Frédérick Tristan『Dieu, l’Univers et madame Berthe』(フレデリック・トリスタン『神と宇宙とベルト夫人』)


Frédérick Tristan『Dieu, l’Univers et madame Berthe』(FAYARD 2002年)


 10年ほど前のパリ古本ツアーで、ジベール・ジョゼフ書店で買ったもの。フレデリック・トリスタンを読むのは初めて。たぶんトリスタン作品は一篇も翻訳が出てないはずです。名前を知ったのは、いつものようにマルセル・シュネデールの『フランス幻想文学史』で、奇異の天使に導かれた現代の幻想作家として紹介されていました。今年は、ノエル・ドゥヴォーに次いで、私の愛好作家リストにまた一人追加することができました。

 裏表紙の惹句がとても面白そうに書かれていましたが、期待にたがわず、強烈な作品でした。読み終えた後、学生時代に「ドグラ・マグラ」を読んだときと似て、頭がくらくらする感じになりました。枠物語、ほら咄、探索物語、冒険譚、いろんな要素がありますが、ようは想像力で何でもありの世界。第1章の最後のところで度肝を抜かれ、その後一気に物語に引き込まれてしまいました。高齢のベルト夫人が喋りながら扇で自分に風を送るたびに、化粧が取れ、眉毛が剥がれ、顎と鼻が落ちて、最後は服を着た骸骨になる場面です。

 そうした細部の面白さ抜きに作品は語れないと思うので要約は意味がないと知りつつ、少し長くなりますが細切れにして紹介しますと(もちろんネタバレ注意)、
①語り手ショーズは作家で、小説の材料になるかもしれないという期待もあり、謎の富豪女ベルト夫人のパーティに、友人の知り合いクララのつてで入り込むが、そこで続々と奇矯な人物らに出会う。

②ベルト夫人の真相を知ろうとクララの家を訪ね、バーで、パリ・コミューンを讃美するカフェ「強者の軍隊」で育ったという彼女の幼い頃の話を聞くが、そこへパーティ参加者のひとりベルトラムが乱入してきて、クララは逃げ出す。

③ベルトラムの話では、ベルト夫人のところでクララがオークションに出品され、自分が財産を投げうってクララを競り落としたからわしのものだと言う。クララが銀行家フルガンスの愛人だった女優モードとレスビアンの関係にあったが、彼女の紹介でベルト夫人を知り、オークションに出ることにしたらしい。

④クララが出演しているキャバレーへ行って彼女から真相を聞くと、オークションもモードも知らないが、奇術師フルガンスは知っていて、一時弟子だったと言う。フルガンスの家で見た未来を占う器械の話を聞く。フルガンスはクララを占った結果を見たあと自殺したという。

⑤ベルト夫人から呼ばれて、住み込み報酬付きでベルト夫人の語る物語を筆記するように頼まれる。夫人には三人の養女が居て、その一人から、夫人の夫フルガンスの書いた小説の断片を見せられる。そこには、ウエストミンスター寺院の地下納骨堂にある別次元のロンドンに行ける窓のことが書かれていた。

⑥ベルト夫人の話は自らの生涯を辿るもので、天才的な子ども時代に次いで、夫フルガンスがアベルコンブリの名で書いた小説が数々の文学賞を取り、夫とともに世界中を旅したことが誇大妄想的に語られる。養女の一人から、クララとベルトラムの一件は、アベルコンブリの小説の一節を演じているだけと告げられる。

⑦館の3階で出会ったアニバルという男から、自分もクララのオークションに参加したこと、「強者の軍隊」で育ったこと、モードという女優に恋をしていて5階のオペラ劇場で会ったことを聞かされ、5階へ行ってみた。エレベータを降りると、そこはパリの街中で、歩いていると「強者の軍隊」があり、中に入ると店主から熱烈に歓迎され、客たちに孫だと紹介される。

⑧クララに会い、夫人からの明日12時33分に来るようにとの伝言を伝えた後、オークションの一件を質すと、自分たちはアベルコンブリの小説を演じてるだけと言われる。

⑨翌日、夫人に電動カートを運転するよう命じられ5階までエレベータで上がると、そこは駅の構内だったが、人々は半世紀前の服装をしている。夫人は1922年6月4日のパリだと言う。12時33分に駅にオリエンタル・エクスプレスが到着し、ベルトラム扮するイマノヴィチ皇子が降りると、クララ扮するスナヴィア伯爵夫人が近寄って銃を取り出し暗殺する。夫人は「カット!」と叫ぶと、倒れていたベルトラムが立ち上がった。その後、語り手の私が1階まで降りると、庭がありプールがあって、養女たちが泳いでいた。プールサイドでパンチを飲んでいるうちに寝込んでしまう。

