタイトルにぴったり」(p18)というように自己言及しているところも面白い。

 語り手が女友だちと見世物市の小屋を訪れるところから始まり、小人が運転する橇に乗っていろいろ見物したあと隠者の庵に行くと、そこに、鏡面の隠者とその友人の洞窟探検家がいて、そこで二人のそれぞれの島と洞窟への偏愛と冒険が語られます。その後語り手たちは、庵を離れて近所を回遊し、最後に洞窟の入り口で再会した洞窟探検家からまた話を聞くというのが大枠となっています。その合間に、からくり時計の職人の話や、石像が動き出す話、一角獣を追い求めるうちにタピストリーの中に入って行方知れずになった男の話、ある深淵愛好家が最後に砂漠の虚無に憧れて白骨化する話などが挿まれるという構図になっています。前後する話を単純に一本化して要約しますと、

隠者は、子どもの頃、庭にあった池の真中の噴水によじ登ろうとしたことから、島への偏愛が始まり、その後サーカスの空中ブランコに島を発見し、夜そのブランコに登るためにサーカスについて回ったりしたが、長じて、古い海図を頼りに、世界中のありとあらゆる知られざる島へ冒険した。最後に辿り着いたイースター島で、神も死ぬことを知り、また未開民族の伝説に感銘を受けて以後、実際の島には興味がなくなり、「さ迷える島」、「夢の国」、「死の島」を追い求めるようになる。
洞窟探検家は、子どもの頃石が好きで、あまりに小石ばかり集めるので、親が心配して紅玉髄を与えたが、その瑪瑙の中には蕾に見入る少女の姿があった。親に禁じられていた洞窟に入ったとき師と出会ったことから、地中への興味が湧く。また一角獣を見たことがあり、その姿を地下に追い求めようとする。が本当は、神の居るところを探してるんだと告白する。実際の洞窟では迷ったことがないのに、見世物市の地下で初めて道に迷ったという。
洞窟探検家は、話の途中でちょっと散歩をしてくるという感じで出て行ったまま行方知れずとなり、鏡面の隠者は、ある日庵で、骨と皮ばかりの両手で机の上の島の模型を抱きかかえたまま、ミイラになっているのを発見された。

 
 全体を通して、不思議な挿話の連続とも言えますが、それらに共通する要素のひとつに、自動人形への嗜好があるように思います。かつてフィリップ善良公の時代、庭に自動人形の隠者がいて、散歩で出会った人にお辞儀をし、金属音の声で名前や素性を問うた後、頷きながらぎこちなく去って行ったという話が語られます。また、語り手と女友だちは、山小屋でからくり時計を見ますが、それは「鐘が打つたびに、袋を背負ったロバが一頭ずつ風車小屋の中に入り、釣り人の釣った魚が跳ねる」というもので、作った職人が意図していないのに、30分ごとに釣り人が勝手に魚を釣ろうとするというおまけまでついています。その職人は、また洞窟探検家が迷ったという見世物市の地下に、ミニチュアサイズの銀鉱を再現しており、それは「時が告げると、ある者は荷車を押し、ある者は岩を削り、籠がロープに吊り下げられる」という巧みな細工だったと言います。

 この小説でも『Le Journal du visiteur』と同様、石像が重要な役割を担っていて、横たわっていた女神像が動き出す場面がありましたが、動く石像も自動人形と近しい存在と言えるでしょう。語り手の女友だちはまた、語り手が幼い頃からの憧れだった教会の石像ウタ伯爵夫人が動き出したような存在です。

 もうひとつは、中国の「夢の石」(p36)や古い絵(p55)、「幸福の島」(蓬莱山のことか?)(p144)のことや、日本の黒子(p52)への言及があるように、東洋的なものへの嗜好が感じられたことです。ブリヨンは西洋の思考に限界を感じ、自身も修道僧や禅僧の修業への憧れを持っていたように思えます。この小説は、ブリヨンの求道的な精神が強く表れた作品と言えるでしょう。

 ところどころに禅問答的あるいは『星の王子さま』風の面白い言葉がちりばめられていました。

“Je suis venu pour oublier”“Pour oublier quoi?”“J’ai oublié”.(「忘れるためにやって来た」「何を」「それも忘れた」)(p75)

si tu ne trouves pas la chose que tu cherches, une autre chose te paiera tes efforts. L’essentiel est de chercher.(もし目的の物が見つからなくても他の発見があるだろう、要は探すことが大事だ)(p103)

On ne reconnaîtrait pas les véritables si on ne se déviait quelque temps sur des routes fausses.(道を間違わなければ真実には到達できないんだ)(p155)

on ne perd jamais ce que l’on a perdu.(失ったものは決してもう失えない)(p155)

la licorne…“Elle existe, puisque je la chercher”.(一角獣はいるんだ。私が探している限りはね)(p178)。

(訳が違ってるかもしれませんが、ご容赦を)。