:G・O・CHÂTEAUREYNAUD『Les Messagers』(G・O・シャトレイノー『使者』)


G・O・CHÂTEAUREYNAUD『Les Messagers』(Bernard Grasset 1974年)


 シャトレイノーを読むのは『LE KIOSQUE ET LE TILLEUL(東屋と菩提樹)』(2013年9月2日記事参照http://d.hatena.ne.jp/ikoma-san-jin/20130902/1378091138)という短篇集に次いで2冊目。この作品は長編で、文学賞を受けているようですが、今年読んだなかでは最高の面白さ。と言うか私が生涯読んだ小説の中で、10本の指に入ると思います。

 全体の印象は、カフカの短篇を引き伸ばしたような感じで、マルセル・シュネデールが『フランス幻想文学史』のなかで、「ホフマン的伝統の中ではイニシエーションの旅に属する作品」と書いているように、放浪者の若者が使者と出会い、さまざまな試練を経て、最後はみずからが使者になる物語です。

 その「使者」とは何か。布袋を担いだ使者はその布袋の中に入った防水の木の筒を大事そうに取り出しては眺めますが、中に何が入っているかは使者も知りません。使者は行く先々で、ある所では国賓級の待遇を受けたり、ある所では監獄に入れられたりし、ようやく目的地にたどりついたかと思えば、単なる中継点でまた次の目標を指示されるということを繰返しています。結局最後まで、伝言が何で、最終目的地がどこか分からないままに終わります。


 イニシエーションなので、試練の階梯を進んでいく場面場面を順番に紹介しますと(ネタバレ注意)
①放浪者の若者(主人公)が田舎の貴族の館へ迷い込み、傴で眼に瘢痕のある女中の屋根裏部屋に泊めてもらうが、夜中に館の中をさ迷ううちに、いつも仮面をつけている館の奥方が亭主の浮気現場を見る場面に遭遇する。後をつけて奥方の寝室で奥方の秘密を垣間見るが、叫ばれて逃げる。
②命からがら脱出した若者は野原で老婆に出会い、奥方の秘密を聞き出そうと脅迫されて逆上し、老婆を井戸の中に投げ入れる。
③川を隔てて吊り橋の向うにいる男と出会い、危うく橋から落ちそうになり一悶着の後、次の町でその男と再会。ついて行くことにする。
④男と一緒にある貴族の館へ入ると、その男は「使者」と名乗るだけで盛大な歓待を受ける。若者も補佐として大勢の娘たちにちやほやされ、その中の一人(館の娘)に館の地下に案内されるが、そこで諍いが起こり、地下迷路に置き去りにされる。
⑤かろうじて地下から脱出すると、使者からこの館に火を放つから手伝ってくれと頼まれる。館は火に包まれ大勢が死ぬ。火を点けたのは使者が貴重な情報をその館の敵対者から得るためだった。
⑥使者が情報を得た後、若者は情報提供者を殺す。入手した最終目的地は湖上の島にある娼館で、その娼館は入るとまともには出ることができないと噂されていた。
⑦娼館で、若者は「使者が来ているがどこへ行けばいいか」と訊ね歩き、その途上、老人が葬られる場面を見たり、初めて女性を知ったりする。ようやく尋ね人を探し出すが、それは館の女主人で高齢で死にかけており、かろうじて「港に停泊している航海号へ行け」と聞きだすことができた。館から逃げ出すときに使者は背中に短刀を投げつけられ負傷する。
⑧若者は傷ついた使者を背負って港を目指す。途中村落で助けを求めるが誰も出てこない。断崖の上から海が見え何度も転びながら山道を下り海辺の町に到着したとき、すでに使者は背の上で死んでいた。若者は当然のように使者の布袋を身につけてひとり港に赴く。
⑨そこには古びた「航海号」が停泊しており、船員もみな老人になっていた。自分は使者ではないと逃げを打つ若者に対し、船長は伝言の筒を持っている者が使者なのだと言う。そして、ここは最終目的地ではなく、私は海の反対側の地へ使者を運ぶために何十年も待っていたと告げる。


 次から次へと目まぐるしく物語が展開し、いずれも奇想天外で、不気味だったり、不可思議だったり、この先どうなるかとハラハラの連続でした。とりわけ印象的なシーンは、吊り橋を挟んで初めて使者と出会う何となくコミカルだが真剣な場面。連れられた貴族の館での豪華絢爛なパーティと歓待ぶり、しかしその地下には迷路があり囚人がいくつもの牢獄に閉じ込められているという天国と地獄を垣間見る場面。湖の中の島の娼館の中にまた池があり、そこには何人もの死者が黒い水の上に浮び、井戸の中に吸い込まれて行くという冥界を見るかのような場面。

 全体の雰囲気は、グロテスクとファンタジーが融合した感じ。映画にしたら映像がきれいで面白いものになりそうな気がします。老婆を井戸に突き落としたり、館に火を放って皆を焼け死にさせるところなどは、童話風の残酷さがあります。また、使者には一匹狼的な風貌があり、「Je n’ai besoin de personne(助けはいらない)」と言うあたり、やくざ映画マカロニウェスタンの登場人物のセリフのよう。この作品はファンタジーの一種だと思いますが、ファンタジーの通常のウェットなイメージと違って、ハードボイルドな乾いた無関心が基調となっています。

 文章は、動詞がほとんど現在形なのが奇異な感じを受けますが、前回読んだYves Régnierと比べると格段に読みやすい。会話体が多いことと、動きが目まぐるしく、抽象的な議論がないというのが理由でしょうか。ということで、次回も引き続き、シャトレイノーの幻想短篇集『La Belle Charbonnière(美しき炭焼き女)』を読むことにします。