⑩またクララを問い詰めると、フルガンスと夫人とともに船で航海したときの日誌があると見せてくれる。そこには、古代の遺跡のある島に上陸すると、その島が蛸のように動き出して這う這うの体で逃げ出したことが書かれていた。

⑪その夜眠れなくなって、図書室に行き、アベルコンブリの小説の一つを読んでみる。そこへクララが現われたので、日誌の件を尋ねると、船に乗ったこともないし日誌も書いていないと言う。パンチを飲んで夢を見ていたのか。

⑫ベルト夫人は今度は、二番目の夫ラスタパンの話を始め、ラスタパンの生誕のいきさつ、夫人との出会いの場面を再現した絵を見せられる。

⑬クララが失踪したので、夫人にクララのことを聞くと、クララは男だと言う。証拠を見せてやると、眼鏡のついた帽子を被らせられると、まるで現実のような立体映画だった。そこには自分とクララとのやり取りが正確に再現されていた。記憶を現実化する器械だと言う。続けて見ていると、クララのショーの場面があり、服を脱ぐと男だった。クララが「強者の軍隊」で育ったというのも、彼女が捏造された記憶をもとに語ったものだと言う。

⑭養女の一人から、ベルト夫人の館はカレイドスコープのように変幻するが、それは三番目の夫リュブデ将軍が設計したものという話を聞く。

⑮5階へ行こうとして階段を延々と上って出たところは何と1階だった。そこで養女の一人と会い、今晩パーティがあって、サーカスと大食い競争と詩のコンクールがあることを知る。

⑯パーティで女優のモードと出会い、クララが「強者の軍隊」の前で暴漢に襲われて死んだことを告げられる。それも私が初めてクララと出会ったときより前のことだと言う。

⑰サーカスが始まったとき、アニバルに誘われ5階へ一緒に行く。またパリの街中だった。「強者の軍隊」へ行こうと歩くと、なんとベルト夫人の館の1階玄関の前に出る。中へ入ると、サーカスが始まっていて、フルガンスが奇術をしていた。大箱の中に女が寝ていて、布を被せすぐ取り去ると女は消え、舞台袖からその女が歩いてきた。よく見るとクララだった。猿に妨害されもたつきながら楽屋に行ったが、クララは帰ったあと。

⑱また館を出て、さっき出てきた5階のエレベータから1階へ降りると、サーカスが続いていた。ラスタパンの奇術に続き、リュブデ将軍の奇術が始まった。アシカが道化に変身しさらに猿となる手品を見て、もうたくさんだ!と奇術師の前に詰め寄ると、ロバに変身させられる。袖に逃げ込むと元へ戻っていた。

⑲詩のコンクールが始まり、次々に詩が読み上げられるが、アベルコンブリが詩を読んだところで、夫人が「優勝!」と叫び、コンクールは終了した。毎年同じことが繰り返されているという。

⑳夫人に車を運転するよう言われ、三人の夫しか入ったことがないという青銅の門に入ると、テラスがあり、そこからニューヨークが一望できた。反対側には赤の広場、緑の部屋には北京があり、今からヴェニスに連れて行ってあげると言う。

㉑白衣を着た三人の天使が見守るなか船に乗り込むが、葬送曲が流れるなか船は沈んでしまう。気がつくと、プールサイドで眠りこけていた。夫人に呼ばれて行って、船に乗る夢を見ていたと言うと、夢じゃない、実際私が死んだんだからと言われ、唖然とする。

㉒夫人が居眠りしている隙に、図書室でアベルコンブリの作品を読む。アイルランドの島に住む魔術師を訪れる話で、乗り手の居ない馬が整列し行進する庭を通り案内されると、魔術師が大掛かりな手品を披露する。部屋が狭くなったあと広くなり、地平線から軍隊が埃を挙げて迫って来たり、滝が流れ恐竜が跋扈した。また元に戻ると次ぎに若い女性が現われた。船に戻って振り返ると屋敷はなかったという物語。本を閉じ、ベルト夫人の部屋に戻ろうとして扉を開くと、そこは乗り手の居ない馬が整列し行進する庭だった。

㉓クララを探そうと、今度は1階の正面玄関からパリの街へ戻った。彼女の家に行くと1週間前に引っ越しをしていて、「強者の軍隊」へ行くと、クララはベルト夫人の館に居るだろうと言う。最初にクララを紹介してくれた友人のもとへ行き、一部始終を話すと心配そうな顔をして病院へ行けと言う。

