:私市保彦『フランスの子どもの本』


                                   
私市保彦『フランスの子どもの本―「眠りの森の美女」から「星の王子さま」へ』(白水社 2001年)

                                   
 フランスの子どもの本を概観した本です。民話だけでなく絵本や漫画も含めた児童文学の歴史をたどっています。まえがきに「本書は、フランスの子どもの本の歴史を、揺籃期から現代にいたるまで、パノラマ風にえがいたものである」(p3)と断ってあるように、網羅的で概要を得るには便利でしたが、メリハリの利いた面白みには若干欠けていた感じもします。


 この本は時代順に叙述されていますが、通時的に一貫した着眼点が三つあるように思います。一つは、大人の文学も子ども向けも本質的には同じという考え方で、その証拠として、とくにロマン派の時代と20世紀において、大作家が子ども向けに、あるいは大人も子どもも等しく読めるように書いた作品を数多く取り上げ紹介しています。モーリス・ドリュオンの次の言葉「まさしく子どもとして話しかけねばならぬ子どもなどいないのであり、いるのは未来の大人と昔の子どもなのである」(p171)は著者自身の思いでもあるでしょう。

 もう一つは、フランスの土壌深くにある合理性や教育的精神に着目している点で、教訓的な物語が数多く生みだされる時代があると同時に、逆にそうした風潮に反発し、ドイツ・ロマン派やケルト神話の影響を受けながら子ども向けの物語が作られて行った経過を追っています。

 もう一点は、子ども向け文学において出版社のはたす役割の大きいことが指摘されています。17世紀から18世紀にかけての「青本叢書」によって妖精物語やペロー童話が流行したこと、19世紀半ばアシェット社が駅で本の販売をする「鉄道文庫」を創設しセギュール夫人を中心とした「バラ色叢書」が誕生したこと、同じ頃エッツェルが挿絵つきの「新子ども雑誌」を続々と刊行し、またジュール・ヴェルヌを発掘したことなど。


 この本の大きな特徴としては、青春小説を児童文学と大人の文学のあいだにあるものとして独立して論じていることです。『ポールとヴィジルニー』にはじまり、ジョルジュ・サンドやネルヴァル、ドーデを経て、20世紀のヴァレリーラルボー、『グラン・モーヌ』、コクトーアンドレ・ドーテルとたどっています。なかでも『グラン・モーヌ』への思い入れは相当あるようで、ジッドやチボーデなどの「後半は冗長でつけたりだ」という批判に対し、後半こそ挽歌でありこの物語の骨格を形づくるものだと擁護しています(p250)。


 その他の指摘としては、
①古典主義時代の妖精物語の流行は、じつは魔法と変身が氾濫するバロック劇の落とし子であり、古典主義の時代にもさまざまな形でバロック的なものが活力をもちつづけた好例であること(p25)
②19世紀前半、ビュラン彫りや石版画の技法による印刷技術の進歩もあって、子どもの本に挿絵が大きな役割をはたすようになったこと(p72)
③冒険小説の流行があり、とりわけイギリスの『ロビンソン・クルーソー』の影響は大きく、ジュール・ヴェルヌはじめ、フランスでのロビンソンにまつわる物語は43編を数えること(p125)、またアメリカのインディアン小説の翻訳が数多く出版され、ガブリエル・フェリーとギュスターヴ・エマールなどフランスでもインディアンものを書いた作家がいたこと(p124)。
などが面白い。


 新しく知り興味を持った作家としては、ハガードの影響が著しいというアンドレ・ローリー、現代の日常のなかに魔法使いや悪魔や巨人や妖精をごく自然に登場させるピエール・グリパリ(『ブロカ街の童話集』)、哲学の教授で『力への虚構―子どもと幻想文学』などの理論書も書きファンタジーやSFにまたがる多数の作品があるジャクリーヌ・エルド、日常の世界にふしぎなものが侵入してくるという構成の幻想作品を書いているフランソワ・ソトロー、魔術的な道具立ての『アクシラーヌの暴君』を書いたミシェル・グリモー。

 また興味が再燃した作家としては、バロック期の文体の特徴をもち、宝石のイメージなどがふんだんに出てくるというオーノワ夫人(改造文庫で所持しているがまだ読んでいない)、物語のなかで村や森や原野に主人公を解き放つと、いつでもそこが謎と魂の故郷を探求する迷路となるというアンドレ・ドーテル(『遥かなる旅路』は学生時代に読んだがすっかり忘れていた)。