marcel brion『l’ombre d’un arbre mort』(マルセル・ブリヨン『枯木の木蔭』)

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marcel brion『l’ombre d’un arbre mort』(albin michel 1970年)


 ブリヨンの比較的後期の長編小説。これでウィキペディアに載っている小説19篇のうち、残すのは初期の『Un enfant de la terre et du ciel(地と空の子)』と没後編まれたらしき『Ivre d’un rêve héroïque et brutal(ヒロイックで荒々しい夢に酔いしれて)』の2篇のみとなりました。早く手に入れたいと思っていますが、高価なので躊躇しているところです。

 登場人物が少なく、長い物語の割には展開もわずかで、しかも同じような場面が何度も繰り返されるというブリヨンの特徴が強く出た作品です。追憶として書かれる現実の話と、夢のなかの話、さらには鏡や絵に現われた情景が入り混じって、読んでいて、錯綜した夢か幻のなかをさ迷っている印象を受けます。書き方も、一人称で進行していると思えば、途中で三人称になるなど、物語の視点が絶えず入れ替わりましたが、これは単に単調さを避けるためだけか、それとも眩惑を増すための手法なのでしょうか。

 なので、あらすじはとても複雑というか、逆にあるともないとも言えないくらい単純で、簡単にまとめられるものではないですし、そんなことをしてもこの作品の魅力は伝わらないので、以下の文章で類推していただきたいと思います。

登場人物は、主人公イギリスの貴族の家系に連なるテレンス・ファンガル、幼馴染で今は人妻となっている愛人ジョルジアナ、主人公が3回遭遇する行きずりの女の三者が中心で、ファンガルの祖父やジョルジアナの夫が少し顔を覗かせるのと、ドイツ人らしき地質学者の友人ベルグと、ローマで会った鏡に姿が映らないエルメス侯爵が、水先案内人のように主人公を神秘に導く役割を果たしています。

舞台となる場所は、ファンガルの故郷の枯木の立つモランドハウス、ジョルジアナと再会するキャスルモルレの館に始まり、いろんな場面が出てきます。列挙してみると、ナポリ近くのポンペイらしき廃墟の町、ハンザ同盟の都市ハンブルクの港、宗教儀式を見物するインドネシア?の洞窟、黒マリアのある教会、ドイツの「野蛮人亭」と近くの教会、ローマの森の中の小屋や人形劇の葬列に出会った町角、侯爵の館の屋根裏部屋の人形劇場、侯爵の館の井戸の下の地下道、見知らぬ女と1回目に出会った港町、2回目の商店の奥、3回目のらせん状に運河が取り巻く町、その運河の町の中心にある広場のサーカスなど。

夢のなかの場面では、断崖を降りて行ったところにある海辺、舟で冒険するファンガルの洞窟、子どものとき覗き込んだ氷の張ったタンク、海のなかの難破船と馬の像。絵のなかの情景では、絵本のなかで柱にしがみつく男の居る海辺の洞窟、大きな姿見鏡のまわりの小さな鏡(もしくは絵)に映っている情景、カフェにかかっている絵のなかの海辺を歩く男、など。

 たえず現われキーとなっているイメージは、次のようなもの。いろんな変奏を伴って現われます。
枯木:タイトルにもなっている平原のなかに一本そそり立つ枯木、キャスルモルレにある日時計の中心の針(柱)、運河の町の広場のサーカスの柱、夢で見た難破船の帆柱、砂漠の教会の廃墟に残された柱頭行者の柱など。

鳥:女騎士のまわりを旋回する鴨の大群、宗教儀式で死者の上にかぶさって死んでいく黒鳥、運河の家の屋根の穴から舞い降りたハルピュイア、砂漠の教会の廃墟に舞うハルピュイア、ジョルジアナを嘴で突き死なせた白い大きな鳥、遠くから聞こえる鴉の声。

船:洞窟探検のときのシレーヌの船首のある舟、運河の町の家の船の形をした風見、海中の難破船、「野蛮人亭」近くの湖の舟、行きずりの女と2回目に会ったとき河を渡るのに乗る舟。

人形:夢のなかで抱えていた少女とともにばらばらになった人形、ジョルジアナも人形と化して一員となっている屋根裏部屋の操り人形劇場、ローマの人形劇の葬列、サーカス広場の偽薬売りの人形たち。

馬像:冒頭の砂丘に彫像のように佇む馬に乗った女騎士の姿、断崖から滑り落ち海中に立つ巨大な馬の像、河を渡る舟で出会い買おうとしたが馬主とともに逃げた馬。

焔:ナポリで地獄と呼ばれる火口、洞窟の儀式で飛び交う松明、最後に落雷で炎に包まれる枯木。

 伏線が仕掛けられているというか、至るところが繋がっています。冒頭部分に登場するイタリアのポンペイと思わしき場所で壁の騙し絵の戸から覗いている3人の女は(p28)、結末部に登場する3人のハルピュイア(p330~340)に繋がっています(蛇髪をした復讐の三女神というのも出てきたp124)。オランダ机の引き出しの中を覗く結末で(p344)、上記の壁画の場面で案内人から記念にプレゼントされた黒い陶器の盃(p30)、教会の司祭からプレゼントされた孔雀石(p89)が出てきます。死者から施しは受け取らないと拒絶した占い師が(p162)、最後にまた言及される(p335)など。他にもまだ見落としているのがたくさんあると思います。

 物語のなかに、シビラ・ファン・ローンの名前が出てきました。これは、ブリヨンの初期の代表作で、『現代フランス幻想小説』(白水社)のなかにも収められている同名の作品のライトモチーフ的存在(ちなみにこの本は私がフランス幻想小説に興味を抱くことになったきっかけの書です)。ブリヨンの長編小説は、全体がつながっている連作小説と見るべきなのかもしれません。ブリヨンの小説のどの頁を開いても、他の作品のなかの頁と見分けがつかないくらい、類似した部分が見つかります。一つの曲の変奏を奏でているという感じで、物語の大枠の設定は異なりますが、細部はみな同じなのです。

 「沈黙が霧のように上ってきて、低い階から順にカタレプシーに陥った。普通の眠りというより魔法にかけられたような眠りだった。この家では、眠りのなかに夢があるのではなく、夢から眠りが染み出してきていた」というような夢と眠りと現実の干渉に触れた文章や(p263~267)、蛸が木の枝から触手を伸ばしたり、蟹が海藻をチョキチョキ切ったり、タツノオトシゴと馬、小魚の群と蟻との対比が描かれる海のなかの驚異の場面など(p269~280)、魅力的な部分がたくさんありました。