MARCEL BÉALU『la grande marée』(マルセル・ベアリュ『大潮』)

カバー 
MARCEL BÉALU『la grande marée』(belfond 1973年)


 6年ほど前、セーヌ河岸の古本屋で買ったもの。フランスの本にしては珍しくカバーがかかっています。ベアリュは、短篇集『水蜘蛛』を翻訳で読んで以来、『Mémoires de l’ombre(影の記憶)』など譚詩風の作品をいくつか読んで、大好きな作家の一人ですが、本作は後期の作品のようで、これまで知っていたベアリュの世界とはまったくテイストが異なる長篇(中篇?)小説です。普通の小説の書き方ですが、ミステリー仕立になっていて、ベアリュの新たな魅力を発見しました。

 舞台はブルターニュ地方の海岸。岬、断崖、砂浜、苔むした岩肌の見える島、海の激しい流れなど荒涼とした風景が広がり、それに刻々と色を変える夕日の情景が美しい。季節はバカンス客でにぎわう夏から、夏の盛りを過ぎて雨風が強くなって、霧の秋へ、そして何週間も太陽がほとんど姿を見せない冬、春と移ってまた夏、それが2回繰り返されるあいだの出来事です。

 空と海と大地の光と季節に閉じ込められた主人公は、妻を亡くし孤独を求めこの地に隠居していますが、近所のかみさんらから「死ぬのを待ってるだけだわ」と噂されるくらい、すでに死に近くにいます。登場人物は、ほかに断崖の館に住む若い未亡人と、もう一人。

(ここからネタバレ注意)
冒頭から、遠くに見えるが容易には辿り着けない館というのが出てきて、読者の興味を惹きます。その館から出てきたとおぼしき女性が毎朝主人公の家の下の道を通るので、気になり、ある日、植木を剪定する振りをして通せんぼして顔を見たところ、肉感的な顔立ちと、鋭い視線、唇に手を当ててほほ笑んだ表情に魅せられます。近所の噂では、彼女は退役海軍士官の父から断崖の館を遺贈された息子と結婚したが、その夫は交通事故で亡くなったという。

秋になって、意を決して館に行ってみると、彼女の方も待っていて、それから交際が始まりますが、「質問はしないで」と言い、主人公の家にはあまり立ち寄らずしかもわずかしか滞在しないのが少々変。いつも彼女の館で過ごすうち愛人関係となり、主人公は愛人と戯れながら、つねに何か不気味な存在を身近に感じます。どこか別のところで一緒に暮らそうと言っても断られて。

半年以上も経ったとき、彼女からついてくるよう言われ、庭の端にある塔の地下へ降りていくと、そこは海に面した洞窟に繋がっていて、部屋があり机があって、海辺で乞食同然の男が鼠や兎と戯れていました。死んだふりをして生きている夫だと言い、頭がおかしくなって、何もせず何かを待ってるとのこと。騙されたと感じた主人公は彼女と次第に疎遠になっていきます。

図書館で調べ物をしていると、古地図には、断崖の館のところに「蛸の家」という表記があった。そのことを知らせようと彼女の館へ行くと、彼女はすでに知っており、その理由も知っているがまだ言わないとの返事。しかしこれを機にまた関係が戻ってしまいます。ある日、洞窟の部屋で、机の上の夫のノートを見ると、主人公が若いころ書いていたのとそっくりのことが書かれているのを見つけます。そして、また夏。愛人は年に1回最大となる大潮の日に向けて何か準備をしています。

大潮が来る日の夜、彼女の姿が見えないので、塔の地下に降りてみると、そこで、愛し合う愛人と夫の姿を見ます。彼女が夫から身を離して、主人公のところへ戻ってきたそのとき、大潮が洞窟の中に氾濫してきて、巨大な蛸かイソギンチャクのような怪物が触手を広げて襲いかかるように見え、二人は命からがら逃げ出します。今度は彼女の方から別のところで暮らそうと提案されますが、それは言葉だけで、二人とも、来年また運命の日が訪れることを知っており、主人公は、死んだ夫と同じように、その運命に従おうと決意します。

 海辺の美しい風光や、大潮に向けて物語が収斂していく雰囲気、愛人とのエロティックな交情の場面までは、お伝えすることができず、無味乾燥な概括となってしまいました。この物語のポイントは、大潮の氾濫の様子を見て蛸かイソギンチャクの怪物に見えたところにありますが、見えただけでなく、本当に海の怪物がやってきたようにも書かれているところで、それが古地図の「蛸の家」という記述に裏付けられ、主人公も、年1回のその儀式の生贄になることを決意するという結末につながるわけです。

 蛸のイメージは冒頭から登場します。「今朝は、家が沖からの霧の湿った塊に取り囲まれたが、蛸が足を丘の方に伸ばして這い上って来るかのようだった」(p17)とか「太陽が水平線を燃やすと、次第に薔薇色の巨大な蛸が浮かび上がってきた」(p20)。そして古地図に「蛸の家」が載っていたこと(p97)。主人公が、愛人に対して、「蛸の家というのはこの家にぴったりだね。君はただの魅力的な吸血鬼だけじゃなくてまさしく蛸だから」と言う場面(p101)。

 錯視もいたるところに出て来て、一つのテーマになっていると思います。夕暮れの雲を見て、「何千という薔薇色の船が浮かんでいる」(p20)のを幻視したり、大潮が洞窟内で氾濫した際、波のなかに愛人の視線を感じ、巨大な蛸かイソギンチャクが一瞬愛人そのものに見えたり(p133)、最後の場面で、浜辺から断崖を振り返って見たとき、洞窟の穴があり断崖の上に茂みがあるのを見て巨大な女陰を想像したりします(p143)。

 もうひとつのテーマは、この世からの隠遁。主人公自体がまず孤独を得ようとして人里離れた海岸の家に隠居していますし、愛人のいる断崖の館は退役海軍士官が海を見ながら思い出に生きようと手に入れたもので、その館はかつて海賊の一人が老後を穏やかに過ごそうと築いたもの、また海軍士官の息子である愛人の夫も世の中から隔絶して洞窟内で生きようとします。

 主人公は、洞窟の中に住む愛人の夫の様子を見、またノートの記述を見て、「鏡に映った私自身だ。それも今はもうない昔の姿」(p105)と、自分との同一性を感じ、夫と同じ運命をたどろうとしますが、結局、愛人はやはり蛸の怪物であり、夫や主人公を破滅させる魔性の女だったわけです。