:ユルジス・バルトルシャイティス西野嘉章訳『幻想の中世―ゴシック美術における古代と異国趣味』(リブロポート 1985年)


この本も随分長い間寝かしていた本。
前に同著者の『異形のロマネスク』を読んだときも凄いと思いましたが、今回も強烈なインパクトを受けました。

なにが凄いと言って、建物や彫刻の装飾や、写本欄外装飾、絵画、版画、古代彫石、印章、織物など、様々な装飾をいったんすべてバラバラにして要素に注目し、自分のテーマに即して編成しなおしているところ。この力技は『異形のロマネスク』にも共通しています。


ゴシック時代の美術に見られる古代からの影響として、無頭人に始まり、頭が増殖した図、三面相、貝殻からはい出る動物や人、三脚巴文、二足獣などを指摘し、次に中近東からの影響として、植物文様、円形嵌枠、組紐文に現れる動物群、動物の姿に花開く植物、人頭樹、月の顔、身体を共有する何体かの動物や人を取り上げています。いずれも奇妙なものばかり。著者の手になる模写もなかなか可愛らしい。

そして東アジアからの影響として、蝙蝠の翼手、龍の頭冠を筆頭に、象鼻霊、長耳霊、一角霊、頭上に蛇を飾った多臂像、仏の台座、背向曲線、光輪の影響による球体、山の景観に隠れた動物、器物の怪などまで探索がおよんでいて、例えば日本の例では、土佐光信の「百鬼夜行」や小野小町の九相図などが取り上げられています。こうして書き写しているだけでも珍妙さのオンパレードにぞくぞくしてくるではありませんか。

そして多数の例をあげながら、全体を総覧して、××世紀頃からこうした傾向に変わるというような指摘がなされていますが、こういう発言ができるためには、本当に数多くの形象を見ていなければ言えないものでしょう。大変な作業だと思います。

そうした情熱を支えているのは、学問的な好奇心もさることながら、最終的には奇矯さへのマニアックな愛好に違いありません。アンリ・フォションの弟子というからには、たいへん立派で正統な美術研究者だと思いますが、その趣味はかなり歪んだ、異端のにおいがします。日本で言えば高階秀爾澁澤龍彦が同居しているといった感じでしょうか。


この本はもともと『ゴシック美術における覚醒と驚異』という浩瀚な研究の一部で、この本はそのなかの、外部からの寄与に関する部分を独立させたものだそうです。残りの研究は『覚醒と驚異―幻想のゴシック』という本になっているらしい。早くこの本の翻訳も出ないものか。


最近読んだ『グリーンマン伝説』(次回取り上げる予定)とも共通しますが、説明だけあって図の見当たらないものが多く、また説明と図がお互いに離れたページに掲載されていてうまく照合できないために、読んでいて若干分かりにくいところがありました。また印刷が悪く、図版が不鮮明なのは何とかならないものかと思います。


印象深いフレーズを引用しておきます。

生き物の形体をずらしたり、反復させたり、その形体の一部を部分的に拡大したり、混ぜ合わせたりすることから、超自然的な力が湧き出てくるのである/p19

これらの奇異が予め運命づけられていたと思われた場所、それはあらゆるファンタジーを貪ったロマネスク世界であって、それらがまさに横溢しているゴシック美術においてではけしてなかったということだ/p48

動物を実らせる植物は、装飾文様と伝説との二重の伝統に依存している。元来、これは<生命の樹>であって、その生命力があまりに激しく、荒々しいので植物の枠をはみ出していたのだ/p127

オリエントは、西欧の図像師たちを装飾的思弁とオリエントの異形族へ回帰させ、幾何学的な幻夢、非現実的な存在物、世界の驚異を中世に復活させた。すでに何度かにわたってヨーロッパ世界を征服してきたのは、組紐文と動物誌の蘇生である。格闘する四足獣と鳥、双像、混成動物、多体の生き物は円形嵌枠に復帰した。東地中海世界の文様的基調はゴシック時代の真っ只中に再生した/p154

悪魔は、冷たく笑う動物の面相、死の王国の住人の痩せ細った躯幹、禽獣の爪がはえた毛だらけの足などを特徴とするが、しかし鳥の翼、つまり天使のそれにも似た翼を持っている/p158

東アジアとの関係は、13世紀から14世紀にわたって多元化してくる・・・東洋のほぼ全域にわたるシステマティックな探検だ。・・・西欧はその追求に情熱を傾けたのである/p182

彼ら(シナ)の寄与の多様性である。イランでは、半濃淡の絵画の成熟、湿り気を帯び、流麗な形体でなる画境の出現、<幟>の形式に倣った抑揚のある線、荒涼たる大景観の発見、古代龍、雨天、不死鳥といったいくつかの主題の伝播、そうしたもののなかにシナがはっきりと現れた/p195

東アジアは、闇夜の雰囲気をまき散らし、自らの幻想的形体を増殖させ、来るべき世の終わりについての伝説のなかで脅威を甦らせながら、ゴシックの地獄図にくっきりとその痕跡を残した。だが、東アジアの影響はそれだけにとどまらない。鬼神(デモン)と同じ道を仏教的な神々と霊たちも辿ったのである/p206

中世ゴシックは、生命の秩序、写実主義、西欧的なものに向かって進化しただけではない。超現実的側面、技巧、異国趣味も併せ持っていた。奇異と驚異が群れ集い、激しく揺れ動くひとつの中世が、福音主義的、人文主義的中世の内部で復興し、展開した。・・・その基調は止むことなく拡大し、新しい領域に広がりながら、14世紀末まではより奇矯なものへ、より驚異的なものへ、15・16世紀にはより劇的なものへと様々に進化していったのである/p292

本来なら「ゴシック的古典主義」の時代に優美なる人物の伝播に貢献すべきはずであった古典古代が、異形なる生き物の眷属全体を再活性化させる最初の要因の一つになったという矛盾/p292