㉔ベルト夫人から、クララは地下に居ると言われ、大ぼらの自慢話が続いたあと、ついて来いと命じられ、地下に降りていくと、下がるにつれ夫人は皺が取れ次第に若くなり、最後はとてつもない美人となり服を脱いだ。目を覚ますと、醜怪な老ベルト夫人の膝の上に頭を置いて寝ていた。

㉕ベルトラムが興奮して、ベルト夫人の真実の生涯を調べたと報告しに来たが、その話を聞いているうちに、語り手の私も誇大妄想的に自分の生涯を語り出す。自分はベルト夫人とフルガンスの子どもだと言うのだ。

㉖その勢いで自分の部屋に戻ると、ニューヨークが見渡せるテラスがあり、目の前に若い美人姿のベルト夫人がいて、今は1907年6月22日という。彼女は私の胸に顔を埋め、キスをして二人でダンスをする。と、また目が覚めて、目の前に醜悪な老夫人が居た。そこで夫人と自らの出自に関する誇大妄想合戦を繰り広げる。

地震が起こり、館にサイレンが鳴り響き、火の手があがる。階段は焔に包まれ、養女や客たちもみんな逃げだす。語り手の私はひとりクララを探そうと地下に降りていくと、洞窟がありその奥には空と海が広がっていた。

㉘白衣を着た3人の天使が居たので、館が地震で火事になったと告げると、3人は顔を見合わせ、とにかく休養が必要だと、館の上に連れて行かれる。館は何事もなかったかのように元通りになっていた。少し狭い部屋だったが、養女たちも居て看護婦のように丁寧に扱ってくれる。ベルトラムが医師の姿をして現われ、冒険譚を書き残すように言われる。浴室のドアを開けてヴェニスに行くんだと、意気揚々となったところで、明言はないものの、どうやら、全体が一人の狂人の妄想だったという余韻を残して物語は終わる。

 狂気の世界、別の言葉にすれば痴呆の世界でしょうか。読み終わってこそ、全体が狂気の世界と分かりますが、途中は、語り手が探りを入れていくに従って、人が変わるたびに、前の人物が喋ったことが嘘だと否定され、どの発言が真実なのか分からなくなったり、また一連の話が終わった途端に目が覚めて夢だったということになったり、館から出て船に乗るとその中にまた館とそっくり同じ部屋があったりして、訳が分からなくなってしまいます。

 時空を歪ませる語りに大きく寄与しているのは、扉を開けると、思っていた世界とは別の世界になっているという仕掛けでしょう。館のエレベータもそうした道具の一つであり、5階に上がるとそこはパリの街中で、歩いて行くとまた館の1階正面の入口が見えてきたり、3階に植物園があったりします。コタンソン地区のカフェ「強者の軍隊」というのもまた一つの目印になっていて、いろんな人の口からその場所が語られ、その内容は共通しますが、店と話者の関係だけがさまざまに変わります。クララはそこで育てられたと言い、クララの兄もそれを裏付ける証言をしますが、アニバルもそこで育ったと言い、ベルト夫人も子どもの頃行ったことがあると言い、そして主人公の語り手までが、その店の店主に孫として迎えられると言う訳の分からなさ。

 物語全体を統御している思想というのは、アベルコンブリの小説のなかのアイルランドの島に住む魔術師のセリフにあるように、「現実というのは、物でしょうか、物を見る目でしょうか」(p333)という養女の一人も信奉するバークレー的な観念論であり、またフルガンスのセリフ、「この世界のなかに別の世界があり、その世界にまた別の世界が、というように、同じ時間に別の世界が重なり合っているんだ。何千という世界が。われわれが歩いているこの場所に何の関係もない何千という別の人物が歩いているんだ」(p191)に見られるような多次元宇宙的な考え方です。

 その他にも、現実の人物が本の中に入って行って物語を変えようとする場面があったり(p380)、主人公の小説「ガラスの店」のタイトルが、パーティで会う人ごとに、赤い店(p26)→クリスタルの店舗(p36)→逆さまの店(p120)→緑の店舗(p131)→緑に塗られた店(p222)と、人々の記憶の中で歪められて、少しずつ違った形で変奏されて行くのが面白い。

 多彩な小魚が泳ぐ日本の水族館のよう、という表現が出てきたり(p185)、酔っぱらいの日本人という不名誉な言葉が出てきたり(p56)、深夜のショー・キャバレーに日本人の団体客が入ってきて満席となったりという場面があり(p77)、日本がどう見られているかが気になりました。